金ぴか国家日本


                            中宮 崇


金メッキによってかろうじて保たれている、「飽食日本」の輝き


 私は以前、NHKスペシャル「新・日本人の条件」という番組を見て衝撃を受けた事がある。これは日本人が直面している生活上の諸問題を毎回扱うシリーズもので、その中に、「飽食は悦びですか」という回があった。そこでは、我々の知らないうちに今も進行する、食糧事情の大幅な変転についての衝撃的な事実がいくつも描かれていた。


米を残らず捨てる国日本


 日本は、年間1000万トンもの残飯を捨てているのだそうだ。これは、我が国における米の年間生産量に匹敵する。つまり我々は毎年、収穫された米を丸々捨てているのと同じなのだ。

 しかも、別に聞くところによると、かつては家畜の飼料として引き取られていたこれらの残飯は、今やただ焼却処分されるだけの厄介ものとなっている。これは、人工飼料の発達と価格低下の影響もあるが、それ以上に大きい理由は、「残飯が危なくなった」からだという。

 食後に良く使用されるつまよう枝、最近これが残飯に混入していることが極めて多くなってきており、危なくて豚に食べさせられないというのだ。

 これなどは、我々がほんの少しの常識を働かせていれば、「1000万トンのゴミの山が1000万トンのお宝の山に変りうる」という好例であろう。

 ちなみに、残飯1000万トンというのは、我々が手に入れている食料全体の2割に相当する。日本人は常に、20%の食料を捨てているのだ。

 ある学校給食関係者はこう言ったという。


   学校給食は、PTAから「足りないのではないか?」とクレー
   ムが来る事があるので、いつも10%増しの量を届けており、
   毎回10%が残飯として残る。


 日本のPTAは、今まで何か、ためになることをした事があるのであろうか?


やせ細る野菜


 「最近野菜がまずくなってきたな〜。昔はもっと美味かったのにな」と言うあなた。あなたは正しい。日本の食料、特に野菜は、確実に不味くなってきている。ただ不味くなってきているだけではなく、栄養的にも劇的に価値を失ってきている。

 例えばごぼう。昔に比べて食物繊維は半分、ビタミンCは4分の1になっている。また大根も、食物繊維で半分以下、ビタミンCで4分の1と、野菜の栄養価は全体的に急激に低下しているのだ。

 我が国には「成分表」と呼ばれる、食料品ごとに一般的な栄養価を表にした分厚い本が有り、学校給食等はそれをもとに栄養価を計算している。ところが、上で見てきたように、「成分表」の数値は既に実状と全く合わないという事態になっている可能性が高い。これでは「書類上は栄養満点」の食品を毎日食べさせられた挙げ句、栄養失調になってしまうという事になりかねないのだ。

 なぜこのような事になってしまったのだろうか?無理な促成栽培、連作による地力の低下、品種改良等が考えられる。いずれにせよ、我々が食べ物の見かけだけしか気にしないという今の状況が続く限り、野菜たちはさらにやせ細って行くであろう。


生産者の都合で改造される食料


 我々が日々口にしている食料は、我々の知らない間に数年のうちに、劇的に変化していっている。

 例えばりんご。昔はすっぱい物から甘い物まで様々な種類があった物であるが、今や数種類の甘い品種だけになってしまった。

 同じ事はトマトについても言える。これはりんごなどよりも遥かに極端で、今やほぼ一品種だけになってしまった。

 日本においては「甘さ」が常に求められている。これは果物だけではなく、野菜においても例外ではない。その結果として日本の生食用トマトは、もっとも甘い一品種以外はほとんど駆逐されてしまっている。

 野菜が改造される理由は、その味だけではない。農家の都合によっても野菜はいじくられ、知らないうちに在来種が消えてしまう。

 代表的なのは大根である。大根は今や、青首大根により市場を席巻されてしまった。十数年前までおでん屋の屋台を賑わせていた辛みの効いた三浦大根は、ほぼ完全に消えてしまった。この変化は、たった2年の間に起こった事だという。

 青首大根は不味い。特におでんにした場合、三浦大根の奥の深い味わいには絶対にかなわない。ところが市場を支配してしまったのは、不味い青首大根だ。なぜか?

 理由は、「運びやすい」からだ。三浦大根は、大きくて形がいびつで、扱いにくい。ところが青首大根は、スマートで積み上げやすく、何といっても段ボールや買い物篭にぴたりと収まるサイズなのだ。

 つまり、農家とスーパーの都合によって、我々はいつのまにか不味い大根を押し付けられているのだ。


消費者の無知による改造野菜


 にんじんも改造されつつある。かつてのにんじんは、表面がごつごつしていて、輪切りにすると中に黄色の輪があった。ところが最近のにんじんは、表面がすべすべしており、輪切りにしても黄色い輪がない。そして、形と大きさが実に良くそろっている。

 これは、消費者のニーズによる物だ。そろった大きさでないとクレームをつける消費者、ごつごつした形を嫌う消費者、切ったときに色がそろっていないのを嫌がる消費者…、そういった消費者におもねった結果が、にんじんを変えてしまう事になったのだ。

 同様の事はきゅうりについても起きている。かつてのきゅうりは、表面にイボイボがたくさんあって、うっすらと埃っぽい粉がかかったようなものであった。そして何よりも、よくひん曲がっていた。

 ところが、曲がった物を嫌う消費者、イボイボを「気持ちワル〜イ」などという消費者、「これ、埃がかかっているんじゃないの?」などと言う無知な消費者が、きゅうりを変えた。

 現在のきゅうりは「ブルームレスきゅうり」と呼ばれる物が主流である。これは、表面が埃っぽくなくワックスをかけたようにテカテカで、イボも無く、曲がる事も少なく、そして不味い。

 かつて私が子どものころは、おやつにきゅうりをかじった事もあるものだ。私は別に、戦争中の生まれではない。20代の(一応)若者だ。十数年前までのきゅうりは、子どものおやつになるほど甘く、美味かったのだ。今、きゅうりを丸かじりにして「美味い」と感じる人間はいないであろう。


 日本は、食うに困らない国である。世界中のあらゆる物を、一年中いつでも食べる事ができる。貧しい国々の人々の目には、それこそ「黄金の国ジパング」として映るであろう。ところがその内情は、ここで見てきたようにまことにお寒い限り、ほとんど「空洞化」と言っても良いほどのものである。日本のきらめく姿は、実はただの金メッキによるまがい物の輝きにすぎないのだ。

 つかの間の繁栄を謳歌する「黄金の国ジパング」、世界の人々はやがて、


   今はもう有りませんが、昔、「金ぴか国家日本」という国が有
   りました…


と子どもに語り継ぐ日がくるであろう。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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