不ぞろいでない林檎たち
中宮 崇
日本人の都合により、工業製品のように規格化され捨てられてゆく食料
詐欺師が支える日本の胃袋
近年、外食産業を中心に、アジア太平洋地域を中心とする海外からの食材調達が活発である。ファミリーレストランのメニューは、もはやアジアの貧しい農民たちの働き無しには成り立ち得ない。
外食産業では特にそうであるが、日本では食材の「大きさ」、「形」、「鮮度」が極端に重視される。これは世界的に見ても極めて特殊な傾向であり、ほとんど宗教と言ってもよいかもしれない。
当然その悪癖は、海外との取り引きの場合にも現われてくる。日本の企業がアジアの農民から野菜を買いあげる場合、少しでも形が整っていないもの、色の悪いもの、傷のあるものは全く引き取られない。それだけでなく、大きさについてもほとんど病的と思えるほどの基準が決められ、それに少しでも当てはまらないものは見向きもされない。
例えば玉ねぎ。日本企業が玉ねぎを海外で調達する場合、大きさは7センチ〜8センチのものしか引き取らない。つまり、許容範囲がわずか1センチしかないのだ。それ以外の玉ねぎは、ほとんど捨てられてしまう。
玉ねぎは大量に摂取すると多くの生物にとって害があるため、家畜の飼料にすることも出来ない。そのため、人間によって食べられない分はまるまる捨てられてゆく。
日本人が買ってくれなかった玉ねぎは、現地の市場には一部しか流れない。なぜならば、わざわざ町の市場に持って行って売る方が、捨ててしまうよりも損になるからだ。
日本人の食材への病的なこだわりにより、引き取り拒否をされた「規格外品」が現地の市場にあふれている。その結果、価格が生産・流通コストを大幅に下回ってしまうという事態が発生している。タイなどでは、1kg当たり10バーツであった玉ねぎの価格が、2バーツにまで下落してしまった。ちなみに、栽培コストは1kg当たり3バーツである。これでは、作れば作るほどタイの農民は損をする事になる。トラックに載せて町に売りに行こうとすれば、さらに費用がかさむ。勢い、せっかくできた玉ねぎの多くが、ただ捨てられてしまう。
「日本人の持ちかける儲け話に簡単にのってしまった農民が悪いのだ」と考える方もいるかもしれない。しかし、日本の企業は、ほとんど詐欺的な手法で農民たちを騙しているのだ。
前述の、玉ねぎの厳しい規格の話、実は最初は、もっと基準が緩かったのだ。最初のうちは7センチ〜9センチのものは引き取っていたくせに、翌年になると突然、「今年からは7センチ〜8センチまでのものしか引き取らない」と言い出す。
その結果、「規格外玉ねぎ」が現地の市場にあふれて玉ねぎ価格を暴落させ、結果として、日本企業の玉ねぎ買い取り価格も低下する、そういう仕組になっているのだ。これでは、19世紀の植民地時代のイギリスなどと、全くやっている事が同じである。
少なくとも、我々の多彩な食生活が、そのような詐欺師達の「努力」の上に成り立っているのだという事を常に、気に留めておくべきである。
怨まれる日本
このような詐欺的な手法だけでも、現地の農民たちを怒らせるには十分である。特に忘れてはいけないのは、今日本の外食産業が進出して行っている国々は、ほんの半世紀前まで、始めは欧米の、次には日本の植民地支配下にあったという事だ。
彼らの父母やそのさらに上の世代は、列強の企業によるかつての悪どい「買いたたき」を今でも覚えている。それと似たような事を合法的に「スマートに」行う日本企業。「日本植民地主義」、「大東亜共栄圏復活」等の批難が巻き起こりはじめるのは、そう未来の事ではあるまい。
また、大きさ、色等に異常にこだわるブローカーの姿を見た農民たちは、「日本人は、なんと贅沢でわがままな人たちなのだろう」と思う事であろう。何しろ彼らは、玉ねぎが大きかろうが小さかろうが、色が赤かろうが黄色かろうがまったく気にせずに日常を送ってきたのだから。
「ちょっと大きいから食べない」、「ちょっと赤みがかっているから食べない」という日本人達(実際には、ブローカー達がそう言っているに過ぎないのであるが)の話を聞いた現地の人たちに、そして作物を買いたたかれる人たちに、「怒るな」と言う方が無理だ。ましてや農民たちのほとんどは当初は、日本と取り引きできるという事で自分たちの未来に明るい希望と大きな夢とを抱いていた人たちだ。それが見事に裏切られた。中には、将来の収入を見込んでローンで大きな買い物をしてしまった人たちもいるに違いない。そういった人たちの怒りは、さらに激しいものとなるであろう。
