これが馴れ合い検証だ!


                            中宮 崇


デタラメ検証番組を擁護する、デタラメルポライターの馴れ合い検証!


 以前本誌5/26号記事「情報操作・ドキュメント‘96の場合には」において、日本テレビ系列中京テレビ制作の「ドキュメント’96 ianfu・インドネシアの場合には」における、自虐史観番組の嘘と情報操作の実態を紹介した。

 それに対して、自虐史観派に近い読者の方から、本誌でもその嘘つき体質を常に批判している雑誌『週刊金曜日』に、「あの番組は、言われているような、嘘にまみれた情報操作番組ではない」という記事が載っているとの情報が寄せられた。

 その記事が、週金2/7号記事


   「中京テレビ『慰安婦』番組検証」を検証する
           西野 留美子


なるもの。

 このアンポンタレ記事を書いた西野留美子は、以前本誌5/19号と5/26号でも批判したように、「ルポライター」と称するほらふきの弾圧者なのであるが、この記事も、その卑しい品性と貧困な知性に全くふさわしい、ちゃらんぽらんなものである。

 大体、「検証する」などと題しておいて、検証なんて何もやっていないのだ。彼女のやった「検証」と称する行為は、「自虐史観派」が催したオウム顔負けの「監禁セミナー」における、番組関係者のお話を「聴講」しただけなのだ。まあ、ちょろっとインタビューなども行ったようだが、それも「犯人」の言い訳を聞いてそのまま垂れ流しているだけで、こんなものを「検証」などと称されては、最近問題になった、警察によるでっち上げ取り調べだって「検証」と言えてしまえるであろし、オウムの幹部、上祐などの出演するワイドショー番組だって、「検証番組」になってしまう。まあ、「自虐史観派」の連中の、思い込みの激しさと「悪徳取調べ官」体質を現す好例ではある。

 さて、そもそも問題の、中京テレビの当該番組について、まずはざっと説明しよう。これは1996年9月30日に放映されたもので、インドネシアで元慰安婦にインタビューを行い、日本軍の犯罪性を視聴者に印象付けたもの。その影響は多大で、自虐史観を批判する各方面には今だに、この嘘つき番組を盲信する自虐史観の人間から脅迫まがいの「抗議」が寄せられる。何を隠そう、本誌にも、その手のテロリストから脅迫メールが届いている。

 で、どこが「嘘つき番組」なのかというと、番組に出てくる慰安婦の証言が、でたらめな翻訳のされかたをしているのだ。例えば字幕では、


   「買い物から帰る途中で無理矢理連れ去られました。日
   本兵に車に乗せられたのです」


と翻訳されている証言。ところが実際には彼女はこんな事は言っていないというのだ。正確に翻訳すると、


   「買い物から帰る途中で無理矢理連れ去られました。オ
   ランダの車、いや、日本の車に乗せられたのです」


となるというのだ。日本兵に連行されたなどとは言っていないのに、翻訳の段階でわざわざ、言ってもいない「日本兵」と言う言葉を入れているのだ。この手の悪質な情報操作、いや、詐欺行為が、番組の随所に見られるのである。詳しくは、本誌5/26号を御覧頂きたい。

 さて、以前批判したように、自分に反対する人間の存在価値を認めないという、ヒットラー顔負けの自称「ルポライター」西野留美子は、「あの番組は、情報操作などではなかった」ということを言いたいために、「検証」などと題する記事をでっち上げた。

 彼女は、96年の12月、暇人とすねかじり学生が、金に物を言わせて客船を借りきって世界中を周ると言う、本誌でも何度か批判した「ピース・ボート」なる市民団体の世界一周クルーズに、「水先案内人」として乗船した。彼女のようなただの詐欺師が、「水先案内人」などでは、船の安全航行にとって大いにマイナスとなると思うのであるが、その時に船上で、慰安婦セミナーも開かれた。

