卑しんぼ
中宮 崇
雁屋哲の脳みその大きさは、ムツゴロウレベルである!
雁屋哲と言えば、日本のグルメブームを煽ったエセグルメマンガ『美味しんぼ』の原作者としても有名である。彼の馬鹿さ加減は、そのころから有名であったが、本誌創刊準備号記事、『週金を撃つ!』でも批判したように、最近では『週刊金曜日』なるデマゴーグ誌においてパクリ漫画家シュガー佐藤と組んで、『蝙蝠を撃て!』なるトンデモマンガを連載している。
その雁屋センセイ、最近発売された雑誌『現代』の8月号において、ただでさえ軽くて小さかった脳みそを、ついに自らムツゴロウレベルまで退化させてしまった。
彼は同誌において、
「ムツゴロウがあの世で呆れる政争」
雁屋 哲
と題した記事を書いているのであるが、その書き出し部分がこうだ。
おいら、ムツゴロウ。と言ったって、三週間前に死んでしまっ
たんで、今のおいらはムツゴロウの幽霊だ。
つまり彼は、自らを、外海から閉め切られた諫早湾の干潟で干からびて死んでしまったムツゴロウの幽霊に擬して、諫早問題について語っているのである。
まあ、雁屋哲程度の知性を持ってしては、こんな陳腐であざとい手法に走ってしまうのもやむを得ない事なのかもしれないが、手法だけならともかく、何も知性までムツゴロウレベルにまで落として書く事はあるまいに。
「干潟の中のムツゴロウ」
日本には、「井の中の蛙」というまことに示唆に富む格言があるが、ムツゴロウ雁屋の貧弱な知性を表す言葉は、「干潟の中のムツゴロウ」と言ったところか。さすがにムツゴロウだけあって、諫早湾以外の日本の自然については全く無知であるようだ。無知なら無知で構わないし、無知である事自体は何も悪ではない。私だって、例えば材料工学などについては全く無知だ。
しかし、無知なくせにその無知な分野について、偉そうに知ったかぶりして嘘を撒き散らすことは、間違いなく悪である。ムツゴロウ雁屋は、記事において、そういう悪事を平然と働いている。
例えば、以下の言。
何が驚いたかって言うと、日本てえ国の汚い事だ。
都市も汚いがおれらムツゴロウには関係ない。心底驚いた
のは、日本の海と川の醜さだよ。川という川は、岸をコンク
リで固めちまってある。山も川もぶちこわしてダムが数珠繋
ぎになってやがる。ありゃ、川じゃねえや。ドブだあな。
何が驚いたかって言うと、雁屋の品性の汚い事だ。私は北海道の出身で、子どものころはよく川で水遊びをしていたものであるが、ムツゴロウ雁屋に言わせると、私はコンクリートで固められたドブで遊んでいたのだという事になる。はて?そのころ私は、自分の遊び場がコンクリートで固められていたなどということは全然気付かなかったが。
雁屋はそもそも、基本的な事実認識の時点で間違っている。「川という川」がコンクリで固められているなどという事実は存在しない。コンクリで固められている部分は日本全体を見ても、住宅密集地などの、人口が集中している河口部分だけである。ちょっと溯ったり、田舎に行ったりすれば、川はコンクリで固められてなどいない。
実際、私の出身地の人口20万人ほどの都市、北海道釧路市の中心部を流れる旧釧路川は(別に「新釧路川」というのもある)、コンクリで固められているのはせいぜい、河口部の数キロに過ぎない。しかも注意しなければならないのは、それらの部分はほとんどすべて、港として利用されているという事である。港への需要が無ければ、コンクリ部分はもっと少なくなっていたことであろう。
さらに、最後の部分の「ありゃ、川じゃねえや。ドブだあな」との言い草は何だ?日本の川がたとえドブ川であったとしても、それはダムなどのせいではあるまい。生活廃水や工業廃水が原因である。「ダム湖がドブだ」というのならまだ分からない事はないが、「川がドブ」とは、ムツゴロウ雁屋はいったい、どこの川を見てそう思ったのであろう?
