本来の姿、それは吸血鬼
中宮 崇
ある時は銀行、ある時は商社、そしてその実態は…
全国に2000以上もの組織を抱え、900万人近い膨大な数の組合員を抱える巨大組織、農協。彼らは現在、各方面から様々な批難を浴びているが、奇妙な事に、彼らの本来の仕事である「援農」に対する批判は少ない。批判の多くは、「銀行や商社みたいな仕事はさっさと止めて、本来の姿に戻れ!」というものである。
しかし、本当にそのような批判だけで十分なのであろうか?「本来の姿」である「援農」の機能には、何の問題はないのであろうか?
農協はむしろ、「本来の姿」とかいう「援農」にこそ、日本を危機に陥れかねない数多くの問題を抱えているのだ。
巨大利権の実態
農協に対しては現在、「援農」という本来の機能を忘れたその「商社的」体質から、住専問題に伴う「政商的」体質まで、様々な批判があるが、本来の機能である「援農」についても、問題は山積しているのである。
例えば、全国の農協は、組合員向けに「防除暦」と呼ばれる表を作成し、配布している。これは、一年のいつ頃に、どの農薬をどのように散布したら良いかを事細かに記した、「農作業カレンダー」とでも言うべきものである。
防除暦は、各作物ごとにこと細かく作業を指定しており、同じ作物でも農協によって、使用を指示されている農薬の種類や量は異なる。
日本に存在する数多くの農薬会社が扱う、星の数ほど存在する農薬。中には、効果のほとんど変わらない似通ったものもたくさんある。それらのあまたの農薬の中からいったい、どの農薬を防除暦に載せて、農民に使用を薦めるか、それによって、農薬会社の利益が大きく左右される事は明らかであろう。
また、農薬そのものを農協で扱ってくれるかどうかも、農薬会社にとっては一大関心事である。
全国の農家は、農機具や農薬等の購入のほとんどを農協を通じて行っている。従って、農協が扱ってくれない農薬は、商業的な失敗を約束されたも同然なのである。
このように、農薬会社の運命を左右するほどの巨大な力を保有している農協であるが、防除暦の作成や、扱う農薬の種類の決定の過程などは極めて不透明である。
ここで、当然誰でも予想してしかるべき事態が発生する余地が生まれる。つまり、農薬会社から農協有力者への、利益供与、はっきり言えば贈賄である。
農薬の開発は、極めて長い時間と膨大な費用を必要とする、極めてハイリスクの投資である。最低10年の期間と20億円の費用が必要なのだそうだ。しかも、これだけの労力を傾けたとしても、「使い物になる」新しい農薬を開発できるかどうか、確実な事は言えない。
20億円の投資。それによって運良く、新しい農薬を開発する事が出来たとする。ところがせっかく出来た新商品も、買ってくれる顧客が誰もいないと全く意味が無くなる。そして、顧客を確保できるかどうかは、農協の決定一つにかかっているのである。
20億円の投資。それが無駄になるかどうかが、農協の有力者の気まぐれ一つにかかっているのである。20億円が回収できるのなら、彼らのご機嫌を取るために1億円の鼻薬を用いたとしても、それほど大きな出費ではあるまい。全国に散らばる2千以上の農協の数を考えれば、影でどれほどの金が動いているか、想像に難くはあるまい。
責任回避が日本を汚す
さて、防除暦に話を戻そう。今仮に、あなたが農民で、農協から配布された防除暦に従って農薬を散布したとしよう。ところが、農協の言う通りに大量の農薬を買って使用したにもかかわらず、作物に病気や虫害が発生したとする。あなたは一体どうするか?農協に対して文句を言うのではないか?「おまえたちの言う通りにやっていたのに、被害が出てしまったではないか!どうしてくれる!」と。
こんなクレームが来た時、農協は一体どうするか。改善のためにどのような対策を採るであろうか。答えは簡単である。「使用する農薬の量を、さらに増やす」のである。
農協と農薬会社との影での馴れ合いの結果せっかく決定した農薬の種類を、おいそれとは変更する事は出来ない。「投資」を裏切るようなそんな「不誠実な」農協は、いくら農薬会社でも今後信用しなくなるであろう。勢い、選択肢は「更なる使用量の増加」という所に落ち着く。そうすれば、農協にとっても農薬会社にとっても、めでたしめでたしなのであるから。
実際農協は、そういった農家からのクレームがくる事を見越して、適量を遥かに越える過大な量の使用を、あらかじめ防除暦に織り込んでいる。ほんのわずかな病気や虫害を100%完全に消し去るために、適量の数倍の農薬の使用が、毎年農家に指示されているのである。
これによって、消費者は二重の打撃を受ける事になる。何しろ、農薬の過剰使用に伴う農産物価格の上昇を押し付けられた挙げ句、より高い危険レベルの残留農薬にまみれた農産物をつかまされるのであるから。まさに、踏んだり蹴ったりである。
「農協の本来の姿、それは援農である」と人は言う。しかし、本当にそうであろうか?そもそも農協などというものが存在する必要があるのであろうか。世界の穀倉であるアメリカに農協があるか?そんなものはない。それでもアメリカの農家は、自分たちの力で農薬や農機具を買い、自分たちの力で作物を管理・栽培し、自分たちの力で作物を売っている。
日本の農協のように、高い農機具や過剰な量の農薬を農民に押し付け、出来た作物の多くを独占的に買い上げて流通させる農協。そんなものが本当に必要なのであろうか。
現に、ここで見てきたように、「防除暦」の作成という、農協の「本来の」お仕事の中のほんの一部を見ただけでも、その計り知れない害悪の大きさに唖然とさせられる。人々が口をそろえて言う「本来の姿」。その「本来の姿」そのものが悪の源となっているのだ。消費者はもちろんの事、農民でさえも、農協が生き延びる事によるメリットは、もはや無い。
いまや農協は、「本来の姿」などというものに戻る必要は全くない。この巨大利権組織に必要な唯一の対策、それは「速やかな解体」である。
なかみや たかし・本誌編集員