手より先に目を!


                            中宮 崇


日本の危機管理論は、特殊部隊創設に偏りすぎ!


 村山政権の下で数千人もの犠牲を出した兵庫県南部地震のおり、積極的に唱えられた危機管理論。アメリカのFEMA(連邦危機管理局)や、スイスの救助犬などがしきりにマスコミでも取り上げられたものです。

 ところが現在、FEMAのことを覚えている人が、この日本にどれぐらいいるでしょうか?あれだけフィーバーしていたマスコミも、今やどこも扱おうとはしないのですから、日本人のほとんどが忘れてしまっているのも無理はありません。こういう「熱しやすく冷めやすい」のは、日本マスコミのいつもの病気ですから、この問題に関して取りたてて問題にすべき事でもないでしょう。後には、前と何ら変わりない、地震被害に対して脆弱な国日本が残りました。

 同様の事は、今回のペルー人質事件のときにも発生しました。一時しきりに叫ばれていた、「特殊部隊必要論」を中心とする危機管理論も、いつのまにかマスコミの表舞台から退場を余儀なくされてしまったようです。日本にも対テロ専門特殊部隊を創設しようという動きは、いつのまにか立ち消えてしまいました。

 今、テロ組織が日本の重要施設を占拠して人質を取っても、日本にはほとんどなすすべがありません。身の代金を払ったうえに凶悪犯を釈放せざるをえなかったダッカ事件のように、彼等の要求を丸呑みする以外に手はないのです。

 確かにSATと呼ばれる特殊部隊はありますし、先年の日航機ハイジャック事件の時にも活躍しましたが、せいぜい拳銃で武装したハイジャック犯を捉えるのが関の山で、機関銃や手榴弾で武装したテロリストには、とても対抗できるような代物ではありません。

 ところで、これは私が以前から言っている事なのですが、両方の事件を巡る危機管理論を含めて、日本の危機管理論には決定的に欠けている視点があります。それは「情報」というものについての危機管理です。

 いつも、「手」についての危機管理論は、大事件のたびによく巻き起こります。「災害救助隊を作れ!」とか、「特殊部隊を創設せよ!」という主張は、比較的多く登場してきます(そしてすぐに消えてゆきますが)。

 しかしなぜか、「目」についての危機管理論は、ほとんど無視されている恰好になっています。つまり、テロ情報や軍事情報、外交情報を始めとする世界中の情報をどういう風に集めて処理するか、そう言った視点が全く欠けているのです。

 ペルー事件の時も、特殊部隊という「手」を創れという論はよく見られましたが、世界中のテロ組織の情報を集めて処理評価するための組織を創れと言う論はほとんど見られませんでした。

 情報は時に、千金に値します。兵員数において圧倒的に不利であった多国籍軍が湾岸戦争の折、イラクに対して圧倒的な勝利を収める事ができたのは、確かに機械力や装備の優越性もあったでしょうがそれ以上に、「情報」の分野において圧倒的に有利な立場にあったためです。

 イラク軍自慢のロシア製戦車部隊やミグ戦闘機も、多国籍軍がどこにいるのかわからなければ、攻撃のしようがありません。反対に多国籍軍は、人工衛星や偵察機の一方的使用によって、イラク軍が今どこにいて何をしているのか、リアルタイムで手に取るようにつかんでいました。その結果、兵力において勝っていたイラク軍は、多国籍軍による各個撃破作戦と包囲作戦、奇襲作戦の前に手も足も出なかったのです。ちょうど、目隠しをされたヘビー級ボクサーが、普通の大人に決して勝つことが出来ないというのと同じです。

 同様の事は、テロなどについても言えます。テロ組織が実際に人質事件などを起こしてしまう前に、その犯行計画をつかむ事ができたとしたら、事前に警備の強化を行えるばかりではなく、場合によっては彼等のアジトに踏み込んで、未然に事件発生を防ぐ事さえできます。

 一度発生してしまえば、長い時間と多くの犠牲、そして特殊部隊のようなものの投入を余儀なくされてしまうものも、「情報」というものを握っていれば、軽武装の警官隊によるアジトへの手入れだけで済ませてしまうことも出来るのです。日本の危機管理論には、こういった視点がどうも欠けているようです。情報収集のための機関を創るよりも先に特殊部隊を創れなどという主張は、私に言わせれば、「土台を造る前に家を建てろ!」と言っているのと同じように思えます。

 「情報機関」と言うと日本人はどうも、ジェームズ・ボンドの007のような、スパイの華麗な活躍を思い起こす傾向があるようです。また、CIAを「スパイの総本山」と考えている向きもあります。しかし、情報機関の仕事のうちでそういった「非公然活動」の割合は、極めて低いものです。特に冷戦後はそうです。

 現代の情報機関にとってもっとも重要かつ主要な仕事は、偵察衛星とか現地の外交官とか、マスコミなどがもたらす情報を広く集めて、それを評価処理するというものであり、日夜「アナリスト」と呼ばれるYシャツ、ネクタイの男たちが(場合によっては女性も)、端から見れば普通のサラリーマンとあまり変わらないような仕事をしています。もっとも、扱っている情報の質と危険度は、サラリーマンのそれとはかなり異なりますが。