ムツゴロウ雁屋の「干潟の中のムツゴロウ」的、羞恥心無き妄言は、さらに続く。有りもしない「川という川はコンクリで固められ」などという事実に腹を立てた挙げ句、こんなことまで言っている。
日本人が、自分たちの国土が世界に例がないほど醜いって
ことに気付かねえのは、自分自身がよっぽど醜いからなん
じゃねえのか。
さすがに、グルメ狂想曲で日本人をたぶらして大金を手に入れ、それをもとにオーストラリアに移住などしてしまった人間の言う事は違う。
しかし、海外に住んでいるくせに、日本の川と海外の川との間の性質の違いについて全く気付いていないとは、さすがにムツゴロウ程度の知性の持ち主だけの事はある。
海外から来た人間は、日本の川を見て驚く事が多い。「日本の川の流れは、何と激しいのだ!」とびっくりすると言うのだ。
確かに、黄河とかライン川、アマゾン川、そういった世界中の川を見てみると、実に流れが穏やかでゆったりとしている。ほとんど、流れているのかいないのか、分からないような事さえある。
こうした川の性質の違いを無視し、雁屋は、「日本の川はコンクリで固められて醜い。きっと、日本人が醜いからだ」などと阿呆なことを恥ずかしげも無く言っているのだ。
日本の川は、その流れの激しさが災いして、古来から水害等に見舞われやすいだけではなく、その川の流れるところ自体が変化していっている。つまり、同じ川でも、昔と現在では全く、地図の上では形や場所、川筋が変わってしまっているといった事が珍しくないのだ。
つまり、コンクリで固められていない川は、数十年後には、どんどんと移動していってしまうのだ。こうした事情から、「せめて河口の人口密集地だけは」ということで、コンクリで固められている。そうしないと、水害の脅威にさらされるのはもちろんの事、そのうち、現在家が立っている土地自体が無くなってしまうからだ(もっとも一方で、その代わりの新しい土地ができるが。それにしても、家が川に流されてしまって土地もなくしてしまう人間にとっては、何の慰めにもなるまい)。雁屋は、「日本人は、河口に住むな!」と言っているに等しい。
世界中どこでも、都市は河川の河口部分で発達している事が多い。海外のゆったりした流れの川なら、コンクリで固めるような大袈裟な改修工事はほとんど必要ないが、「急流」の日本の河川とともに暮らすためには、改修工事は必要不可欠なのである。ムツゴロウ雁屋は、海外でいったいどこを見ているのであろう?せっかくの恵まれた環境も、住んでる人間の目がフシアナでは、宝の持ち腐れといったところだ。
そのフシアナ雁屋は、諫早を閉め切っている水門についてこう言う。
おいらあれほど醜悪な建造物は世界中に滅多にないと思
うね。
そりゃあ、世界を見る事のできる立場に有りながら目も心も閉じてしまっているフシアナ雁屋にとっては、目の前の諫早水門しか目に入らないのであろうが。彼にとっては諫早のみが「世界」なのであろう
あばよ、雁屋
ムツゴロウ雁屋は、「あばよ、日本」という節で、こんな事を言っている。
おれらをだしに使って、ムツゴロウが可哀相だなんて言うや
つがいる。
散々おれらの仲間を食っちゃ、旨い、旨い、と喜んでいた奴
等が、ムツゴロウが可哀相だ、たあよく言えたもんだなあ。
わざわざここで、ことさら「あばよ、日本」などと言わなくたって、グルメブームで荒稼ぎした雁屋センセイはすでに、日本から「あばよ」してしまっているのであるが、「おれらの仲間を食っちゃ」とは何事か。雁屋センセイのように、禁猟の野鳥まで食すようなグルメなら、ムツゴロウも食った事があるのかもしれないが、「ムツゴロウが可哀相」と言っている馬鹿な環境保護派どもの中で、一体どれだけの人間がムツゴロウを食べた事があるというのだ?
かつて、フランス革命時に(奇しくも)ギロチンの露と消えたフランス王妃マリー・アントワネットは、「パンをよこせ!」と詰め寄る飢えた民衆を見て、
パンがないのなら、お菓子を食べれば良いではないの?
