「真っ赤な赤」と「真っ赤な嘘」


                                      中宮 崇


「自由主義史観派」も「自虐史観派」も、辞書を引く事も出来ないのか!


 「自由主義史観」対「自虐史観」という対立軸には、いくつかの論点が存在するが、その中でもっとも我々に直接響いてきそうなのが、「元慰安婦に対して国家補償をするべきかどうか」というものである。なにしろ、もし国家賠償をしなければならない事になったら消費税は10%や20%では済むはずがないのであるから。そう言えば、「自虐史観派」の人間のかなりの数が「消費税反対!」の人間たちであったと思うのだが…。

 ところで当然、その是非の判定には、アジアの女性が国家によって無理矢理慰安婦にさせられたのかどうか、という議論が不可欠となってくる。国家によって無理矢理慰安婦にさせられたのなら国家賠償の可能性も出てくるし、そうでないのなら国家賠償などする必然性はない。

 ところが、この「無理矢理」という言葉が曲者である。この「無理矢理」ということに関連して、「強制の有無」というものが争点となっている。

 ここで私にはどうしてもわからない事が一つある。それは、「強制連行」という言葉である。「自虐史観派」対「自由主義史観派」の論争は、この「強制連行」と言う言葉を中心になされているといっても過言ではない。彼らは、「強制連行」というこの奇妙奇天烈な言葉に違和感を覚えないのであろうか?

 「自由主義史観派」は言う。


   「強制連行」と言うからには、それは「官憲」による暴力的な連
    行を意味する。ところがそのような史料はまったく見つかって
    いない以上、国家主体による「強制連行」などと言うものはな
    かった。従って、国家補償などする必要はない。


と。

 「自虐史観派」は言う。


   業者が騙して女性を慰安婦にしたといったようなことも広い意
   味の「強制」である。そもそも、女性に金を払って性を買うと言
   う事自体が「強制」である。国は、慰安所の運営面や保健衛生
   管理面で積極的に関与していたのであって、「国家は関与し
   ていなかった」などとは言えない。また、たとえ女性が自発的に
   金銭目的で慰安婦になったとしても、彼女たちをそのような
   状況に追い込むような社会を形成していたという責任が国家
   にはある。従って国家賠償をするべき。


と。

 両者の言い分についてはまた別の記事で触れるが、それ以前に問いたい。両者とも、「強制連行」などという言葉を使う事に何の疑問も持っていないのか?

 両者の論争では、「強制連行」と言う言葉の前の方、つまり「強制」という部分にスポットライトが当てられている。「強制があったのかなかったのか」と言うわけだ。

 しかし私は、後ろと前との組み合わせについて、つまり、「連行」と「強制」とを組み合わせて「強制連行」などと言うこと自体を問題にしたい。

 まず、「連行」という言葉を辞書で引いてみよう。


   連行…人を引っ張るようにして連れていく事(岩波国語辞典)


つまり、「連行」という言葉自体に既に「強制」の意味が含まれているのだ。それなのにわざわざ「強制」などと言う言葉をくっつけて「強制連行」などと言う事は、「真っ赤な赤」などと言っているようなもので、ほとんど意味をなさない。ただの冗長である。

 こう考えると、面白い事になってくる。どういうことかというと、「自虐史観派」がよく使う詭弁的な言い訳、つまり、


   中学歴史教科書のどこにも、「強制連行」などと言う言葉は使
   われていない。


という詐欺師な言い逃れが、完全に崩壊するのだ。

 そもそも、


   「強制連行」とはっきり書いていないと、「強制連行」について
   書いてある事にならない。


などと言う詭弁が通るのなら、


   「これは賄賂です」といって渡された金ではない以上、あの
   金は賄賂ではなかったのだ


という、汚職政治家の言い訳も認めてあげてもよさそうなものなのであるが、エゴにこり固まったマインドコントロール集団「自虐史観派」は聞く耳を持たないであろう。「自分たちだけは特別!」という、悪しきエリート意識に浸っているのだ。

 まあそれは良いとして、確かに「自虐史観派」の言うように、直接「強制連行」という言葉を使っている教科書はない。しかし、「連行」という言葉を使っている教科書はある。きちんと、「慰安婦は連行された」と書いてある。

 前述のように、「強制連行」も「連行」も本来、意味的には全くと言っていいほど差はない。である以上、「自虐史観派」の、


   「強制連行」と書いてある教科書はない


などという、元々苦しかった言い訳は、ここに完全にその実効性を失った。

 つまり、「強制連行」と言う言葉は使っていなくても、「連行」と言う言葉を使っているだけでそれは、


   無理矢理、暴力的に連れていって、慰安婦にさせた


と書いてある事になるのだ。

 「自虐史観派」は、常々こう言っていた。


   歴史教科書は、「自由主義史観派」が言うような、「アジアの女
   性が無理矢理暴力的に連れて行かれて慰安婦にされた」な
   どという誤解を与えるような書き方になってはいない。


と。ところがこれは、真っ赤な嘘である事がここで明らかになった。例えば大坂書籍の中学歴史教科書にはこのように書いてある。


   また、朝鮮などの若い女性たちも慰安婦として戦場に連行し
   ています。


これのどこをどう読んだら、「自虐史観派」のようなスットコドッコイな解釈が出てくるのであろうか?誰がどう読んだって、「アジアの女性は無理矢理暴力的に連れて行かれて慰安婦にされました」という意味にしかとれない。ところが「自虐史観派」はそうは読まない、いや読めないだけなのかもしれない。以前指摘したように、「自虐史観派」は日本語さえ理解できない幼児なのであるから。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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