「朝生」への鎮魂歌 その5

  ―――ゆがめられた民意―――


                              中宮 崇


やりたい放題のすえ、「自虐史観派」は完敗した!


 皆さんは、本誌のコーナー「メディア玉手箱」から入れるテレビ朝日のページを御覧になったことがあるであろうか。そこには朝生のページもあるのであるが、それを見ると非常に奇妙な事がわかる。

 そこでは過去の朝生のテーマごとに、FAXやメールで視聴者から寄せられた賛成、反対の意見数が集計されているのであるが、このシリーズで問題にしている1月31日放送分の「従軍慰安婦問題と歴史教育」の回に限って、なぜか集計データが公表されていないのだ。


巧妙なアンケート操作


 断言してもよいがこれは、テレ朝が、自らの情報操作行為を隠蔽するために採られた措置である。その証拠は、番組をビデオに撮っておられる方ならお分かりであろう。

 番組では「自虐史観派」対「自由主義史観派」という対立の構図で議論が進められていた。そして、視聴者への質問は、「従軍慰安婦の記述を教科書に載せるべきかどうか」というものであった。じつはこの質問自体が、「自虐史観派」の巧妙な陰謀であったのである。

 あまり知らない人が見たら、


  「教科書に載せるべきだ」=「自虐史観」

  「教科書に載せるべきではない」=「自由主義史観」


と考えるであろう。ところが違うのである。議論を見ていればわかるのであるが、本当は、


   「教科書に載せるべきではない」+

      「載せるなら両論併記にすべき」

         =「自由主義史観」


   「教科書に載せるべき」=「自虐史観」


なのである。ということは、視聴者から寄せられる「載せるなら両論併記にすべき」という意見は、NOの方に分類されないと、番組における両派の議論の勝負を判定するためのデータとしてはおかしいのだ。

 ところが、テレ朝は何と、「載せるなら両論併記」という意見はYESの方に分類していたのだ。嘘だと思うのなら、ビデオで「視聴者の意見ボード」にかき出された意見の頭につけるY、Nマークの付け方を確認してみるとよい。これではYES、つまり「教科書に載せるべき」の意見数が過大に評価されてしまい、あたかも「自虐史観派」の方に多くの賛成意見が集まったように取られてしまうではないか?まったく、よくもまあ、ここまでセコイ悪知恵が浮かぶものである。


都合の悪いデータは非公開


 番組の最後では、電話とFAXで寄せられた意見数が公表されていた。それによると、


   教科書に載せるべき   257件

   教科書に載せないべき  210件


となっていた。前述のようなテレ朝の悪質なアンケート操作がなければ、この数字は逆転する可能性が大きい。「自虐史観派」と陰でつるんで、やりたい放題のアンフェアな舞台を用意して「自由主義史観派」をハメタ結果がこれなのである。無残としか言いようがない。

 しかも、インターネットで寄せられた意見の集計は番組でもホームページでも公表していない。今までの事を考えれば極めて異例な事である。きっと、「載せない派」の意見の方が多かったのであろう。自分たちに都合の悪い意見は公表しない、これではエイズを撒き散らした厚生省と何ら変わらない。

 また番組の途中で、視聴者の意見の集計の中間発表があったのであるが、それによると、


   教科書に載せるべき   167件

   教科書に載せないべき  109件

             (午前3時時点)


となっている。

前出の、最終結果から逆算すると、3時以降の数は以下のようになる。


   教科書に載せるべき   90件

   教科書に載せないべき  101件


「載せないべき」の数がそれほど変わらないのに対して、「載せるべき」の数が、3時以前と以後で激変している事に注目しよう。番組開始当初の方が、断然数が多いのである。

 これは、「自虐史観派」の団体や市民運動が、組織的に電話・FAX攻勢をかけた事を意味しているのではないか?だからこそ、番組後半には数が激減したのではないか?番組開始とともに電話やFAXを流し、そして寝る(笑)。そういう組織的行動があったと考えてもおかしくはない、極めて不自然な数字である。


 このシリーズで暴いてきたように、「自虐史観派」はテレ朝と陰で陰謀を巡らせ、極めてアンフェアな舞台を用意しててぐすね引いて「自由主義史観派」を迎え撃った。ところが、そのやりたい放題の悪質な情報操作とマインドコントロールの嵐にもかかわらず、「自虐史観派」は議論に負けたのだ。悲惨としか言いようがない。

 「自虐史観派」とテレビ朝日は、視聴者を完全に甘く見ていた。オウム事件で既に暴かれているマインドコントロールの手法が、今回も同じように通じると考えていたのである。完全に市民を馬鹿にしていたのだ。

 しかし、もはや我々市民は、彼らのような犯罪者達の軽率な手口には惑わされないところまで来ているのだ。アンケートの集計結果自体がそのことを物語っている。彼らは市民の叡智に負けたのだ。


                               なかみや たかし・本誌編集委員


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