「自虐史観」は赤子を殺す


                            中宮 崇


「自虐史観派」は、「原爆で赤ん坊が殺されてもやむを得ない」とでも考えているのか!


 『月刊社会教育』という雑誌がある。その8月号に、「女性史,社会運動史研究家」を自称する鈴木裕子なる人物へのインタビュー記事、


   「「慰安婦」問題から見えてきた平和学習の課題」


という記事が掲載されている。この鈴木なる人物、最近「自虐史観派」ではやりの、「広島、長崎の原爆で殺された赤ん坊だって、殺されてもやむを得ない原因があったのだ」という、ウルトラ自虐人間の一員である。


赤ん坊にも戦争責任?


 最近、「自虐史観派」の間では、「赤ん坊にだって戦争責任があったのだ。(だから、殺されてもやむを得なかったのだ)」という暴論が流布されている。原爆被害を受けた某「平和都市」の元市長でさえ、そういう事を言ってはばかり無いのであるから、世も末である。

 鈴木も、インタビューの中で、


   原爆を落とされたことにも原因があったはずです。


などと言って、アメリカによる大量虐殺兵器の使用を支持する発言を行っている。

 そもそも、人間の行う行為には、何がしか「原因」があるのは当然のことだ。ところが鈴木は、ことさら「原爆を落とされたことにも原因はあったはずだ」などと言うくせに、「太平洋戦争が起こったのには、原因があったはずだ」、「日本が富国強兵を追求しなければならなかったのには、原因があるはずだ」、「日本軍が、人権抑圧的体質を内包せざるをえなかったのには、原因があるはずだ」とは考えないのだ。

 第一、鈴木の妄言を適用すれば、「ナチスがユダヤ人をガス室で虐殺したのにも、原因があるはずだ」などと言えてしまうはずだ。いやいや、「女性がレイプされるのには、原因があるはずだ」などとも言えてしまうであろう。私がユダヤ人犠牲者の関係者だったり、女性の恋人であったならば、確実に鈴木を八つ裂きにしているであろう。

 さて、鈴木の「何々には、原因があるはずだ」的思考の御都合主義は、以上でも明らかなのであるが、以下の部分からそれは、決定的となる。


   女性を暗闇の中へ暗闇の中へと押し込んでいったのが、日
   本の近代史なんですよ。


 そもそも、日本の近代史がそのようなものであったとは、寡聞にして聞かないので、根拠となる論文の一つでも示して欲しいのであるが、連中はいつもそうなのであるが、何ら根拠は示してはくれていない。そして、「原爆を落とされたことにも原因はあったはずだ」とは考えて日本人虐殺を容認しているくせに、こういう「日本人殺し」オタクは、「女性を暗闇の中へ暗闇の中へと押し込んでいったのが、日本の近代史なんですが、日本がそういうふうな道を歩まざるをえなかった原因があったはずだ」とは考えることさえ出来ないのである。


嘘八百の、「自由主義史観」批判


 このインタビュー記事も例のごとく、「自由主義史観」への嘘つき攻撃を行っている。鈴木の、


   「自由主義史観研究会」や「新しい教科書をつくる会」の
   人たちは、旧来の男権社会のわくから抜け出ていないんで
   すよ。


とか、


   (「自由主義史観」関係の)マスコミと議員は結びついている
   ようですね。


とか、


   (「自由主義史観」は)役割分担しているんじゃないですか。
   「自由主義史観研究会」はマスコミを通して工作し、国会議
   員は政治分野で役割を果たし、さらに「日本を守る会国民会
   議」などの草の根保守といわれる人たちが地方議会での
   「慰安婦」問題の教科書からの削除要求の実動部隊になっ
   ています。三位一体ですよ。


