犯される教育現場


                            中宮 崇


こんなものが全国の教師の間で読まれているとは!


 全日本教職員組合(全教)が出している機関誌に、季刊『エデュカス』というのがある。その7月号を買ってきて読んでみたのであるが、その内容を見てみると、その全国の教職員向けのマインド・コントロールの恐るべき実態を見て取る事ができる。


毒者の声


 まず、「読者の広場」を見てみよう。新聞雑誌には必ずといってよいほど設けられている、こういった、読者からの意見を掲載するコーナー、朝日や『週刊金曜日』のそれも相当ひどいものであるが、『エデュカス』のそれは、嘘つき朝日でもはだしで逃げ出すほどの代物だ。何しろ、「読者の声」などと題して読者をたぶらかそうとしているが、単なる「ハイル、エデュカス!」のコーナーなのである。

 7月号には、4名の「読者」と称する人間たちから寄せられら「声」が掲載されている。一つずつ見てみよう。まずは、


   「読み応えあった、中井先生の実践レポート」
        春日 四郎  神奈川県・山北町立川村小


 題名から分かるように、以前『エデュカス』で掲載した記事を、手放しで誉めちぎっているだけのもの。

 次に、


   「全教の先生方と、交流したい」
        匿名希望  鹿児島・教員


 「私でも、全教のみなさんと、お付き合いできるでしょうか?」という、なんとも情けない投書。そんなただの「問い合わせ」を載せる編集部の思考回路も、理解し難い。

 三つ目に、


   「テキストになった「教職員組合運動の展望」」
        長岡 辰久  山口・岩国市立平田中


 これも、単なる「エデュカスバンザイ投書」。内容は、こんなよいしょしかしていない。「その内容の濃さと深さにびっくりしました。全教の底力というか、幅の広さを感じることができました。本当によい中味でした」。
 もっと他に書く事ないのかね〜。ちなみに投書者の長岡氏は、「支部の書記長」です。は〜。

 最後に、現在の学校教育現場の退廃と堕落を示す(本人は自慢しているし、編集部も、「問題無し」と思ったから載せたのであろう)、常人の理解を超える投書。


   「中学生を「くすっ」と笑わせることが趣味
        平野 八郎  大坂・寝屋川嘱託教員


 まあ、大坂の方らしいから、「笑わせる」ことを趣味とするのは別に構わないが、問題は、その「ボケとツッコミ」の内容。抜き出してみるとこうなる。


   生徒:「先生それ取って」
   平野:「いいよ、その代わりカネくれる?」
   生徒:「えっ?」
   平野:「料金…」
   生徒:「教師が生徒からカネ取るなんて!」
   平野:「なに言うてんねん。今はカネの社会だよ」
   生徒:「ウフフ」


 最近、「神戸の小学生のように、首を転がしてやるぞ!」と、生徒に言った先生が、親からの抗議を受けたのだそうだ。が、上のような事を「趣味」として常日頃やっている教師の方が、よっぽど問題であると思うが、いかがであろう?


ビバ!スキャンダル!


 さて、前振りが長くなったが、このトンデモ雑誌『エデュカス』、その7月号では「自由主義史観」を攻撃する記事をいくつか掲載している。その一つ、


   「教科書攻撃と最高裁判決迎える教科書裁判」
       小林 和   教科書訴訟全国連事務局長


なるものを取り上げてみる。

 内容以前に、著者の小林は、性根が実に卑しい。味方に対してはきちんと「氏」「さん」づけするのに、「敵」は呼び捨て。例えば、「小林(よしのり)」、「藤岡(信勝)」といった具合。知性以前に、人間として最低限必要な品性に、どうやら欠けているようである。

 その、品性無き小林(よしのりではない)、自らの信ずる「正義」の実現のためならば、マインド・コントロールも正当化する。例えば、「藤岡などによる言論攻勢に批判の企画」を続けている雑誌として、『世界』(岩波書店)、『RONZA』(朝日新聞社)、『週刊金曜日』、『創』、『噂の真相』をあげている。

 そもそも、自分たちは言論「弾圧」しているくせに、相手の行為を「言論攻勢」などと批判するとはなんとも片腹痛いが、小林の挙げた雑誌は、本誌でも既に何度も暴いているように、ことごとく、嘘にまみれたマインド・コントロール誌である。

 何しろこれらの雑誌は、異論を許さない。ごくまれに、『世界』や『創』は敵である「自由主義史観」の論客の筆による記事を載せることがあるが、数ヶ月に1回あるかどうかだし、たとえ載せたとしても、字数を極端に制限し、不当な検閲まがいのチェックを掲載前に入れ、載せるところも、雑誌の片隅。到底、異論を公正に扱っているとは言えない。

 それに、その他の『RONZA』、『週刊金曜日』、『噂の真相』は、「自由主義史観」の論者の記事を、ほとんど一度も載せたことがないという、より悪質な、徹底的なマインド・コントロール誌である。

 そして、中でも『噂の真相』は、毎回有名人の男女の裸体を描き、嘘を平気で垂れ流す、そもそも論ずるに値しない差別丸出し品性下劣スキャンダル雑誌なのであるし、最近も、卑劣な脅迫によってサイン会の中止に追い込まれた芥川賞作家、柳美里を、「次の講演の打合せを(男と)ベッドの上でする」とか「彼女(柳)が(男を)ボロボロにした」とか、「ウワサだけで」あばずれ、男好き扱いしたという、最低のスキャンダル誌なのであるが、小林のような知性・品性ともに薄弱な人間にとっては、そんなことはどうでもよいのであろう。

