浅野健一こそテロリストではないのか(その3)


                         中宮 崇


マスコミ専門家教授の、オウムサリン事件のごとき知識悪用の実態!


 さて、「人権派学者」浅野健一同志社大学教授への批判も3回目を迎え、いよいよ最終回である。このままでは今週号は「浅野特集」(笑)になってしまいそうなので、今日は少し無理して詰め込んだ。そのため普段の2倍近い長さになってしまった。

 しかし、彼の言動を見るにつけ、日本における「人権派」と称する生き物の危険性を再確認せざるを得なくなってくる。


思想統制教授の慢心


 さて、浅野センセイによる、ゼミ学生をあごで使う公私混同行為は前回指摘したが、彼はそれだけでは不満足であるようで、自身の学生を前にこんな類の発言をした事がある。


   うちのゼミ生は、S新聞には行かないだろう。


 S新聞というのがどの新聞を指しているのかは賢明なる読者には明らかであろう。まあ、Sが何を意味するかはともかく、就職に関して絶大な影響力を持っている教授様が、このような、圧力ととられかねないような発言を学生に対して平気でするというのはおおいに問題があろう。これによって、S新聞への就職を希望していた学生が、教授様の「アドバイス」に恐れをなして志望を変更するかもしれないのだから。

 その浅野教授、『創』7月号の記事においてはこんな事も書いている。


   毎日新聞の河内孝編集局次長は、5月4日の「記者の目」
   で青木大使との会食の印象などの例をあげて、高く評価し
   ている。この大使がいたから今回のような解決につながった
   というのだ。この記者は、同じ「記者の目」で、日米安保条約
   を日本の「公共財」と書いた。毎日の再建にとって困った人
   物だと思う。


 浅野のような「人権派」の横暴、ここに極まれり、である。いつものように彼は、河内の青木評価のどこがどういう風に間違っているのか、全く根拠をあげてはくれない。そして何と、全くここの話とは関係ない日米安保の話と絡めて、「毎日にとって好ましくない人物だ」と言わんばかりの超アクロバット的こじつけ。

 浅野のような「人権派」にとっては、自分の考えに沿わないような人間が新聞社にいるのは許せなく思えるのであろう。新聞社の社員は全て、会社の方針と同じ考えを持っていないといけないとお思いのようであることだし、今後は「人権派」=「思想統制派」と考えて対処するべきであろう。

 だいたい彼は、日米安保の事を「公共財」と言う事に反対しているようであるが、これは私のような経済学徒にとっては全く看過できない暴言である。安全保障の経済分析において、軍事上の条約等を「公共財」と考えるのは経済学にとっては珍しくない事であるし、その考えに沿って、いくつもの有用な研究がなされている。それなのに浅野は、かつての宗教裁判よろしく、経済学における学術的分析を否定するようなことを平気で言っている。彼は、「地球は回っている」と言ったガリレオが弾圧された時代や、無実の女性が火あぶりにされた魔女狩りの時代に生まれていたほうがずっと幸せであったであろう。

 浅野のような「人権派」こそ、日本の再建にとっては困った人物であろう。


日本人に対する言われ無き蔑視


 浅野教授は、日本人がお嫌いらしい。こんな事を書いている。


   4月23日の夕刊や号外には「邦人全員救出」の大見出しが
   踊った…(略)…。ヤマト民族の低俗なナショナリズムがまた
   出た。


 記者や特派員が馬鹿だからといって、日本人全体も「ヤマト民族」などとくくって馬鹿扱いするとは、言語道断である。

 マスコミが「日本人無事!」ということだけを大きく扱った事の馬鹿さ加減については、本誌でも以前批判した。しかしそれはマスコミ人たちの非人間性から出たものであって、日本人全体の非人間性から出たものではない。それなのに浅野は、まるでマスコミ人間こそ典型的日本人の姿であるような書き方をして、我々市民全体を不当に批難するのだ。

 低俗なのは、浅野の方であろう。


野報道の検証


 浅野は、「強行突入の検証」と題する節を設けているのであるが、検証せねばならないのは浅野のいい加減な報道の方であろう。

 その節の冒頭で浅野は、「ある民放記者」の口を借りてこう言わせている。


   フジモリ政権というのは軍と国家情報局とフジモリ大統領の
   三位一体の政権だということがよく分かった。


 もしそんなことを言った記者がいたというのなら、そいつもとんでもない馬鹿であるが、批判をしたいのなら他人の口を借りるなどという事はせずに、自分の口で言ったらどうだ?「ある民放記者」の言とすることによって、いい加減な発言の責任から逃れようとしているのであろう。

 だいたいこの記者様は、選挙で選ばれた現在の政権よりも、暴力と無能とによってペルーをどん底に叩き落とした、旧ソ連の支援を受けていたかつての人民政権の方が、今よりもマシだといいたいのであろうか?