と言ったと伝えられている。恵まれた人間は得てして、下々の人間たちの実状を理解していない(出来ない)という好例であるが、グルメ長者の雁屋センセイも、自分がムツゴロウを散々食い散らかしたからといって、自分と同じように日本人が一般的にムツゴロウを食しているなどと考えていては、マリー・アントワネットと同じ穴のむじなであろう。確かに「ムツゴロウ可哀相派」は馬鹿ではあるが、雁屋がするような批難を受けねばならない理由は何もない。
さらに、ムツゴロウ雁屋は、自民党の森総務会長の言を取り上げて、こう言っている。
そんな、おトンカチなこと言うから、自民党の総務会長の森
とかいうおっさんに、「ムツゴロウが可哀相というのなら、タ
イやヒラメは可哀相ではないのか」、だなんて馬鹿げたヤジ
を飛ばされるんだ。だけどさ、ものを考える力が少しでもあっ
たらとても口に出来ないヤジだねえ。
なるほど、ムツゴロウ雁屋は、自分には「ものを考える力がある」と考えているようだ。ならば、私のような「ものを考える力」が少しもない人間にも分かるように、どうして森の発言が「馬鹿げたヤジ」なのか、その理由をきちんと説明して欲しいものだ。それもせずに(できずに)、「馬鹿げたヤジ」だの「ものを考える力がない」だのと、好き勝手な事をほざくものではない。
ムツゴロウ氏は、亀井建設大臣も以下のように批判している。
極めつけは、亀井とかいう建設大臣だ。「ムツゴロウも大切だ
が人間も大切だ」と来たよ。これだけ物の分からない人間も
珍しいや。
自分の主張の正当性を、きちんと言葉に表して説明できないくせに、他人のことを「物の分からない人間」などと言い捨てるとは、全くお笑いである。今までの、貧困な知性を原因とする彼のデマの大量生産のことを考えれば、「物の分からない」のはむしろ、雁屋の方だ。
亀井のことを「物の分からない人間」とまで放言した雁屋は、その根拠を以下のように説明している。少し長くなるが、引用してみよう。
いいかい、あぶねえのは、あんたら人間なんだ。諫早湾から
いなくなったのはおれらだけじゃない。他の何十種類という
魚類もいなくなった。蟹も、蛸も、貝も、ゴカイも、海牛もい
なくなった。海草も消えちまった。もう、海鳥も飛んでこない。
虫も来ない。早い話が、命あるもの全て消えちまったんだ。
次はあんたらの番だよ。
長いので、ここで一度切ろう。いい加減に嘘をばらまくのは止めて欲しいものだ。「諫早から命あるもの全て消えた」だと?馬鹿も休み休み言え。雁屋は、蟹や貝といったもの以外は、「命」として認めない差別主義者なのであろう。
諫早湾が駄目になっても、有明海全体でいえば大したこと
はない、なんて高をくくったら大間違いだ。生態系ってのは
どこか一ヶ所に変化が起きたら、全体に影響が出てくる。諫
早湾の死は有明海全体の死への確実な第一歩なのだ。
なるほど、雁屋さんよ、あんたの豪勢なシドニーのお家、きっとオーストラリア全体の死への第一歩なのだろうね。
こんな勝手な信仰を持つのはご自由だが、他人に説明する以上、もっと説得力のある説明をしたまえ。
ムツゴロウ雁屋は、最後に以下のような汚い書き方で、この妄文を締めくくっている。
忘れているようだから言ってやるけど、あんたら日本人も生
物の仲間なんだな。おれらムツゴロウと同じ仲間とは思いた
くないけどさ。
んじゃ、汚い日本、あばよ。
け、けっ。
私としては、雁屋のようなキタナイ人間が日本から「あばよ」してくれるのなら、願ったりかなったりではある。しかし、一見もっともらしい書き方で文章を締めくくってはいるが、そこにいたる経緯が全く支離滅裂で、無知に基づいた嘘にまみれたものであっては、せっかくのかっこいい閉めの言葉も死んでしまうというものだ。
なんにせよ、雁屋のような嘘つきのデマゴーグが、自ら日本に「あばよ」してくれるのは、我々にとっては幸福な事であろう。
なかみや たかし・本誌編集委員