「朝生」への鎮魂歌 その4

  ―――「自虐史観幼稚園」への招待―――


                           中宮 崇


「自虐史観」と言うのは、幼稚園の名前だったのですね〜


 さて今回は主に、「自虐史観派」のルポライター西野留美子について。

 基本的に、彼女のような人間相手には議論など出来ないし、事実の探求など不可能だ。私は彼女の狂信的な発言を聞くにつけ、オウムの上祐被告の「美人」運転手を思い出す。彼女のような連中のマインドコントロールを解くには、相当の困難が予想される。いや、ほとんど不可能と言った方が良いかもしれない。

 オウム事件のときに上祐を始めとする幹部連中がテレビに多出していたさい、「ああ言えば上祐」という言葉がおおいに流行った。私はこの「ああ言えば上祐」の発言パターンをつぶさに見てきたつもりであるが、これが実に、「自虐史観派」の発言パターンに酷似しているのである。どうやら、マインドコントロール集団には共通のものであるらしい。

 「ああ言えば上祐」人間は、「イエスか、ノーか」という質問に対して簡潔に答えない。5秒の質問に対して、延々と10分もしゃべり出す。例えば今回の朝生の吉見教授が典型である。「クマラスワミ報告に賛成ですか?」という質問をされたら10分、「朝鮮で官憲による強制連行がありましたか?」と聞かれたら10分と、これではいくら時間があっても足りない。同様の事は、「日本の戦争責任資料センターの」上杉氏についても言える。

 こういう連中は、議論の本質をえぐるような簡潔な質問に対して即答せず、いや、出来ず、延々と説明を始めて観客を煙に巻くのが常套手段なのである。当然であろう。簡潔に答えてしまったら、自らの欺まん性が白日の下にさらされてしまうのだから。

 さて、このような「ああ言えば上祐」作戦をとる「自虐史観派」に対して当然、「自由主義史観派」はだんだん苛立ってきた。西尾教授などは吉見教授に対して、「あなたの話は終わりです。長すぎます」などとまで言ってしまった。まあ、司会者が「自虐史観派」の回し者なのであるから、こう言いたくなる気持ちは分からない事もない。

 問題は、その西尾発言に対する西野留美子の反応。典型的な狂信者の反応である。このような発言のいったいどこに、「歴史の真実を追究する」態度が存在するのか教えて欲しい。彼女はこう言ったのだ。


   「彼女達(慰安婦)は50年待ったのですよ!長すぎるという
    事はないじゃありませんか!」


ようするに、自分たちの敵である「自由主義史観派」には、発言の時間など与える必要はないとでも考えているのであろう。全く大した「ルポライター」である。50年前に生きていたら、ヒットラーがスカウトに来たかもしれない。

 このアンポンタンな言論弾圧発言に対して当然、西尾教授は怒った。


   「私も長年待ってきたのです」


これに対して西野、自分以外の人間の存在価値など全くないとでも考えているような態度で嘲笑いつつ、


  「何を待っていたのですか?」


とのたまった。薄ら笑いを浮かべつつ。

 マインドコントロールされた人間ほど恐ろしいものはない。オウムのときもそうであったし、統一教会などの霊感商法などでも、その恐怖の手口は明らかになってきたはずなのであるが、「学習能力」という言葉とは無縁な日本のメディアは、「自虐史観」という新たなる霊感商法を阻止する気は全くないようである。

 さて狂信者西野であるが、彼女のような手合いの手にかかると、「白も黒」と言いくるめられてしまう。

 例えば、「自由主義史観派」が「第三者の目による公正な史料」として提出した、「アメリカ戦時情報局心理作戦班日本人捕虜尋問報告」。これはビルマを解放したアメリカ軍が、現地で保護された慰安婦とその関係者の証言をもとにまとめた報告書である。

 それを見る限り、とても「慰安婦は性奴隷」などと言えるような状況があったとは思えないのであるが、狂信者西野とパクリ学者吉見は口をそろえてこう言った。


   「米軍は、自分たちが調査した施設が「慰安所」だとは認識し
    ていなかったのだ」


と。

 皆さんごめんなさい。私の認識は間違っていたようです。彼らが馬鹿な事ばかり言うのは、マインドコントロールにかかっていたからではなかったのです。単に、幼稚園でまじめに日本語を学んでこなかったからなのです。従って彼らを「まとも」な人間に戻すためには、もう一度幼稚園からやり直させればよいのです。

 米軍の報告書には、こう書いてある。


   「慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ」

   「平均的な日本人は慰安所にいるところを見られるのをきまり
    悪がり」

   「彼女たちはあらゆるタイプの避妊具を十分に支給されてお
    り」


「業を営んだ」とまで書いてあるのですよ?これらを読んだ上でどう曲解したら、「米軍は自分たちが調査した施設が「慰安所」だとは認識していなかったのだ」などと言えるのだ?まともな頭を持っていたら、とてもそんな事は言えまい。「彼らまともな頭を持っていない」などという失礼な事はとても言えないから、「きっと日本語がまともに理解できないのだ」ということにしておいてあげよう。

 さらに、日本語さえも理解できないダダッコ西野は、自分の考えに従わない人間と「議論」するのを拒否する。


   「まだまだ、事実関係の調査が甘いと思います。売春婦などと
    いう認識を持ったままにしておいて、教育論などできませ
    ん!」


つまり、自分の意見に全面的に賛成してくれる人間相手にしか「議論」しないというのだ。それでは「議論」ではなく単なる「馴れ合い対談」に過ぎないのであるが、日本語さえも理解できない程度の生育段階なのであるからやむを得まい。暖かく成長を見守っていて上げよう。

 それは良いとしても、「まだまだ、事実関係の調査が甘いと思います」などと言っておきながら従軍慰安婦問題を教科書に載せる事に賛成だというのは解せない。自分たちが「侵攻」もとい「信仰」している事ならば、確証のない事でも教科書に載せてしまいたいという事であろうか。まあ、幼児の心理と主張に論理性を求めることがそもそも間違いなのかもしれないが。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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