狂人の魔力
中宮 崇
いつの時代も、狂人を崇め奉る人間にはこと欠かない!
日本では、歴史教科書記載の日本軍による中国「侵略」が、文部省の指導によって「進出」と書き換えられたというデマが未だに信じられている。このデマにたぶらかされた政府は、中国に正式に謝罪までしてしまっている。このデタラメ報道を訂正したのは産経新聞だけであり、朝日を始めとする各紙は嘘を垂れ流しっぱなしで何ら反省の色を見せない。
さて、日本の行為を「侵略」と書き立てたがる朝日や岩波、進歩的文化人のような勢力は、ことソ連や北朝鮮の事になるととたんにただのごますり屋になる。中学歴史教科書を見てみるとよい。朝鮮戦争の事を「北朝鮮による侵略」と書いているものがいかほどあるか?「南北朝鮮の間で戦争が発生した」などというあいまいな書き方をしつつ、それどころか「日本は、米軍の基地としてこの戦争に関与した」などと書いて、ことさら日本とアメリカを悪く見せようとする。かつて共産党や社会党などは、「韓国が北朝鮮を侵略したのだ!」などとまでたわけた事を言っていた。この大嘘に対する国民への謝罪も未だにない。
周知のように、朝日や岩波を始めとする「進歩的メディア」は、従軍慰安婦問題に関しては「ろくな証拠がなくても、慰安婦の証言だけ信じて日本を悪者にしてしまえ!」という立場を取っている。「疑わしきは罰せず」という、近代人権思想における重要な原則を完全に無視したこの手の連中こそ、「進歩的」どころか「退歩的ファシスト」なのであるが、そのような連中でも北朝鮮の問題についてはとたんに、「疑わしきは罰せず」の原則を思い出すようである。非常に都合の良い脳みそをお持ちになっていて、実にうらやましい限りである。
例えば最近の例で言うと、北朝鮮による日本人拉致疑惑。北朝鮮といえば、つい先日も韓国にスパイ潜水艦を潜り込ませたというどうしようもないテロリスト国家であるのだが、「進歩的文化人」連中は、「北朝鮮が日本人を拉致したなどという確証はない!」などと声高に叫んでいる。その上、「人道上」日本は北朝鮮にただでお米を譲ってあげなくてはならないのだそうだ。北朝鮮で起きている食糧危機の原因は指導部の無能・無謀な食料政策が原因であるのだが、そのことにも文句を言わずに、しかも拉致疑惑についても口をつぐんで、黙ってお米をあげなくてはいけないなどと言う。彼らの言い分を受け入れれば、我々は一人当たり数千円を大人から子どもまで、テロリスト国家の支援のために支出させられる事になるのである。「人道支援」などと言うが、この手の連中は拉致された日本人の人権については何も考えてはいないのである。
5月31日の「朝まで生テレビ」においても北朝鮮問題が議論されていたが、高野孟、辛椒玉、関寛治といったその手の「進歩的文化人」は(その外にも「北朝鮮シンパ」はいたが、論ずるに値しない)、あいも変わらず日本人の人権を無視した妄言を繰り返していた。そもそも、「(先日北朝鮮から亡命した)黄書記は、実は亡命ではなくて韓国に拉致されたのだ!」などと言っていたようないい加減な人間をテレビに出すこと自体問題があると思うのだが、さすがに視聴者は彼らに騙されるほど馬鹿ではなかったようで、「北朝鮮に援助すべきではない」という意見が「援助すべき」という意見をわずかに上回った。
まあ、北朝鮮なんてものに関連した団体・個人にろくなものがない事は、朝鮮総連の例を見てもわかるであろう。あの団体は、「黄書記は亡命などしていない!列車で北朝鮮に向かっている!」などと、北朝鮮のデマをそのまま鵜呑みにして発表するような提灯持ちに過ぎない(今に始まった事ではないが)。
唯一、「援助すべき」派でまともだったのは、テリー伊藤ぐらいであろう。彼は他の北朝鮮をこよなく愛する(そのくせ、北朝鮮に亡命もせずに日本で資本主義生活を楽しんでいる)「進歩的文化人」達と違い、北朝鮮の現状を改善すべきという視点からの「人道的支援」を主張していた。これならわからないことはない。
さて、日本の戦後処理問題から始まり、最近では薬害エイズ問題や住専問題など、しきりに「責任」というものが議論の対象となっている。「責任者出てこい!」、「誰がこの責任を取るのだ!」というわけだ。ところが日本という社会は、責任主体を特定しにくい、極めて特殊な社会である。これが欧米ならば話は簡単で、全ての責任はトップにあるのであるが、日本ではそうはいかない。「(下からや周囲からの)雰囲気や突き上げによってなんとなくやってしまった」ということが頻繁にある。太平洋戦争にしても、東条英樹や天皇に開戦責任があるのかというと、そう言い切る事も出来ない。
そのような日本特有の「無責任体制」を始めに指摘したのが、最近亡くなられた丸山眞男氏である。彼は戦後、東京裁判を始めとする様々な事象について研究を重ね、簡単に言うと「日本という社会は、責任というものが極めてあいまいである」という結論に達した。
最近ではカレル・ヴァン・ウォルフレンというオランダのジャーナリストが丸山理論に沿った読みやすい本を出版したので、市民運動の連中などもそれらをありがたく読んでいるようであるが、実は彼らの信奉するその丸山も、死ぬまで北朝鮮シンパの一人であったのである。現在の市民運動に多大の影響を与えている偉大な研究が実は、共産党や社会党、朝日といった連中と同じで、「朝鮮戦争は北朝鮮による侵略ではない!」という妄想に基づいたものであったのである。彼は死ぬまでその考えを反省する事はなかった。少なくとも、公にはしなかった。
丸山によると、そもそもどちらが先に手を出したかなどという議論自体が無意味なのだそうだ。この手の「進歩的文化人」の特徴として、同じ論法を決して日本には適用しないという点が挙げられる。このような「言い逃れ」がまかり通るなら当然、「太平洋戦争は日本による侵略戦争であった」などという事も出来ないはずである。だが彼らのように二つの脳みそを持つ連中は、決してそうは言わないのである。まあ、ソ連に対してなら、同じような事を言うかもしれないが。
北朝鮮に相当思い入れがあるらしい丸山に言わせると、「仮に北朝鮮が先に手を出しても、アメリカも韓国も色々と戦争準備をしているのだから」などと、とんでもない答えも準備してある。「挑発させて北に最初に拳固を出させたと言えない事もない」とまで言う。これが、市民運動の理論的支えとなっている人物の言う事なのである。
日本の「進歩的文化人」達は、なぜこうまでして北朝鮮を愛する事が出来るのか?日本人の人権を無視してまで北朝鮮を擁護する理由は何か?金ではあるまい。そもそも北朝鮮に、「進歩的文化人」の底無しの欲望を充足させられるだけの金があるとは思えない。
狂人には、一般人を虜にしてしまう何ともいえぬ魅力、魔力があるそうである。考えてみれば、ヒットラーにしても麻原にしても、最後まで生死を共にする信奉者にはこと欠かなかった。偉大な知識人達も数多く、彼らの思想を前にしてふにゃふにゃになってしまった。北朝鮮が愛されるのも、同じような理由ではなかろうか?これからは「狂人の魅力」というものについてももっと研究を深めるべきかもしれない。
なかみや たかし・本誌編集委員