幻にされる「天安門大虐殺」(その1)


                            中宮 崇


中国学者の人権弾圧発言を容認する、日本のエセ市民運動と「自虐史観派」


 朱建栄という大学教授がいる。彼は比較的メディアに良く出てくる「中国専門家」であり、テレ朝の「サンデー・プロジェクト」などにも、良く出てくる。また最近も、朝日新聞社が出している『RONZA』なるぼったくり雑誌の6月号でも、「中国は軍事大国などではない!」などと主張する記事を発表している。他にも、「中国が台湾を脅迫しても、諸外国は口出しするな!」といった類の発言も行っている。

 基本的に彼の立場は中国擁護である。味噌も糞も一緒にして、なんとかかんとか、生まれ故郷を護ろうとする。もっとも、さすがに大学教授だけあって、一見もっともらしく見える主張はするのであるが、後で良く検討してみると、結構無茶苦茶なことを言っていたりすることが良くある。

 しかしさすがに、本誌でも以前批判したような、北朝鮮を擁護し、その独裁体制維持のためだけに編み出された「チュチェ思想」なる宗教を信奉している大学教授のような、馬鹿丸出しの狂信的態度は見せない。まあ、どちらがより有害かということについては、意見は分かれるであろうが。

 その朱氏、最近


   『香港回収』
      朱建栄 岩波ブックレット


なる本を書いた。「返還」ではなく、「回収」などと書くこと自体、そのイデオロギー性がぷんぷんと匂ってくるのであるが、「グレーター・チャイナのゆくえ」なる副題を見せつけられると、その中国徹底擁護路線は、誰の目にも明らかであろう。

 内容は要するに、


   香港は、「回収」されても、何も心配することはない。中国は、
   香港を決して悪いようにはしない。むしろ悪いのは、香港の
   民主派や、それを扇動するイギリスであり、何か起きたとし
   ても、全て連中のせいなのだ。


というもの。もっとも、彼の主張を見れば、彼がただの中国の回し者に過ぎないということが分かるであろう。


「天安門事件」では「虐殺」など無かった!?


 何と彼は、「中国は悪い国ではないのだ」ということを主張したいあまり、あの「天安門事件」を「虐殺など無かった」とまで言っている。その部分を引用してみよう。


   この事件(天安門事件)は主に解放軍の出動途中に起こっ
   た発砲事件で、天安門広場でいわゆる虐殺がなかったこと
   はすでに明らかになっている。93年6月4日のNHKスペ
   シャル番組は現場にいたスペイン国家テレビの記者の撮っ
   た映像を使ってこれを検証しており、96年12月に訪米した
   遅浩田国防相も同じことを述べている。


 残念ながらNHKスペシャルは見ていなかったので、どういう内容の番組だったのかは分からないが、少なくとも、天安門で多数の市民が殺されたということを否定するものではなかったはずだ。想像するに、「発砲はあらかじめ命令されたものではなく、市民を強制排除する過程における混乱の中で偶発的に起きてしまったものだ」といった程度の内容だったのではないであろうか。

 それをまるで、「市民は一人も死ななかった」とでも言いたげなこのようなことを書くとは、一体どういう神経をしているのであろう?大体、学者のくせに、中国の政治家の言うことを鵜呑みにして「虐殺はなかった」などとお追随しているところが笑止である。

 日本にも、「南京大虐殺なんて無かった」と主張する勢力が存在する。中国や韓国、北朝鮮の人間はもちろんのこと、日本国内の市民団体や「自虐史観派」と呼ばれる勢力も、この手の発言にはヒステリックに反応し、相手が政治家ならば辞任にまで追い込み、櫻井よしこ弾圧事件のように相手が民間人ならば、圧力をかけて生活の糧を奪おうとする。

 彼等がその主義主張に一貫性を持ち、自らの普遍不党性を本気で信じているのであれば、朱建栄のような人間に対しても当然、抗議を行うべきであろう。もっとも、彼らがそんな事をするとはとても思えないが。

 天安門で多数の市民が、解放軍による銃撃等によって死亡したということは、中国当局でさえ認めていることである。公式発表でさえ、死者200人としている(もっとも、本当のところは2000〜3000人と言われているようであるが)。最低に見積もっても200人の人間が軍の介入によって殺されたのに、それが上層部からの命令ではなかったということだけで「虐殺ではない」などと言えてしまうのであれば、当然「南京大虐殺」だって「虐殺ではなかった」と言って良いことになる。

