暴走レポート−3(その1)

岩波史観を問う


                            中宮 崇


司馬遼太郎亡き今、「死人に口無し」を実践する岩波書店!


 「新聞の朝日、出版の岩波」と言うぐらい、岩波書店は戦後日本を継続的に傷つけてきた。もっとも、朝日に比べればまだまだまともであるし、その影響力と破壊力もかわいいものなのであるが、放っておくわけにもいかない。

 今回やり玉にあげるのは、「岩波ブックレット」と呼ばれる小冊子シリーズの一冊、


   「近現代史をどう見るか―――司馬史観を問う」

      中村 政則  岩波書店


という本。「岩波ブックレット」は、エセ人権派やごろつき市民運動などがテキストとして結構よく利用するシリーズなので、その影響力は大である。

 ちなみに著者の中村氏は、一橋大学で教授などをなされておられる、マルクス経済学の影響を多分に受けておられる先生である。

 このようなテーマの本をなぜ、歴史研究家にではなく経済学者、それもマルクスに親近感を持っている人間に書かせたのか、そのことだけで既に、岩波の下劣な根性が窺い知れる。

 「自由主義史観派」が司馬遼太郎の数々の小説から多大な影響を受けているというのは周知の事実であるが、中村はこの書で、まさに「死人に口無し」という言葉そのままに、司馬遼太郎と妙な馴れ合いをしつつ、「自由主義史観」についても「司馬史観」についても、いい加減な事ばかり書いている。

 中村は「はじめに」において、以下のように書いている。


   そこで私は「自由主義史観」の根っこにある司馬史観を検討す
   る事によって、その本質を明らかにするのが最適の道である
   と判断した。


本当に「自由主義史観」を理解したいのなら、今まさに生きている藤岡信勝教授のような人間にでも直接聞けばよさそうなものであるが、中村は、「死んでしまった司馬なら、自分の都合の良いように利用できるであろう」とでも考えたのかもしれない。それとも、生きている「自由主義史観」の人間を相手にする自信がなかったのか?だいたい、あと半年ほど早く本を出していれば、生きている司馬と直接対話を出来たのであるが、わざわざ司馬が死ぬのを待っていい加減な本を出したのであろうか?


曲解に満ちた、「司馬史観」解釈


 司馬遼太郎の基本的なスタンスは、中村も引用している以下の言葉で言い尽くせるであろう。


   日本人はいつからこんなに馬鹿になったのであろう、いったい
   誰が国家をめちゃくちゃにし、こんなつまらない民族にしてし
   まったのか。ここから私の小説は始まった。


司馬はこの考えを基本に置きつつ、


   昭和はだめでも、明治は違ったろう


という考えにいたり、それを証明してゆくような形で数々の小説が世に送り込まれた。

 ところが中村は、そのような司馬の考えを極限まで曲解する。例えば、司馬の以上の考えを以下のように評している。


   「明るい明治」、「暗い昭和」という対比的なとらえ方では、日
   本近代史の全体構造を的確につかむことはできないのであ
   る。


どこのだれが、「明るい明治」、「暗い昭和」などと言っていたのであろう?司馬がそのように考えていたなどと中村が思っているのならば、この大学教授は読解力に問題があるのである。

 司馬がやったことは、戦国から明治という時代の中で生きてきた人々の、今は失われてしまったといっても過言ではない生き方を描いたということであって、せいぜい言えて


   「人」に恵まれた明治

   「人」に恵まれなかった昭和


という対比が(結果として)行われたに過ぎない。

 そのような作業を、「明るい明治と暗い昭和という対比」などと矮小化してみせる神経が理解できない。

 また中村は、こうも言う。


   司馬は昭和に入って統帥部が肥大化し、日本の国家は変質
   した、別の国家になってしまったというが、実は統帥権をささ
   えるイデオロギーと制度は、明治期にできていたのである。


何を自慢げに言っているのであろう?そのぐらいのことを司馬がわきまえていないとでも思っているのか?とんだ思い上がりである。

 司馬の業績は、制度やイデオロギーではなく「人」というものにスポットライトを当てた事にある。従って司馬の言う「日本の国家は変質した」の意味は、イデオロギーや制度が変質した事ではなく、日本を支える「人」が変質したという事を言っているのだ。そのことは、一番最初に引用した司馬の言葉を見るだけでも明らかである。

 だいたい中村は、イデオロギーや制度が変化しなければ国家は変質しないとでも思っているのであろうか?ならば、例えばアメリカなどは、建国当初から現在にいたるまで、イデオロギーも制度も基本的には変化していないのであるから、「アメリカという国家は建国当初から変質していない」、つまり「アメリカは昔のまま、ちっとも進歩してはいない」と言えてしまう事になる。マルクス好きの中村にすれば、「米帝」のことをそう思っていたいのも無理はないのであるが。

 そもそも、「人」という要素をまったく無視してイデオロギーと制度にしか注目しないという態度自体が、マルクス経済学かぶれの人間の矮小な思考方法そのままではないか。

 中村は理解できなかったようであるが、司馬は読者にこう問うていたのである。


   制度もイデオロギーも何ら変わらないのに、なぜ明治にはこん
   なに「人」がいて、昭和にはこれほど「人」がいないのか。


と。


珍妙なる「革命」観と日本語能力


 「自由主義史観」や「司馬史観」を無理矢理難癖をつけて葬りさりたい中村は、「革命」という言葉に関連してなんとも妙な事を言っている。以下、その部分を引用してみよう。


   革命を一階級から他階級への権力の移動と定義すれば、明
   治維新は明らかに「革命」であった。討幕運動は約270年続
   いた徳川将軍権力を打倒して新政権を樹立した。つまり権力
   の移動があったという一点を見ても明治維新には明らかに
   「革命」の側面があった。(途中略)しかし、権力の移動があっ
   たといっても、それは同じ旧支配階級に属する旧公家や討幕
   派下級士族層の手に権力が移ったに過ぎない。


 さて、読者の皆さんは、中村のこの文章が理解できるであろうか?私は全然理解できない。「同じ旧支配階級に属する旧公家や討幕派下級士族層の手に権力が移ったに過ぎない」のなら、「革命を一階級から他階級への権力の移動と定義すれば」という中村自身の定義に当てはまらない以上、明治維新は「革命」とは言えないのではないか?いったい彼は、「明治維新は革命である」と言っているのか、「明治維新は革命ではない」と言いたいのか、どちらなのであろう?

 しかも、「明治維新は明らかに革命であった」などと最初に言いながら、途中では「革命の側面があった」などとトーンダウンしているのはどういうことか?この大学教授は、日本語さえまともに操れないらしい。


 しかし本誌でも何度も指摘しているように、「自由主義史観」を批判する人間のかなりの数が日本語さえまともに使えないというのはどういうことであろう?中国語でも母国語にしているのであろうか?


                                   続く


                               なかみや たかし・本誌編集委員


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