 また浅野は、こんなこともいっている。


   (フジモリは)もともとMRTAの服役囚の釈放は一人として
   考えていなかったとか、ゲリラの受入先としてキューバに依
   頼したのもゲリラへの心理作戦の一つだと言い放った。


 これは大嘘である。そもそもフジモリが、MRTAのことを「ゲリラ」などと言うはずがない。「テロリスト」と言っていたはずなのだから。

 また、MRTAの釈放を考えないのはあたりまえだ。浅野は、「暴力的なテロに屈して要求を受け入れろ」と言いたいのか?この考えがいかに無責任かつ非人間的な妄言であるかは、本誌でも以前指摘した。

 だいたい、浅野が書いているような事をフジモリがいつ言ったのか、是非ともリファレンスを示して欲しいものだ。そうすれば、浅野の恣意的な悪意に満ちた曲解行為も白日の下にさらされる事であろう。


MRTA大好き教授


 浅野はMRTAシンパだ。そのことは、ペルーや日本を批判するのと同じ論理をMRTAに対して用いようとしない事からも明らかだ。

 例えば彼は、ペルー政府の強行突入を批判して以下のように書いている。


   日本の承諾なしに突入するのは、日本の主権侵害である。
   国際法では違法侵入になる。


 浅野のような人間の浅薄な国際法理解については以前も指摘したが、そう批判したいのであれば勝手にやっていればよい。しかし、ならばMRTAが大使公邸に「違法侵入」したことに、彼はなぜ口をつぐんでいるのか?しかもMRTAは、以前も指摘したように、日本の戦争犯罪顔負けの、国際法違反の戦争犯罪人なのだ。浅野はなぜそのことに触れないのであろう?単に無知なだけなのかもしれない。

 また彼は、「作戦「成功」はゲリラの無抵抗のおかげ」などと、ろくでもない事を平気で言っている。このような馬鹿丸出しの情報操作発言についても以前、本誌5/5号記事「嘘つき『朝日』の大冒険−3」において既に指摘済みであるのだが、人質がテロリストによって大量処刑されなかったのは、MRTA自身の利己的判断と無能さによってなのである。

 浅野は「MRTAは捕捉されていた人々(人質)を傷つけないという約束を最後まで守ったのだろう」などと感心しているが、MRTAは実際には人質を撃っているし、リーダーのセルパが、「非常時には人質を殺せ」と指令していた事も報道されている。だいたい、「捕捉されていた」とは何たる言い草か。人質は不当に「監禁」されていたのだ。いくらMRTAにシンパシーを抱いているからといって「捕捉」などとわけの分からない言い換えをするものではない。浅野のMRTAびいきにも困ったものである。ついにはこんなことまで言っている。


   ゲリラ側が人間としての約束を守ったから結果的に突入作
   戦が「成功」したのだ。


もはや何も言うまい。


すり替えによるMRTA擁護


 フジモリは確かに「MRTAの服役囚は一人も釈放しない」と言っていたし、そのような態度を最後まで貫いた。また、MRTAが最後までこだわった、リーダーであるセルパの妻や最高幹部を含む「20人の仲間の釈放」を拒否したのも事実である。

 ところが浅野は、ここからとんでもないこじつけをする。以下に抜き出した部分を読んで欲しい。


   国際世論も、まともな裁判もなしに軍事法廷で有罪判決を
   下した服役囚の釈放を支持していた。

   2000人もの市民を「MRTAメンバーであるという理由だけ
   で投獄している」らしい。


 はて、MRTAは、「無実の市民」の釈放を要求していたのであろうか?そうではないであろう。自分たちの妻や、最高幹部の釈放を要求していたのだ。彼らは、無実の罪で捕まった市民のことなど考えてはいなかった。浅野もそろそろ目を覚ますべきだ。


最後まで不当に他人を批判


 浅野は「最後まで不当にメディア批判」と題した節を設けているのであるが、浅野こそ噴飯ものの不当な批判を行っているではないか。

 まず彼は、


   現代の日本人も、戦時でも人権は保証されるという意味を
   理解できないでいると思われる。


などと、またもや我々市民を不当にこき下ろしているが、理解していないのは浅野の方だ。MRTAは人質の人権を守ったのか?そうではあるまい。むしろ積極的に人権を侵害し、生命の危機を感じさせるような脅迫を繰り返していた。浅野がそれほど御大層な「人権派」ならば、他人の人権を守ろうとしないような凶悪な連中を前に、丸腰で説得を試みて欲しかったものだ。

