情念、紙のごとし
中宮 崇
「香港よ、勝手に死ね!」と言わんばかりの無責任な族!
香港の中国への返還は、民主化の確実なる後退を伴う。現に、返還の日である7月1日をもって既に、住民による選挙で選ばれた議会である立法評議会は、中国の一方的な通告によって解散させられてしまった。
中国はその代わりに、臨時立法会なる組織をでっち上げ、自分たちの言いなりになる人物ばかりを送り込んだ。立法評議会で圧倒的多数を占めていた民主派は、ことごとく排除されている。
また、返還後の香港の行政の長たる董建華行政長官も、中国が一方的に送り込んだ、およそ民主的プロセスとは無縁の人物である。
このように、現時点で早くも破壊されつつある、香港の民主主義に対して、日本の市民運動や左翼系メディアは、極めて冷淡である。それどころか、何とかして中国の悪逆な弾圧から日本人の目をそらせようと必死である。
講談社が発行している雑誌『現代』の8月号の対談記事
「香港、この奥深き地よ」
陳舜臣、浅田次郎
も、その手の「弾圧容認記事」である。
明日の悪より過去の悪!
この手の記事に共通するのは、香港がイギリスによって引き起こされた阿片戦争によってむしり取られたものであるということを強調することである。その一方で、中国による民主化破壊や人権弾圧には口をつぐんでいる。
そうすることによって読者に、「香港返還は、イギリス植民地主義からの解放という、手放しでめでたい歴史的事件なのだ」と印象付けるのである。
確かに、植民地からの脱局というのは、それはそれで祝うべきことであろう。しかしその一方で、人権弾圧国家で覇権主義国家である中国に対する香港人の不安といったようなものを全く無視するようなメディアや知識人達は、将来香港が中国の鉄拳で叩き潰される事態になったときに、「民主主義の敵」として糾弾される資格を十分すぎるほど持つことになる。
そういった将来の「民主主義の敵」である陳と浅田は、阿片戦争について徹底的にこだわる。その異常なまでのこだわりようは、ただの歴史オタクとしてのそれであって、とても香港の未来について語る資格のある連中ではない。
大体彼等は、日本人を馬鹿にしている。浅田は以下のようなとんでもないことを平気で言っている。
イギリスが清を攻撃したのは、当時の事情からみて、ある程
度の正当性があったという歴史解釈が行われているわけで
すが…(略)…僕らが学校で学んだ歴史というのは、欧米が
正当化されるように書かれていますから。
日本人の一体いかほどが、そんなスットコドッコイな歴史解釈をしているというのであろうか?「イギリスは、麻薬を中国に売りつけるために戦争を無理矢理起こした」と考えている日本人の方が圧倒的多数であるはずだ。浅田が学んだという「欧米が正当化されるように書かれて」いるという歴史教科書を、是非とも見せて欲しいものだ。
古ぼけた共産主義執筆者によって支配されている日本の歴史教科書は、「共産主義が正当化されるように書かれている」ことはあっても、「欧米が正当化されるように書かれて」いるなどということはない。浅田は一体、どこの夢の世界の話をしているのであろう?
この浅田の白昼夢に対して、陳はとんちんかんな相づちをうっている。
そうですね。勝者による、一方的な解釈が歴史上の事実と
されていることは多いでしょう。
何を寝ぼけたことを言っているのだ?浅田は日本の歴史教科書の話をしていたのだ。それなのに、「勝者による、一方的な解釈」とはなんだ?日本は一体いつ、阿片戦争において「勝者」の立場に立ったというのか。陳の中華主義脳は、「日本はイギリスと組んで阿片戦争を仕掛けた」とインプットされているらしい。
また浅田は、こんなことも言う。そんなに中国に肩入れしたいのか?
