「護憲派」の飽くなき食欲


                         中宮 崇


「見解の相違」というせりふの安易な使用は、日本にはびこる詐欺師や狂人をのさばらせる!


 この世の中には、様々な人々が住み、その信じるものや考え方も多種多様である。であるからこそ、ある一つの社会問題についても様々な立場の主張が発生するのである。

 しかし日本においては、ただの詐欺師や狂人が「正義」や「人権」、「平和」と言ったような美しい言葉を隠れみのにして、単なる「見解の相違」としてかたづける事が出来ないような、市民に対する犯罪的な活動を日々行っている。


ある狂人あるいは詐欺師の話


 旧社会党を始めとする左派や、朝日新聞を始めとするメディア、市民団体等のいわゆる「護憲派」は、憲法第九条に手放しで賛成である。そして当然のごとく、現在の自衛隊保有やPKO派遣等には事あるごとに反対している。中には、完全なる軍備撤廃を唱えている者もいる。

 彼らは、「国際社会(国際世論)」という曖昧模糊とした存在の「良識」というものに全面的に信頼を置いている。つまり、


   たとえ軍備を全廃しても、日本を侵略しようと行動する国が
   あるはずが無い。世界の国々はみんな良識を持っているし、
   だいたい、そんな暴挙を試みる国を他の国々や「国際世論」
   が見逃すはずが無いのであるから。


 世界には、軍備を保有していても侵略されている国がたくさんあるという事実を考えただけでも、彼らの言い分は十分「妄言」として成立するのであるが、他の問題における彼らの発言や言い分を見てみると、連中の本質が狂人か詐欺師のそれであるということがよく分かる。

 試しに、連中の農業・食糧問題に関する考え方を見てみよう。


   世界の国々は、食料を戦略的な武器として使うほど狡猾で
   悪どい。日本が食糧を自給しないと、彼らはますますその優
   位な立場を利用して日本に無理難題をふっかけるであろう。
   世界の国々の「良識」などに期待してはいけない。


 憲法論議のときには「世界の良識を信じましょう」などと説いておいて、食糧問題の話になると手のひらを返すように、「世界の良識を信じてはいけない」などと言う。彼らのような人間が居るべきところは、精神病院か刑務所である。

 一体彼らは、世界の良識を信じているのか信じていないのか、どちらなのであろう?信じると言うのなら、軍備の全廃も良かろう。しかし同時に、食料の自給などを主張する根拠は何も無くなる。一方、良識を信じないと言うのなら、確かに食糧のある程度の自給も必要であろう。しかしそれならば、軍備の全廃などという馬鹿なことは言うべきではない。


「一国飽食主義」


 社会党、朝日、市民運動等はよく、「一国平和主義」などという批難を受ける。しかし、彼らの食糧問題に関する主張を見てみれば、「一国平和主義」などというそんな生易しいものではかたづけられないことが分かる。

 「一国平和主義」とは、「他の国が戦争に巻き込まれようが、日本さえ平和であれば全然問題無い」という意味で使われるが、連中の本音は、さらにエゴイスティックなものである。

 彼らは、食糧を自給せねばならない理由として、時として以下のようなことも言う。


   世界の食料生産は、世界の人口の増加にとても追いつかな
   い。このままでは深刻な食糧危機が発生するであろう。そ
   のような事態に備えるためにも、日本は食料の自給率を上
   げて行くべきである。


 この主張に含まれる強烈なエゴイズムにお気付きであろうか?彼らのこの主張を意訳するとこうなる。


   将来、世界が食糧危機に見舞われても、日本は自分たち
   だけで食料を賄えるようにしておけば、世界中の人々が
   飢えて苦しむ中で、自分たちだけは腹一杯食うことができ
   る。是非そうしておくべきだ。


 冷徹な国際政治の舞台においては、「一国飽食主義」とでも言うべきこのような冷酷な考え方も排除すべきではないのであるが、「世界の良識を信じましょう」とか、「世界に平和を!」などと口を開くごとに唱えている連中が言うべきことであろうか?

 結局のところ、彼らの主張は、自分のことのみについてしか考えようとしない、エゴの固まりのようなワガママ人間の、御都合主義的な戯言にすぎないのである。

 別にエゴが悪いとは言わないが、最低限、自分たちのエゴを満たすためだけに「平和」等の言葉を悪用すると言う卑劣な行為だけは止めるべきであろう。


 この日本に腐るほど存在する、「人権派」、「市民派」などという仮面をかぶった詐欺師や狂人達。本来ならジャロに訴えられても仕方が無いようなこの手の異常人格者達を見分ける一番の方法は、各種の問題における彼らの主張を全部並べてみることである。もともと彼らのような人間は思慮が浅いので、ここで見てきたような、方向が180度完全に異なるようなことを平気で言っていたりすることがよくある。

 日本ではよく、意見や主張の食い違いを「見解の相違」などと言って簡単に放置してしまう傾向がある。確かにいくら話し合っても埋まらないような「見解の相違」は存在するのであろうが、そう言って論争を放棄する前に、相手の言っていることをもっと吟味するべきだ。そうすれば、実は相手が、単なる詐欺師や狂人に過ぎないという事実が暴かれることもあるのであるから。
 「護憲派」と称される連中も、御大層なお題目を唱えるのは止めて、「世界の人々が戦争や飢餓で苦しんでいても、自分たちだけは平和で安楽に、腹一杯食べてゆく生活がしたいだけなのだ」と、もっと正直に言えば良いのに。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


前のページへ