 実際彼は、「敵」に対しては偏見や勝手な思い込みも許されると思っているようである。


   「どこかの宗教団体が(藤岡の本を)組織買いしているらし
   い」というウワサを聞くと「さもありなん」と勝手に納得してい
   た時期もあった。その数字(売り上げ部数の事)自体は彼等
   の影響を等身大に示しているとはもちろん思えない


 どこからそんな「ウワサ」を仕入れたのか知らないが(『噂の真相』からかもしれない)。


行け行け!マインド・コントロール


 こうして、味方によるマインド・コントロールを正当化する一方、小林は、以下の雑誌、『諸君』(文芸春秋)、『正論』(産経新聞社)、『SAPIO』(小学館)、『Voice』(PHP)、『文芸春秋』を、「継続して教科書攻撃側に立った論文を載せ続けている」などと言う。

 まったくもってお笑い種なのであるが、こんなことまで言っている。


   『諸君!』、『正論』などは一部の論文を除いては「右派」な
   のだが


 おいおい、ということは、小林は、「『諸君!』、『正論』は、一部とはいえ異論も排除していないし、それ以外の『SAPIO』、『Voice』、『文芸春秋』は、バランス良い量の異論も載せている、公正な雑誌である」と認めた事になるではないか。

 そもそも、小林が味方する雑誌は全て、既に見て来たように、異論を完全に認めていないといってよいのであるから、小林はやっぱり、以下のように考えている事になる。


   俺達の「正義」を実現するためには、異論を排してマイン
   ド・コントロールしたって構わない!たとえ一本でも、俺達の
   「正義」に反するような敵の論文を載せている雑誌は、許
   し難い!


 まあ、「自虐史観」の狂信者の典型的な思想ではある。サリンを撒き散らして大量虐殺をしたオウム真理教の信者と、全く変わらないではないか。


知性無き弾圧者


 気の毒な事に、小林は、「敵」の主張に対して論理的に反論できるだけの知性も品性も所有してはいない。例えば、


   (『SAPIO』に連載している『ゴーマニズム宣言』の)小林
   (よしのり)は欄外の「応援レター」でも慰安婦問題で小林を
   支持する若者の手紙を紹介し続け、慰安婦テーマを一貫し
   て追い、反藤岡論者や朝日新聞への悪罵を続けている。


 「悪罵」とまで言い放っているのであるが、可哀相な事に小林(よしのりではない)には、小林(よしのり)のどのあたりの書き方が「悪罵」にあたるのか、全く指摘する事ができないのだ。きっと、自分のやっている事のいい加減さを十分分かった上で、デマを流そうとしているのであろう。

 そしてより恐ろしい事は、小林(よしのりではない)は、ここに明確に、「俺達に都合悪い異論は、完全に排除せよ!」と言っているという事である。それは、「欄外の「応援レター」でも慰安婦問題で小林を支持する若者の手紙を紹介し続け」などとわざわざ言っているところからも明らかだ。つまり、「そんな「応援レター」を紹介するのはけしからん!」と考えているのだ。そうでなければ、なぜわざわざこんなことを書いたのだ?

 彼の「思想弾圧姿勢」は、以下の文からも明らかであろう。


   彼ら(藤岡信勝らの「自由主義史観」)の攻勢を結果的に放
   置した場合…(略)…家庭では「本当は、従軍慰安婦とか、
   南京大虐殺なんてなかったらしいよ」「戦争は決してマイナ
   スばかりではなかったんだ」というような会話が平気で交わさ
   れる、という状況も予想される


 小林が、徹底的な思想統制者であるということが分かるであろう。何しろ、家庭で自由な会話もしてはいけないというのであるから。そして、自分たちの気に入らない会話を家庭でさせないために、学校での「教育」と称するマインド・コントロールを強化しようと言うのであるから、小林は、戦前の軍国主義教師顔負けの人間である。何しろ、家庭生活にまで「そんな会話をするな!」と口を出そうと言うのであるから。

 そして極めつけは、小林(よしのりではない)が、日本語もろくに知らないという事実である。


   この問題(慰安婦問題)で、客観的には藤岡サイドの発言と
   受けとられかねない次の著書と論文がある


 「客観的に」見ると「受けとられかねない」とは、何たる日本語か。「客観的に」の後には、「受けとれる」か「受けとれない」 か、どちらが来なければいけないはずだ。逆に言うと、「受けとられかねない」の頭には、「客観的」などというものが来てはいけないのだ。まあ、「主観的」ならば来ても分からない事はないが、それでもまだおかしい。

 以前にも指摘した事であるが、「自虐史観」の人間は、日本語さえろくに知らないのである。かといって、英語や中国語を操れるわけでもないので、コミュニケーションの能力それ自体に問題があるのであるから、彼らがまともな批評や論争なんてできるはずがないのだ。


 以上見て来たように、「全教」と称する教職員組合は、実は家庭での自由な教育を否定し学校による統制を強化し、中傷やデマを垂れ流す行為を肯定し、異論は完全に排除し、他人の素っ裸を面白おかしく書き立てることを認め、「世の中はカネである」と生徒に教え、そして日本語さえろくに使えないという、なんともスゴイ雑誌を出している組合であると言う事が分かったであろう。

 こんな雑誌が全国の教師たちによって読まれているという現状を、読者諸氏はどのようにお考えであろうか?


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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