絞り取られる脂(その1)


                            中宮 崇


日本人の脂を絞り取る「環境保護派」は、差別主義のカルト団体である!


 我々は、鯨を奪われようとしている。いや、すでに、ほとんど奪われてしまっている。

 戦後の食糧難の時代特に日本人の重要な蛋白源とされ、遥か昔から日本人の食卓を飾ってきた、安くて美味い庶民の味、鯨は、今や高級料亭でしか見ることは出来ない。

 このような事態が発生した原因は、暴力的活動で悪名高い「グリーン・ピース」を始めとする欧米の「環境保護派」が、日本を始めとする捕鯨国に国際的な圧力をかけて、原則捕鯨禁止にしてしまったからである。


   食は文化である。


 先週号で取り上げたように、食料輸入反対論者は、良くこう言う。「食はその国にとって中心となる文化である以上、他国の人間からとやかく言われる筋合いはない」のだそうだ。

 ところがその同じ連中はなぜか、鯨の話になると急に「食文化主義」をかなぐり捨てる。「鯨を食べてはいけない」などと、突如として日本の伝統的な食文化を破壊する陣営に加わるのだ。そこまで行かなくても、米は「日本の文化だ」などと護るくせに、鯨については傍観の立場をとっている者が多い。

 最近ようやく和解の運びとなった薬害エイズ問題では、厚生省の幹部が「薬害エイズを止めるような積極的なことを何もしなかった」という事で、裁判にかけられている。米についてはぎゃーぎゃー言うくせに鯨については口をつぐんで消極的鯨食反対の立場をとっている連中も、今後、「日本の文化破壊を止めるような積極的なことを何もしなかった」ことによる道義的罪を問われることになるかもしれない


欧米人に奪われた鯨


 世界的に商業捕鯨が禁止されたのは、1982年のことである。鯨資源の適切な利用を目的として1948年に設立されたIWC(国際捕鯨委員会)の場でのことだ。

 鯨は元々、鯨油、つまり脂をとるために捕獲されていた。特に石油がまだ広まっていなかった時代には、重要な燃料であった。日本の鎖国を蹴破った黒船のペリー提督の本当の目的が、アメリカの捕鯨船の寄港先を得ることにあったということは有名な話である。

 欧米では、鯨を食べる文化は一般的ではない。アメリカの夜を照らし出すための脂を搾り取られた後の鯨肉は、もったいないことに、ただただ海に投棄されていた。それに対して日本では、脂を取り肉を食すことはもちろんのこと、皮やひげまで工芸品の材料として有効利用されてきた。その意味では、確かに鯨は日本の文化であった。

 時代が進み、生活レベルが向上するとともに、欧米諸国の鯨油への需要は爆発的に増大した。現在、鯨が保護を必要とするほど激減したのは、このころの欧米の捕鯨船による乱獲のせいである。自分たちの国の周りの鯨を獲り尽くしてしまったアメリカは、日本周辺まで黒船に乗って繰り出してきたのである。つまり欧米は、自分たちの過去の愚行の代償を、江戸幕府に払わせるだけでは飽き足らず、現代の日本にまで払わせようとしているのである。

 商業捕鯨禁止がIWCで可決された82年の時点では、欧米は鯨油をもはや必要としなくなっていた。鯨油を取るために乱獲された鯨を護るという目的で設立されたはずのIWCは、捕鯨とはもはや何の関わりもない国々が、鯨を激減させた張本人たちが、そのまま居座ってふんぞり返り、日本の食文化に対して偉そうにけちをつけ、我々の食卓から鯨を奪ってしまったのである。

 鯨を資源として利用する必要がもはや無くなってしまった国々は本来、資源保護が目的のIWCを抜けるというのが筋であるはずだ。ところが欧米の環境保護団体の働きかけにより、そうした国がそのまま居座り続けただけでなく、鯨からも、いや、それどころか海からさえも程遠いような国々が、捕鯨禁止案採決の直前になって急に、大量に駆け込み加盟をしてきた。

 そうした、破廉恥な欧米諸国と環境保護団体を中心とする勢力の卑劣な陰謀とによって、日本人は鯨を奪われたのである。


羞恥心無き豹変


 以前本誌の従軍慰安婦問題特集では、「自虐史観派」と呼ばれる連中の卑劣極まりない実態を暴いた。その「自虐史観派」の卑劣さの極みは、最初に自分たちが唱えていたことを途中でこそこそと取り下げ、まるで最初から問題の本質は別のところにあったかのように振る舞っているという点だ。

 彼らは最初は、


   慰安婦は、日本軍人によって組織的に、まるで奴隷狩りの
   ように暴力的に集められたのだ。


と言っていたし、そういう「証言」をでっち上げ、特に朝日新聞などはそうしたでっち上げ証言を異様なまでに盲信し称賛して、読者を洗脳してきた。

 ところがそういった彼らの主張がただのデタラメであるとばれてきた昨今は、


   暴力的に狩り集められた証拠は、軍がすべて焼却処分して
   しまったのだ。


とか、


   女性が慰安婦にならざるを得なかったような社会的経済的
   状況を作り上げたこと事態が悪いのだ。


とか、さらにでたらめなことを言って、嘘を嘘で取り繕おうとしている。

 こういう卑劣かつ破廉恥な傾向は、「環境保護派」にも同様に見て取ることができる。

 環境保護派は当初、


   鯨は激減しすぎて、今や絶滅の危機に瀕している。即刻捕
   鯨を止めないと、大変なことになる。


と言っていた。なるほど、それが正しいとすれば、確かに捕鯨は一時的にでも中止すべきであろう。それが「資源保護」というものだ。

 しかし、その後のIWC等による研究によって明らかにされたように、連中の主張は全くのでたらめであることが次々に暴かれていっている。91年のIWC科学委員会による答申では、「現在の鯨の数から考えると、商業捕鯨を全面禁止にする根拠は何もない」という研究結果が公表された。

 このころから環境保護団体は、「自虐史観派」が現在手本として真似ているような、嘘を嘘で塗り固めるという作戦を取り始めた。

 曰く、


   鯨は、高度な知性を持っているので、それを食用にするな
   どというのは野蛮である。

   IWCは「鯨はたくさんいる」などと言うが、実際に鯨の数がど
   のくらいなのかは誰にも分からない。

   日本などによるモリ等を使用した捕鯨方式は残虐であり、
   鯨に必要以上の苦痛を与えている。


 主要なものだけでもこれだけあるが、いずれも妄言にすぎない。それどころか、環境保護派の独善的な反動思想が隠されている、実に危険極まりないものさえある。「環境保護派」と称される連中は実は、「自虐史観派」や「市民団体」、「人権派」と同様に、差別主義のカルト団体に過ぎなかったのである。


                                      続く…


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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