浅野健一こそテロリストではないのか(その2)
中宮 崇
学者のくせに、筋道たった説明もせずに言いたい放題!
前回に引き続き、雑誌『創』5月号掲載の、「人権派学者」として有名な同志社大学教授浅野健一の
「ペルー政権こそテロリストではないのか」
について見てゆく。テロリストと人質とを同列の「犠牲」者として扱ったり、大使公邸人質事件を「大使公邸占拠事件」と呼んだりと、まったくもって被害者である人質を馬鹿にしているとしか思えない浅野センセイは、前回指摘したようにとんでもない大嘘を平気でつくような人間なのであるが、市民に対する彼の悪質な言論テロ行為は、それだけに止まらない。
大学教授さまの公私混同
5月12日、東京六本木のテレビ朝日本社において、「ペルー問題に関するANN系列労組討論集会」なる会合が開かれた。そこで、例の「カミカゼ取材」を敢行した広島ホームテレビの人見記者が報告を行ったそうである。その内容たるや、また別のところ扱うが、全く持っていいかげんなものなのであるが、浅野はその集会には参加していない。なのになぜか、その集会の内容について詳細に記述している。
からくりは浅野自身が書いているように非常に簡単で、「オブザーバーとして」参加が許された、雑誌『創』の編集長と、自分のゼミの学生から伝え聞いたのだそうである。
問題は浅野が、自分の子分の学生を、個人的な雑誌記事執筆のためにあごで使った事である。それとも、学生が自主的に集会に参加して、その話をたまたま浅野が聞かせてもらっただけだとでも言うのであろうか?まあ、ボスに逆らったら卒業さえ危なくなるであろうから、今学生に話を聞いたら「自主的に参加した」と主張するかもしれない。
しかしそうすると、一学生がどうして朝日労組の内輪の集会に「突撃参加」出来たのかという当然の疑問が湧いてくる。従軍慰安婦問題の「自虐史観派」の言葉を借りれば、ボスである浅野の「関与」があったのであろう(笑)。
まあ、浅野はこれらの批判をかわすため、派遣した学生の卒業論文の中に強引に、朝日労組集会の話を織り込ませる挙に出るかもしれない。何しろ子分は、ボスの意向に逆らうと卒業さえさせてもらえないのであろうから。
書き散らし教授の生態
さて、浅野教授は、大学教授という職に在りながら、自説の説明に論理的筋道を添えたり、根拠となる事実を提示したりという事が全く出来ないという、少なくとも学者としては失格としが言いようがない人間である。なぜそう思ったのかという最低限の根拠も示さずに、勝手に頭に浮かんだ妄想を開陳して悦に入っている。
例えば浅野は、カミカゼ記者の人見が広島ホームテレビによって処分を加えられた事が気に入らないらしく、
事件「解決」後に明らかになった情報を総合すると、人見記
者の取材が人質に危害を与える恐れがあったとか、交渉を
遅延させた、あるいは記者自身にも危険があったなどとい
うホームテレビの処分は全く根拠がないと分かった。
と、全く根拠を示さずに断言している。そうすると、マスコミ各社が事件中に伝えた「人質解放の約束反故に」という報道は嘘だったという事か?あの報道が信頼に値するものであるという事は本誌でも依然指摘したことなのであるが…。
また彼は、以下のようにも言っている
フジモリ政権は、もともと話し合い解決をほとんど考えていな
かったのだ。
何を根拠に浅野はそのようなことを断定的に言えるのであろうか?いずれにせよ、そう思った根拠ぐらい示して欲しいものである。示す事が出来ればであるが。
手放しの検証番組礼さん
浅野の根拠を示さない「思い込み垂れ流し発言」は、それだけに止まらない。人見記者が「カミカゼ取材」によって撮影したビデオの放送を含む「検証番組」が5月10日に放送されたのであるが、浅野はここでもろくに根拠を示す事も出来ずに妄言を繰り返している。
浅野は「テレビ朝日の検証番組」という節の冒頭に、
(検証番組は)全体的にはよく出来ていたと思う。
と、またもや根拠を示さずに感想だけ述べて、読者にあらかじめ一定の思い込みをさせる書き方をしている。
ところが彼は、節のあとの方で、ホームテレビによる人見記者への処分について番組が全く扱っていなかった事を批判している。まさにその点こそ今回の「カミカゼ取材」問題におけるもっとも重要なポイントの一つであると思うのであるが、そういう重大な欠陥のある検証番組を、(しかも彼自身その点を指摘しているのに)「よく出来ている」などと言う。さすがに私のような一学生などには、大学の教授様の考えていることは理解できない。
また、本誌5/5号記事「なんで僕らだけ怒られるんだよ〜」の中でも扱った、TBSが無線機を公邸内部に置いてきた件についても、
日本外務省がTBSが無線機を置いてきた事を隠シて、テ
レビ朝日の無線機問題をリークしたいい加減さもよく分かっ
た。
などと書いている。
私には全然「よく分からなかった」が、浅野センセイは「よく分かった」のだそうであるから、きっと「分かった」根拠をいずれ示してくれるに違いない。
それよりも分からないのは、浅野が、「TBSが無線機を置いてきたことを、外務省は公表するべきであった」と考えているらしい点である。
以前にも指摘した事であるが、TBSの件はテレビ朝日の件と違い、犯人は無線機の存在を知らなかったのであるから、それを公表してしまえば(無線機の存在を隠していた)人質の生命に重大な危険が及ぶ事は目にみえている。実際、朝日新聞がTBSと外務省の「秘密」を弟分のテレビ朝日を助けるという卑しい目的のために公表した数日後、特殊部隊による武力突入が行われているわけであるから、朝日の、人質を犯人に売り渡すような軽薄な行為が、フジモリに武力突入を決断させたという可能性も捨て切れない。浅野は「外務省は、人質が殺されても、事実を公表するべきであった」と考えているのであろうか?さすがに「人権派学者」の考えは一味違う。
支離滅裂の御都合主義学者
浅野は、当時ペルー大使であった青木の責任問題にも言及しているのであるが、とても学者とは思えない支離滅裂な文章を書いて平然としている。
彼は5月13日の参議院外務委員会における青木大使の辞意表明を批判し、以下のように書いている。
首相と外相の責任を棚上げして青木大使一人に責任を転
嫁した。
つまり、首相と外相にも事件発生の責任があるといいたいのであろうが、一方でこんな事も書いている。
この人(青木大使)の読みの甘さで事件が起きたということ
が忘れられていた。
浅野はいったい、「責任は青木一人にある」と考えているのか「青木一人の責任ではない」と考えてるのか、いったいどちらなのであろう?同じ文章の中でこうもころころと都合によって変転されると読者は混乱させられるばかりである。大学教授なら、せめてもっとわかりやすい文章を書いたらどうだ?もっとも、はっきりした事を明言せずにころころとその場限りのご都合発言で世渡りすることこそ、浅野の目指すところなのかもしれない。
続く…
なかみや たかし・本誌編集委員