 私は南京事件は、たとえ上層部からの命令が無かったとしても「虐殺であった」と思っているし、そうである以上「南京大虐殺」と呼ぶことに問題を感じてはいないが、同様の考えから東京大空襲だって「東京大虐殺」であるし(上層部からの命令として行われたという意味においては、南京大虐殺よりももっと悪質で「確信的大虐殺」と言える)、「天安門事件」などと言う、中国びいきの左翼の連中による卑怯な言い換えは今後止め、これからは「天安門大虐殺」と呼ぶようにする。


セコイ目くらまし


 朱は、文の書き方や数字の出し方をうまいこと操作して、「香港回収は何の問題もない」という印象を与えようとしている。

 例えば、中国と香港の連帯を強調したいのか、それとも天安門大虐殺を少しでも免罪したいのか、以下のようなわけの分からない数字の比較を行っている。


   91年、大陸の東部と南部の各地で大水害が発生したと
   き、香港では天安門事件のときのデモに劣らない100万人
   単位の救助寄付(「賑災」)が行われた。


 天安門事件への抗議のデモの人数と、同胞への人道的援助のための寄付を行った人数を比較するという、この理解不能な行為は、寄付をした人たちは別にデモをしたわけではないという事実を考慮すれば、朱の無闇やたらな中国べったりの態度を証明するものであろう。

 また、こんな事も書いている。


   80年代半ば以降、特に天安門事件後の一時期、香港から
   の海外移民が急増し、年に5万人以上がカナダ、オースト
   ラリア、アメリカなどへ家族ごと移民した。しかし最近、Uター
   ン現象が起こり、95年のその数は海外移住者数の6割に上
   り、さらに返還直前の段階では帰る人が出る人を上回るだ
   ろうとも見られている。


 そもそも何を根拠に、「上回るであろう」などと言えるのか全く不明であるが、何だか世界中から香港人が帰ってきているようなこの書き方は、未だに香港からの脱出者の方が遥かに多いという事実を隠そうという意図が見え見えである。

 また、朱がいったいどのようなデータを用いているのかは不明であるが、海外から香港への流入者が増えている原因は、Uターン帰国ではなく、中国本土からの密入国者が増えているからなのではないであろうか?もし朱が、香港への入国者を全て「Uターン移民」とみなしているとすれば、極めて悪質な情報操作であると言わざるをえない。そうでないというのであれば、データの出所ぐらいは最低限示すべきだ。

 このような奇妙奇天烈な、読者をたぶらかすための無意味な数字比較は、これだけにとどまらない。朱は中国を良い子に見せる一方で、台湾をできるだけ悪く見せるために、こんなことを書いている。


   台湾は毎年、2万人以上が海外に移住しているが、95年
   以降、「海外移住相談会社」が急増し、96年にはその海外
   移住者は香港を上回ったと見られている。


 台湾の方が香港よりもはるかに人口が多いのであるから、単純に移住者数を比較すること自体不当である。それに、台湾からの移住者が増えた原因は何も、台湾の人権状況が将来悪化することが予想されたからではなかろうし、むしろ、中国による台湾への露骨な軍事的脅迫に懸念を抱いて脱出したと考えるのが自然であろう。

 こういう不当な単純比較が大好きな朱は、中国擁護のためには、恥ずかしげも無くこんなことを言っている。


   政治民主化の問題に関して、中国大陸の方は一歩遅れて
   いるが、そこには12億の人口、56の民族という重荷があ
   り、単純な比較はできない。


 香港や台湾をできるだけ悪く見せるためなら悪質な単純比較も辞さないくせに、中国をかばうためなら厚顔無恥にも「単純な比較はできない」などと言う。これを御都合主義と呼ばずして何と呼ぼう。

 それに、自国民を虐殺するような国と香港とを比較して、「一歩遅れている」などとさりげなく言ってしまっているが、到底一歩どころの騒ぎではあるまい。また、56の民族が「重荷」であるなどと言っているが、チベットのように中国に侵略されて未だに圧政に苦しんでいる国から見れば、「そんなに重荷なら、早いところ自由にしてくれ!」と言ってやりたいところであろう。


 朱のような人間は、日本に生まれていればきっと、「太平洋戦争は侵略戦争などではなかった」、「南京大虐殺など無かった」と言っていることであろう。彼の論理をたどって行けば、必然的にそうなる。さて、「自虐史観派」や市民団体、人権派は、朱のような人間をいつまで放置しておくつもりなのであろうか?


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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