などという、いつものような「根拠を提示する事無き」デタラメ批判は、まだ良い方である。何しろ、こんな大嘘を平気でついている。


   それがよく現われているのが、小林よしのりのマンガです。
   名乗り出た元「慰安婦」の人を「口に出すのも恥ずかしいこ
   とをいう女たち」といったり


 はて、小林が、いつそのようなことを言ったのであろうか?原典を示せるものなら示して欲しいものだ。もっとも、こういう出所も示すことが出来ない大嘘を言って読者や視聴者を騙すのは、ハゲタカが腐肉を漁るがごとく、「自虐史観」の詐欺師連中の一般的な習性であるから、今更目くじらを立てるほどのことではないかもしれない。

 大体、「自由主義史観は、男権社会から抜け出ていない」ことを示すために、学者の藤岡信勝や西尾幹二ではなく、漫画家の小林よしのりしか批判できていないと言うのも、何ともお粗末である。そして本誌でも何度も指摘しているように、連中は味方に対しては「さん」付けするのに、敵に対しては堂々と呼び捨てている。やっぱり、「自虐史観」の連中の品性下劣さは、極めて一般的な属性であるようだ。

 ところで、鈴木は後の方で、


   私には私なりのひとつの見方がありますが、それを押しつけ
   るということではないですね。それは学校教育でも社会教育
   でもやってはいけない。論争になったときは、なぜ意見が分
   かれるのか、その背景をきちんと見ていくことが大切


などと言っている。以上の例を見た上で、鈴木がこのようなことを言うことに対して、嘲笑を伴わずに彼女を見ることが出来る方が、いかほどおられるであろうか?


「自虐史観」は「性差別史観」


 「自虐史観」はどうやら、「性差別史観」であるようだ。鈴木はこんな事を言っている。


   歴史の研究者は男性が多く、彼等からは女性が見えない。


 鈴木が、その「男性研究者に見えていないもの」を全く提示していない以上、これはただの言いがかりなのであるが、いずれにせよ鈴木のような「自虐史観派」は、男性と女性の性差を認めていることになり、つまり「性差別」を容認しているのだ。

 「自虐史観派」のような羞恥心無き連中は、「「区別」と「差別」は違う!」などと、まるで女性差別男性のような言い訳でもするかもしれない。


そして洗脳


 「自虐史観」の連中が、洗脳やマインド・コントロールを多用しているということは、これまでも何度も暴いてきたことであるが、鈴木も例外ではない。彼女によると、学者や教師が率先して、市民に対して「平和教育」を行わなくてはいけないのだそうだ。その「平和教育」なるものが、いかに偏向しているものであるかということについては、本誌の先週号記事でも散々暴いてやったのであるが、鈴木はああいう洗脳授業を、もっと積極的に広げて行きたいようだ。

 そして、「平和教育」が広まらない原因について、何とも市民を馬鹿にした発言を行っている。


   市民の方にも責任がなくはないと思うんですよ。市民がきち
   んと主権者としての意識を強くもっていくかどうかが問題で
   す。


 冗談ではない。これではまるで、鶏と卵の関係をひっくり返すようなもんだ。

 市民に主権者としての意識を持たせるのは、教育者やマスコミの責任である。それなのに、「教育者がそういう責任を果さないのは、市民が主権者としての意識に欠けていたからだ」などとは、良く言えたものだ。鈴木のような頭脳障害者は、「火事が発生するから、マッチがある」などとでも考えているのであろう。正気ではない。


 「自虐史観派」はよく、「自由主義史観派」に対して、「お前たちが言うようなことを、韓国の道のど真ん中で言ってみろ!」とか、「こんな話、元慰安婦に聞かせられない!」などと言う。それ自体、既に韓国人や元慰安婦に対する侮辱だと思うのであるが(「韓国人は、「自虐史観派」を襲う」とか、「元慰安婦には、自分たち「自虐史観」が選んだ情報しか与えるべきではない」と思っていることになるのだから)、それはともかくとして、私は鈴木に言ってやろう。


   「原爆を落とされたことにも原因があったはずです」などと、
   被爆者の前で言ってみろ!


と。私が被爆者なら、確実に鈴木を殺すであろう。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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