 前に指摘したように浅野は、ウィーン条約を理解せずに馬鹿な事を言ういい加減な人間であるらしいのだから仕方が無いのであろうが、「国際法違反」などとペルーを批判している国際法大好き人間なのであるから、せめてジュネーブ条約を読み直してから出直してきて欲しいものだ。

 また彼は、朝日系雑誌の『AERA』に以前かかわっていた田岡俊次を、こう評している。


   この人は、小沢一郎よりも右翼の国家主義者だが、こういう
   人が朝日新聞の幹部になる構造も恐い。


 私としては、浅野のような人物が大学教授でいられる事の方がよっぽど恐いが、前に書いた毎日新聞の件といい、いい加減に思想統制主義から脱却して欲しいものだ。

 ところで、小沢を「右翼」と称するだけでも十分大学教授失格のとんでもない行為なのであるが、PKO派遣に反対したり北朝鮮への制裁に異を唱えたりしている田岡を「小沢より右翼」と考えている浅野には、全く笑わされる。田岡は「軍事オタク」かもしれないが、右翼どころかどちらかというと左翼に近いであろう。

 浅野もそろそろ目を開くべきだ。


言われ無きODA批判


 今回の事件を機に、日本のODAをむやみやたらに批難する馬鹿がまた力を貯えつつあるようだ。浅野もその一味だ。彼らのような軽薄な連中については以前に批判したし、ODA批判の不当性についてはまた別の機会に書くが、これについての浅野の主張を見て行こう。

 まず、彼もそうだし朝日を始めとする情報操作機関もそうであるが、こんなことをなんの解説も無しに書いて読者をたぶらかそうとしている。


   その直後の25日にリマを訪問した池田外相はフジモリ大統
   領と会談し、「事件の解決を機に従来以上に経済協力をは
   じめとする二国間関係を強化することで一致。第二次リマ
   市国立病院医療器材整備計画などに対し約15億円に上る
   無償資金供与の調印を28日に行う事を確認した」(東京
   新聞)と述べた。


 これだけ読まされたらまるで、日本が事件解決と引き換えにお金をあげたようにとられかねない。援助が事件の前から計画されていた事なのかどうかを、浅野もメディアもきちんと調べて書かないのなら、これは悪質な情報操作ととられてもやむをえまい。

 そもそも浅野は、ペルーの病院に無償で医療機器を援助することに反対なのであろうか?ペルー人の病人に「金はあげないよ。そのまま死んでしまいなさい」と言いたいのであろうか?

 また彼は、こうも書いている。


   ペルーのODAはフジモリ大統領が誕生した翌91年になっ
   て、前年の9倍近い3億5千万ドル余りに跳ね上がった


 これも浅野をはじめとするODA反対派が良く使う悪質な情報操作である。

 フジモリ以前の悪逆な人民政府は、対外債務の踏み倒し同然の行為によって、国際社会から総スカンを食っていた。そのため元々、各国によるODA援助の水準は極めて低かったのだ。

 そこに登場したフジモリは、債務をきちんと返す事を世界に約束した。それに安心した各国が、援助を増やした、それが実態である。

 浅野はことさら日本についてだけ「援助が9倍に増えた」などと書いて、まるで日本だけがフジモリを特別に支えていたような印象を与えようとしているが、諸外国の援助額も同程度に増えているのだ。実際、ペルーに対する援助額は日本が常にトップであったわけではない。

 そういうようなことをわざと書かないことによって彼は、フジモリと日本との関係について何か良からぬものがあるような印象を与えようとしている。

 それ以外にも彼らのような卑劣な連中が意図的に隠していることは色々あるのであるが、それについては「6月の言始」にでも書く事にしよう。


 以上見てきたように、浅野センセイはさすがにマスコミ研究の権威だと感心させられる。読者をたぶらかす情報操作が実にうまい。

 オウムの幹部はその化学の専門知識を悪用してサリンなどを撒き散らして市民を大量に虐殺したが、それと同じで、悪しき専門主義に侵された研究者がいかに凶悪卑劣になれるか、そのことに我々は今後十分留意しておくべきである。



                              なかみや たかし・本誌編集委員


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