返還になった翌日から香港はどうなるのかといった話ばか
り。それも、ほとんどが経済的な側面ばかりだという気がしま
す。しかし、なぜ返還しなければならなくなったかという問題
は、実は過去のことではなく、非常に今日的な問題のはず
なんですよ。
「今日的な問題のはずなんですよ」などと勝手に思い込むのは自由だが、香港人にとっては、「100年以上も昔に、なぜ香港がイギリスのものになったのか」などということよりも、「明日から香港の人権状況や経済は、大丈夫なのか?」といったことの方が遥かに関心があるのは当然のことだ。「なぜ返還しなければならなくなったかという問題」は、浅田や陳のような歴史オタクが勝手に考えていればよいことであって、自分たちのオタク趣味を一般人にまで押し付けるようなことはすべきではなかろう。
二人はこの後も、「なぜイギリスは香港に目を付けたのか」とか、「マカオがポルトガル領になったのは、マッコウクジラから採れる特殊な香料が原因だったのだ」とか、返還不安に揺れる香港人に聞かせたら「何を御気楽なこと言っているのだ!」と怒鳴られそうなオタク知識合戦に熱中している。彼等には、香港人の不安を察するための、人間としての情念が決定的に欠如しているのであろう。
無責任な傍観者主義
香港人の心情を察する事のできない、精神的不具者である二人は、必然的に、香港の将来について徹底的に無責任な傍観者の立場を取る。陳は言う。
返還によってどういう影響があるのか、実際には成り行き次
第の面が多いんじゃないでしょうか。
なるほど、「香港人が焼かれるか殺されるか、どうなるかは知らないが、まあ返還されるのは良いことだ」ということか。
浅田は更にひどく、興味本位のこんなことまで言う。
突如として中国人の手に委ねられるわけですから、予想は
出来ないけれど、興味は尽きないですね。
知識人としてももちろんのこと、人間としても到底許されざるべき無責任さだ。
妙な中国擁護と日本批判
陳と浅田は、現在における中国の悪を無視して過去におけるイギリスの悪だけを暴き立てるだけでは飽き足らず、中国をやたら誉めちぎり、ついでになぜか、日本批判まで行っている。「香港特集」の記事なのに。
浅田の妄言を見てみよう。
北京で胡同(古い路地)が片っ端から壊されているところを
見たんです。最初は文化破壊だと思ったんですが、よく見
ると、日本のようにブルドーザーで壊すのではなく、レンガ
を一個ずつ取って、それはまた何かに使うんでしょうね、再
生しながら壊しているんですよ。そこにいわゆる資本主義の
尺度とは違う文化や生き方を、僕は感じました。
ほとんどただの阿呆だ。浅田は、レンガが別のことに使われているということを確認したのか?いや、していない。ならば単に、ブルドーザーも使えないほどひどい経済状況の中国が、手作業で破壊せざるをえなかった光景を見ただけではないか?大体、たとえレンガを再利用していたという事実があったとしてもそれは、新しいレンガが買えないほど貧しい中国の姿を反映しているに過ぎない。どこが文化の「再生」なのだ?
ならば浅田は、法隆寺をバラバラにして、その使われている木材を使って掘っ建て小屋を建てることも、文化の「再生」と思えてしまうのであろうか?正気ではない。
また、中国製の有名な官僚登用制度である「科挙」に絡めて、日本批判を行っている。
科挙による官僚制というのが日本にはまだ歴然と残ってい
て、それが様々な問題を起こしている。
イギリスの過去の悪行については、歴史オタクとして全力を挙げて暴き、現在の中国の悪行については目をつぶっているくせに、なぜか「香港特集」のこの記事においてわざわざ、現代の日本への批判を行っている。こういう御都合主義の中にも、連中の中国擁護作戦の実態を見て取れる。
今週は市民運動や左翼メディア、進歩的知識人による、中国擁護の実態を中心に見てきた。その卑劣さと無責任さ、行き当たりばったりの御都合主義の実態は、十分に明らかにされたことと思う。
今後残された作業は、香港の将来を注視し、中国による横暴を監視するとともに、連中のような人間失格の操り人形どもの責任追及のための環境を整えて置くことであろう。
なかみや たかし・本誌編集委員