 どこにも逃げる事の出来ない、外部からの情報流入も大幅に制限されている船上で、「自虐史観派」の用意した講師の話を聞くなんて、まるでオウムの監禁修行のようなものなのであるが、西野は、そこで「講演」した番組プロデューサーの「言い訳講演」を聞き、その内容について何の検証もすることなく、ただ横から横へと垂れ流しているだけなのだ。こんな手抜き的詐欺行為で「ルポライター」などいう職業が勤まるなんて、日本は何とすばらしい国なのであろう。詐欺師でも堂々とでかい顔していられるこの日本は、まさに「職業選択の自由、あはは〜ん」の精神が隅々浸透した、「悪人天国」であると言える。

 ちなみにこの西野なる詐欺師、自虐史観派の総本山である「日本の戦争責任資料センター」の幹事でもある。連中の詐欺体質は、決して「自虐史観派」の一部の勢力のものではないのだ。

 さてさて、西野の「検証」について、私はじっくりと批判したいのであるが、あまりにも西野の「検証」がいい加減なので、批判の仕様が無い。以下のような西野の「検証」に対して、「西野は詐欺師の嘘つきである」という以外、どのような批判をすればよいと言うのだ?


   (制作担当者調べ)

   (番組関係者によると)取材した証言全体をまとめると、彼
   女はこう話しているという。

   (プロデューサー談)


こんなものが、西野の言うところの「検証」なのだ。ただ単に、情報操作「犯人」の番組関係者の話を聞いて、鵜呑みにしているだけだ。せめて、番組関係者が言っている事が事実なのかどうかを、確認するのでない限り、一般的な常識では到底、恥ずかしくて「検証」などと称することはできない。「自虐史観派」が羞恥心に欠けると言う良い例である。

 例えば、先ほど引用した、「日本兵」発言改竄の件について、西野が鵜呑みにしている番組プロデューサーの発言をまとめた以下の部分、


   取材した証言全体をまとめると、彼女(元慰安婦)はこう話
   しているという。

   「最初私は村にいたのですが、買い物から帰る途中、日
   本兵に無理やり連れ去られたんです。車で来て車に乗せら
   れました」

   字幕はそれを、「買い物から帰る途中で、無理矢理連れ去
   られました。日本兵に車に乗せられたんです」とまとめた。


 この「まとめ」の元になるプロデューサーの発言が事実なのかどうか、西野は確認しようとさえしていない。私が「ルポライター」なら、プロデューサーに対して、「本当に彼女(元慰安婦)がそんな事を言っていたのか、取材テープを見せてくださいませんか?」ぐらいは言うであろう。がきの使いじゃあるまいし、西野は知性が貧困なのか、それとも「嘘」と分かっていてプロデューサーの「言い訳」を垂れ流している確信的嘘つきなのか、いずれにしても、まともな大人ではないことは確かだ。


 西野もそうであるが、「自虐史観派」は、「元慰安婦の証言を少しでも疑ってはいけない!」などと、とんでもない事を言う。こういう人間たちが、過去の様々な冤罪事件を生みだし、無実の人間に多大な苦しみを与えたのである。

 ところが西野は今回、「被害者の証言を少しも疑ってはいけない」というだけでは物足りなくなったのか、「慰安婦の実態を伝える番組を疑ってはいけない!」とまで言いたげである。これは何も、西野一人の特殊な考えではなく、「自虐史観」に共通した狂信的信仰のようである。何しろ、西野と同じ「日本の戦争責任資料センター」の事務局長、上杉聡は、「我々の主張に沿った本に書いている事の真偽を学者が検証してはいけない!」などとふざけた事を堂々と言い、それどころか、「自己批判はしない!」、つまり「我々は正しい事だけを言っており、絶対間違える事はないのだ!」とまで言い切っている。オウム真理教よりも度し難い。

 これからは、連中が「やった」と称する「検証」とか「研究」、「調査」などというものに、一グラムの価値も見出すべきではなかろう。彼等のような詐欺師連中には、「悪貨は良貨を駆逐する」という格言を思い知らせてやるべきだ。もっとも、彼等の中に「良貨」が存在すればの話ではあるが。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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