 極端に言ってしまえば情報機関の仕事は、洪水のように日々流れてくる情報を取捨選択し、場合によっては処理加工を施し、政府首脳などが適切な政策決定を行えるようにプレゼンテーションする、そういうものなのです。諸外国は多かれ少なかれ、その種の情報機関を保有しています。先に挙げたCIAや、イギリスのMI5とMI6、イスラエルのモサド、旧ソ連のKGBなどが比較的有名でしょう。

 実は日本にも、情報機関は存在します。一つは「内閣情報調査室」、もう一つは、今年発足した「防衛庁情報本部」です。

 しかし、日本の情報機関は、ほとんど致命的といえるほどの欠点を抱えています。その欠点は、場合によっては日本そのものを滅ぼしかねないほど危険なものです。どうも危機管理論者の中でも、あまりそのことは認識されていないようです。

 まず、内閣情報調査室は、情報機関としては到底合格点を与えるわけにはいきません。扱う情報の分野が偏っている上に、情報源自体も貧弱ですし、第一、人員も少なすぎます。到底一人前とは言えません。

 それに対して、防衛庁情報本部はどうでしょう?これは結構まともです。情報源としては在外公館に派遣されている自衛隊員(身分上は、外務省所属となっています)やレーダー、偵察用航空機(と言っても、諸外国と違って、敵国内に侵入するようなタイプのものではありませんが)、そして将来的には偵察衛星と、実に広い範囲のものを利用できます。人員数も、諸外国に比べればまだまだですが、一応格好が付くぐらいには揃っています。つまり一応日本には、「情報機関」と言って良いものがあるのです。

 では、いったい何が問題なのでしょう。実は、防衛庁情報本部が「まともな情報機関」であるということそれ自体が大問題なのです。

 例えば、あなたが生まれながら目も耳も不自由で、出歩くときには常に介護人の付き添いを必要とするとしましょう(本当は、目や耳が不自由でも一人で出歩く手段はあるのですが、ここでは単純化のため、それについては考えない事にします)。あなたにとって、周りの景色を始めとする外部情報は、介護人を通してしか手に入れる事は出来ません。目の前に、危険な猛犬が牙をむいて唸っていても、介護人が教えてくれない限り、あなたはそれを知ることが出来ないのです。介護人がよからぬ考えを抱いたら、知らないうちに、暴走してくる自動車の真ん前に誘導されていた、などという事にもなりかねません。

 ちょうどこれは、今の日本の状況そのものであると言えます。介護人は、防衛庁情報本部です。日本政府は、独自の目も耳も有していないのです。重要な政策決定をする場合の情報を、「自衛隊」という介護人に頼らざるをえない状況なのです。これでは介護人がよこしまな考えを抱いた場合に、日本自体が暴走自動車の前に誘導されてしまいかねません。

 事実これは、先の大戦に日本が叩き込まれた理由の一つでもあります。政府は独自の情報源を持たず、情報を一手に握った軍部の言いなりにならざるを得ませんでした。

 まあ、現在の自衛隊が、旧日本軍と同じような事をすることはないでしょうが、何も危険の種を残しておくこともありますまい。大日本帝国憲法だって、制定された当時は「統帥権」を盾に軍部が暴走するなどとは誰も考えていなかったのですから、不安の種は、気付いたものだけでも除いておくにこした事はありません。

 では、そういう危険の種を除くにはどうしたら良いか?簡単な事です。政府が、独自の目と耳を持てばよろしい。つまり、防衛庁情報本部とは別に、国家情報機関を造ればよいのです。

 現に、先進国はほぼ例外なく、軍情報機関とは別に、政府直属の国家情報機関を有しています。CIAにせよ、MI6にせよ、防衛庁情報本部のような軍の機関ではなく、政府に直属する組織です。

 つまり、政府が軍に情報面で完全に依存してしまうという事態を生まないようにしているのです。それでこそ、健全な国家運営が出来るというものではないでしょうか?


 自衛隊の情報機関にほぼ完全に頼らざるをえないという今の日本の状況は、極めて危険なものであると思います。旧日本軍のように、日本を戦争に叩き込むなどとまでは行かないにしても、例えばPKOの派遣などの場合に、自衛隊の恣意的な意志が働いた偏向情報をつかまされた政府が、派遣するかどうかの判断を誤るという事態も起こり得ます。

 1月の防衛庁情報本部の創設により、そうした極めて危険な体制の成立を許してしまった日本の政治家、マスメディア、知識人たちの怠慢と世間知らずには、怒りを通り越して呆れさせられるばかりです。

 この危険な状況から抜け出すには、早急に政府直属の国家情報機関を創設する必要があります。それが出来ないのなら、防衛庁情報本部などつぶしてしまった方が、まだマシでしょう。


                               なかみや たかし・本誌編集委員


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