94年の大規模な米不足の折、タイ米の緊急輸入が行われた。その時の日本人たちの反応も、タイ人たちは未だに忘れてはいない。
タイ米の特性を無視した調理をしておいて「不味い、臭い!」とののしる消費者、それを利用して、「タイ米は不味い!だから輸入するな!」と奇声を上げた日本の農民、悪乗りして「タイ米にねずみの死骸が混入していた」などという怪しい噂を垂れ流した共産党や朝日新聞。
ついにはタイ米は、法律違反の抱合せ販売が堂々と横行した挙げ句、林やゴミ捨て場に大量に捨てられていった。それでもタイ米はさばききれず、いまでも大量に倉庫に積み上げられたまま朽ちてゆこうとしている。
人は、自分たちが作ったものに対しては多かれ少なかれ誇りを抱いているものだ。日本人は、タイの農民たちが作った「商品」をあしざまに言い、彼らの誇りを踏みにじった。この報いは、いつか必ず跳ね返ってくる事であろう。
「きれいな」日本米
94年、私は非常に貧しかった(今も十分貧しいが(笑))。そのため、タイ米以外のものを口にする事は出来なかった。3度の食事が常にタイ米だけ。香の物も味噌汁もなし。しかし、フライパンで炒めて醤油や胡椒で味付けしてと、結構おいしく食べさせてもらったものだ。
日ごろ「国際化」などと偉そうに言っていたマスコミは、国民に「おいしいタイ米の食べかた」を徹底させようとは、ついにしなかった。今や、どこの米屋を探しても、タイ米は見つからない。
さて、その貧乏時代、私は「お米には虫がわくものなのだ」ということを生まれて初めて実感させられた。最初に買ってきたタイ米10kg袋が、10日後にはコクゾウムシだらけになってしまっていたのだ。
その後もタイ米は、10日目あたりになると必ず虫がわきはじめた。米はいつも10kg袋を買ってきて1ヶ月ほどかけて食べつないでいた私にとっては、これは衝撃的な事であった。日本米で虫がわいた事など、それまでただの一度もなかったからだ。
なぜタイ米には短期間で虫がわき、日本米には1ヶ月以上も虫がわかないのか?「日本米は、管理が行き届いているからだ」と主張する者もいる。しかし実際には、日本米が農薬まみれであるためというのが本当の理由であるようだ。
一度試しに、タイ米にわいていた虫をわざと、日本米の袋に入れてみたことがある。ところが彼らは繁殖するどころか、いつのまにか消えてしまっていた。注意して欲しいのだが、これは「精米後」のお米の話である。いつも我々が買ってきて、あとは磨ぐだけになっている「あの」白米の話である。そのお米が、虫の繁殖をストップさせる効果を持っているのだ。これがどれほど恐ろしい事であるか、お分かりになるであろうか?
最近、若い主婦たちの中には、ろくにお米を磨がずに炊いてしまう者がいるそうだ。また、「米はあまり磨がない方がうまみが出る」などという「グルメ」もいる。彼らは毎日、殺虫剤を炊いて食べているのと同じなのだ。日本の子供たちは朝日新聞などによって精神的に蝕まれているだけではなく、親たちの無知によって体も蝕まれているのだ。
虫がわいた米なんかを見ると、「きゃ〜!」などと言って袋ごと捨ててしまうであろう日本の病的な「デオドラント文化」。数十年後、タイ人たちは、体がぼろぼろに蝕まれてしまった日本人の姿を見て、「そら、見たことか!」と痛快に思う事になろう。
アジア太平洋地域の農家の庭先では今、日本人に引き取ってもらえなかった大量の野菜が野積みにされ、腐敗していっている。その強烈な悪臭を嗅ぐたびに彼らは、日本人によるひどい仕打ちを思い起こす事であろう。
生き物である野菜たちを狭い型にはめようとし、型に合わないものはためらう事無しに捨て置く日本企業。消費者も決して責任無しとは言えまい。
どこかの環境団体や市民運動のように、「生き方を変えろ!」とは言わない。しかし、そういう現実があるという事だけは常に、忘れてはいけない事なのではないであろうか?
全ての食料を、同じ大きさ、同じ形、同じ色、同じ鮮度にそろえないと気が済まない日本。「不ぞろい」を認めない国日本。「不ぞろい」が排除されているのは果たして、食べ物だけなのであろうか。
なかみや たかし・本誌編集委員