『週金』を撃つ!−11

スパイ大作戦


                            中宮 崇


週金は実は、警察権力の手先だった!


 前回批判した亀井淳は、『週刊金曜日』6/20号でもとんでもないことを書いている。彼の主張を見ていると、その言論弾圧思想と、警察権力べったりの姿勢を見て取れる。


   「神戸・小学生殺人にみる
      メディアの瑣末露出主義」
           亀井 淳


なるその記事は、週金信者の恐ろしさ、いい加減さ、強欲さを示す、極めて貴重な資料である。

 そのような人物に何度も誌面を提供している『週刊金曜日』も、常日頃の異論排除の態度を考慮すれば、亀井の意見に少なからぬ賛意を抱いていることも容易に想像できる。


こちら週刊金曜日派出所


 亀井は、「事件報道は、警察をサポートすることだけがその役目」だと信じ込んでいるようである。そうでなければ、下のようなことは言えまい。


   ある夕刊紙は、「これが生首犯似顔絵」と称して目撃情報を
   材料に「絵」を描いて一面に掲げた。捜査に役立つとまとも
   に考えたとは思えない。


 注意して欲しいのだがこの発言は、容疑者が逮捕される以前のものである。亀井は、似顔絵を載せることによって、目撃情報の収集が円滑になるということを思い浮かべる事はできないらしい。

 それ以上に重大なのは、亀井が、「捜査に役立たないものは掲載するな!」と考えているらしいということだ。日ごろから警察官をマンガで醜悪に描くなどして差別主義丸出しの週金は、何だかんだ言いながら結局警察の手先になり下がった。

 容疑者の人権保護活動に傾倒するあまり、敵として言いたい放題やってきた警察に擦り寄り、「捜査に役立たない報道は駄目!」とは、まったく開いた口がふさがらない。

 そう言えば週金は、「捜査に役立つ報道」どころか、「捜査を妨害する報道」を今まで積極的に行ってきたはずである。「容疑者・犯人の人権の保護」を名目として。ところが今回は、「容疑者・犯人の人権の保護」の役に立つとみるや警察を抱き込み、その提灯持ちに成り下がる。まあ、原理原則を貫くという意味においては、一貫していてまことに結構なことである。

 しかし、こういう、「目的のためならどんな手段もどんな相手も(それがたとえ、昨日までの敵であっても)利用する」という手合いは、オウム真理教の狂信者と同様、市民社会にとっては実に危険極まりない連中である。オウムは、目的を果たすためにサリンを使用した。さて、週金信者は、一体どんな兵器を使うつもりなのであろうか?


俺をワイドショーに出させろ!


 亀井は、ワイドショーのコメンテーターの座を狙っているようである。下の文を見て欲しい。


   テレビワイドショーの扱い時間は長いが、オウム真理教事件
   や筑波の医師による妻子殺害事件の際のような過剰、過
   熱に陥らないようにとのブレーキが働いていると見えた。


 亀井はこう書いた後で、週刊誌、女性週刊誌、夕刊紙、スポーツ新聞の報道を「センセーショナリズム」と批判している。

 亀井はいい加減だ。ろくにワイドショーも見ずに書いているか、それとも、ワイドショーにおもねってこんなことを書いているかのどちらかだ。

 ワイドショーの報道のひどさは、その速報性とあいまって、週刊誌やスポーツ新聞の比ではなかった。現に、他の週金信者は、本事件についての報道に関するワイドショー批判に熱心である。

 それらの中には、「容疑者の人権保護」を盲信するあまり、警戒の必要性を指摘するコメンテーターを罵倒し倒すという、「(当時はまだ、容疑者は未逮捕)お前、次の犠牲者が出たら、責任取れるのか?」と問いただしたくなるような無責任なものさえあった。

 亀井はどうも、ろくに知らないもの、見ていないものについて偉そうに批評する無責任漢か、ワイドショーに取り入ってコメンテーターの座でも獲得しようとしているかのどちらかである。


リンチを恐れてリンチする


 亀井の人権思想は相当なものであるようだ。まだ容疑者が逮捕されていない時点において、こんな事を言っている。


   私は一刻も早い事件解決を切望しながらも、容疑者逮捕時
   に予想されるマスコミによるリンチを恐れる気持ちを抱いて
   いる。


 実際には、容疑者が未成年ということもあって、「マスコミによるリンチ」などというものは発生しなかった。それに代わって発生したのが、「フォーカスや週刊新潮が容疑者をリンチしている!」と言い立てて、フォーカスや週刊新潮を書店から追放するという「逆リンチ」である。

 前回批判したように、亀井は、「自主的な判断ならば良い」と考えている。「自主的判断だから、フォーカスのボイコットは構わない」と言っていた。ならば亀井は、同様の論理で、リンチも「良い」というふうに考えていなければいけないことになる。何しろ、司法に一方的に判断をまかせる刑罰と違ってリンチは、「市民やメディアの自主的判断による私刑」なのであるから。それとも、「容疑者の人権を擁護するためのリンチは構わないが、それ以外は許されない」とでも考えているのであろうか。


 亀井のような週金信者の性質は、これで大方分かったであろう。連中は、自分たちの理想を実現するためには、普段は口汚なく罵っているはずの警察権力さえも利用し、リンチを容認する。

 「市民派」「人権派」を気取る週金は、実のところ、日本を警察国家、リンチ容認国家、言論弾圧国家にしようとしているのである。もちろん本人たちは、そんなことは夢にも考えてはいないであろう。しかし、連中の活動は、必然的に、そういう暗黒国家を現出させる。単に、おつむの弱い自己中心的な週金信者が、そのことに気付いていないだけだ。

 週金は朝日と違って、政治家などから批判されることはほとんどない。「朝日の方が週金よりも遥かに巨大で、影響力も大きいからだ」と言ってしまえばそれまでだが、ひょっとしたら、反動政治家達は、週金のそういう「市民社会破壊体質」を見抜いた上で、「こいつは下手に批判するより、泳がせておいた方が、警察国家建設のためには好都合だ」と考えているのかもしれない。つまり週金は、反動勢力によって送り込まれた「自覚無きスパイ」なのかもしれないのだ。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


前のページへ