永田町後悔記(その1)


                            中宮 崇


保身と言い逃れに汲々とする、多忙な清美ちゃん


 本誌でも以前少し批判したが、「ピース・ボート」という市民団体がある。直訳すると「平和の船」という意味になるのであるが、その名の通り、客船を借りきって、世界中を見てまわろうという団体である。

 私なんぞには、そういう団体の人たちはよっぽど金と暇が有り余っているに違いないと、実にうらやましく思える。メンバーには学生さんもたくさんいるようで、貧乏な勤労学生の私から見ると、一人数百万円もの旅費をどうしたら捻出できるのか、実に不思議である。まあ、親のスネでもかじっていないとそんな金は出てこないわな〜。

 この団体、今話題の北朝鮮にも先日船で出かけていった。「飢える子供たちを救え!」とばかりに、みんなで一袋づつ米を抱えて。本当に子供たちを飢えから救うのが目的ならば、自分たちで一袋づつ米を持って行くよりも、代表者にまとめて持っていってもらうなり業者に頼むなりしたほうが、同じ費用でより多くの米を持って行けるわけだから、よっぽど沢山の子どもを救えただろうに。もっとも、そう言う合理的な行動をむしろ嫌って、自分たちの手で何でもしてしまおうというのは、日本の市民団体に広く共通する病理ではある。

 さて、その暇人とすねかじり学生の集まりである「ピース・ボート」はつい最近まで、辻本清美なるネーヤンがリーダーの座に就いていた。このショートカットのネーヤン、あの「朝まで生テレビ」にも比較的よく出てきて、毎回大阪弁でまくしたてる。その口癖は、


   あたしらな〜、船で世界中周ってみたんやけど…


 確かに自分の目で確かめるという作業は大切であるが、自分で見てみなければ分からないというのも情けない。人間、実際に見ていなくても、情報を分析して総合的に判断するという能力をつけなければ、いつまで経っても井の中の蛙だ。何しろ、人間が一生のうちで実際に見てまわれる範囲なんて、ごく限られているのであるから。

 それに、「見なければ分からない」という考え方は、裏を返せば「見たものは信じる」ということであり、これではUFO愛好家やオウム信者と同じ穴のむじなである。

 まあ、それは良いとして、その辻本ネーヤン、何を思ったか前回の衆議院議員選挙で社民党比例近畿ブロックから立候補して、なんと当選してしまった。かつての市民運動の雄が、いまや権力の側に身を置くことになってしまったのだ。

 その彼女、あの『週刊金曜日』に毎回、「永田町航海記」なる一種の報告書を書いている。しかし、その内容はほとんどいつも、愚痴のオンパレード。まあ、今までお気楽で無責任な市民団体に身を置いてきた人間としては、かつてエラソーに政治家を糾弾していたことのほんの1%も自分では出来ないのであるから、愚痴を言いたくなる気持ちも分からないことはない。

 さて、その辻本ネーヤン、5/9号分の「永田町航海記」では、


   「割り切れないまま「朝生」“後悔記”」


と題して書いている。

 背景を書くと、ペルー人質事件解決直後の「激論・ペルー事件の教訓とニッポン」と題した「朝まで生テレビ」に彼女が出演したのであるが、「フジモリは強権的だ」とか「話し合い解決をするべきだった」とか、いつものように無責任なことばかり言っていたところ、他の出演者から、「あんたはそんなこと言っているが、ならばなぜ、ペルーへの国会感謝決議に賛成したの?」と指摘されたのをきっかけとしてぼろぼろにされてしまい、結局何も言えなくなってしまった。

 それを「後悔」して、こういう記事を書いたのであろうが、その無責任さの反省は全く見られない。

 記事でも「(事件解決を手放しで喜ぶのは)危険な感じ」とか、「(危機管理論が台頭することに)違和感を感じていた」とか、「私はいまでもフジモリさんにとっては交渉での解決の方が長い目で見たらよかったと思う」とか、「貧困・貧富の差が、やっぱり、原因だ」とか勝手なことばかり言っているが、じゃあ具体的にどうやって交渉すればよかったのか、この手の事件を起こさないためにはどういう対策を取ればよいのか、ペルーの貧富の差を解消するためにはどうしたら良いのか、何も言っていない。そりゃそうだ。犯人であるMRTAが、ペルーの経済政策を具体的にどう修正したら良いのかを指摘することも出来なかったのと同じで、辻本ネーヤンのような連中も、ろくに考えも無しに感情的にものを言っているだけなのであろうから。

 まあ、いくら無責任で卑劣な主張でも、自らそれに忠実に行動するのなら、まだ良い。しかし先に朝生で指摘されてしまったように、彼女は、自らの無責任な主張を貫くほどの信念も思想も持ち合わせてはいなかった。本当に自分の言っていることに人間として最低限の筋を通したいのなら、ペルーへの感謝決議に賛成などするべきではなかったのだ。

 その点が一番問題なのであるが、清美ちゃん、一番重要なこの部分には全く触れずに、グダグダと愚痴ばかり言っている。

 しかも、少しでも自分を恰好良く見せようと必死。例えば、


   私はできなかった事はできなかったと言い、言い逃れや取
   り繕いをせずに間違いを認めることにした


などと言っているが、少なくとも感謝決議の件について言えば、本当に信念を持って「フジモリはいかん!」と思っているのなら賛成してはいけないということぐらい、幼稚園児でも分かることであり、いまさら「間違い」も糞もなかろう。現に彼女は今までにも、社民党の方針や与党としての立場を踏みにじってまで、議案等に反対したということが一度ならずある。今回だけ、しかも法案でもなんでもなくただの感謝決議なのに、「反対できなかった」などという言い逃れは、常識から考えれば出来ようはずがない。

 しかも、前出の「間違いを認めることにした」という記述は、一緒に出演した自民党の鈴木宗男議員に対するあてつけであるのだ。先ほどの引用の直前に、こんな事を書いている。


   隣の鈴木議員は、論理も何もなく、必死に言い返している。


 感謝決議の件を見ても、辻本ネーヤンには論理どころか倫理さえも欠けているのであるから、彼女には鈴木を批判する資格はない。大体、フジモリの武力解決を暗黙のうちに支持している自民党が、感謝決議を擁護するのは当然のことだ。フジモリに反対のくせに感謝決議に賛成してしまった支離滅裂な辻本ネーヤンと、同列に扱うこと自体おかしい。


 批判の対象となった問題の本質を読者から隠し、それについて何の反省もすることなく、同僚を貶めて自分を少しでも偉そうに見せようとする辻本ネーヤン。市民団体の人間のいい加減さと卑劣さを具現化したような人物である。

 さて、その日の朝生が終わった後彼女は、すぐに局を逃げ出してお好み焼き屋に駆け込んだ。朝生は番組終了後いつも、軽食と酒で懇親会を開くのであるが、さすがにいたたまれなくなったのであろう。ところが、せっかく逃げ込んだお好み焼き屋でも、番組を見ていた客に見つかって叱られてしまったらしい。

 最後に彼女はこう言っている。


   政治家になるのはホントに難しい。


あんた今、政治家じゃないの?気分的にまだ政治家になっていないということかな?ならばせめて、歳費ぐらいは返上しなさいな。国民も、えらいのを国会に送り込んでしまったものである。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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