反省無き「自虐史観」


                            中宮 崇


「自虐史観」の妄説が、また一つ崩壊した。果して連中の反応は、いかに!?


 本誌4/28号でも書いたが、今年2月に発生した「柳美里脅迫事件」というものがある。これは、「右翼」を自称する男の電話による脅迫により、芥川賞作家で在日韓国人の柳美里が、サイン会を中止に追い込まれたと言うもの。

 彼女は後日、「言論へのテロに屈しないために」、厳重な警備体制をしいた会場にて、葉書で事前に応募したファンにのみサインをするという、極めて異例の対応を行い、話題となった。

 彼女の姿勢については、小林よしのりや大月隆寛が批判を加えたのであるが、漫画家の小林はともかく、学者の大月が批判に加わったのは、少々大人げないと個人的には思う。

 相手は「たかが」、小説家である。言ってみれば、芸術家のようなものだ。思想の専門家でもなんでもない。その彼女が、思想的におかしなことを言ったりやったりしたからと言って、それほど大袈裟に騒ぐ事では有るまい。例えば大月は、今は亡き放浪の芸術家「裸の大将」などの言にも、いちいち批判を加えるのであろうか?

 芸術家というのは感性の人であり、少々思想的に変な方が、創作活動にとってはプラスとなると思うのであるが、いかがであろう。もっとも、「自由主義史観」の首魁、東大教授の藤岡信勝は、小説家の司馬遼太郎に影響されて運動を始めたそうであるから、「感性の人」に過剰反応するのは、「自由主義史観」共通の癖なのかもしれない。

 問題は、そういう感性の人の変な主張や行動を、周囲の人間が額面通りに受け取って、勝手に騒ぎまわる事だ。批判するなら、そういう周囲の阿呆こそ、相手にするべきであろう。今回の場合、そういう阿呆たちは、朝日新聞を始めとする「自虐史観派」である。

 連中は、柳自身が「右翼による犯行とは思っていない」と声明を発表していたにもかかわらず、「自由主義史観」にそそのかされた右翼による犯行のごとく書きたてた。また、自虐史観派の雑誌も、犯行を「自由主義史観」と結びついた右翼による犯行と決め付け、『インパクション』なる嘘つき雑誌にいたっては何と、どうつながるのか分からないがこの事件を、「右派による教科書攻撃」だなどと強引に結び付けて書いた(本誌4/28号記事「暴走レポート−2」参照)。

 もっとも柳は、後になって、「やっぱり右翼による犯行である」との見解にいたったが、その「変節」の原因となったのが、新右翼の鈴木邦男に入った、「実行犯」と称する男からの電話である。鈴木はその「実行犯」と電話で話し、「自分は右翼で、今までにも様々な人間に対してテロを行ってきた」ということを聞き出したと言う。この話を聞いた柳は、自分の今までの認識を変えたと言うわけだ。

 しかし、そもそも鈴木に電話をかけてきた男が、本物の犯人であるかどうか、確認の仕様が無いのに、鈴木の話をそのまま鵜呑みにして変節してしまっているところが、なんとも「感性の人」柳美里らしいのであるが、それはそれでよい。そういう軽薄さが無ければ、「家族シネマ」のような秀作を完成させる事は出来なかったであろうから。問題は、「自虐史観派」がこれにとびつき、「やっぱり右翼の犯行だったのだ!」と誇らしげに語っていたことだ。

 ところが、雑誌『創』9月号において何と、鈴木に電話をかけてきた「実行犯」が、「自分は右翼運動などやっておらず、失業中でむしゃくしゃして脅迫を思い付いた」と告白していた事が明らかとなった。しかも、鈴木は「犯人と電話で話した」などと言っていたのであるが、これが真っ赤な嘘であった事も明らかとなってしまったのである。実際には、鈴木の留守番電話に、「実行犯」の男から伝言が吹き込まれていただけだったのだ。

 『創』は、「実行犯右翼説」を流布する中心的役割を担っていた雑誌である。その論調も、『週刊金曜日』や『世界』ほどではないが、「自虐史観」に近い。その『創』が、こういう事実を認めざるをえない状況に追い込まれてしまったのだから、まったくもって笑止である。

 さて、ここで問題となるのは、朝日や『創』、『週刊金曜日』を始めとする「自虐史観派」の連中である。彼等は「実行犯右翼説」を盲信し、それどころか積極的に流布し、更に犯罪的な事に、当事件と全く関係の無い、歴史教科書論争の武器として利用し、いつものようにデタラメ書き放題で、敵である「自由主義史観」を攻撃した。それが一挙に崩壊したのだ。無残を通り越して、悲惨でさえある。

 柳を批判した、前出の小林よしのりや大月隆寛は、初めから「実行犯は右翼ではなく、ただの愉快犯だ」との見解を示していたのであるし、私もその説に与していたわけであるが、結局それが正しかったわけだ。そんなことは、今までの右翼の犯行と比較検討し、少々の常識を働かせれば誰にでも分かる事なのであるが、常識に欠ける貧弱な頭脳と、「何でも「自由主義史観」攻撃に利用してやろう!」という卑しい品性とが、朝日を始めとする「自虐史観」の連中の目を曇らせたのであろう。もっとも、連中の目が曇っているのは、今に始った事ではないが。何しろ例の『インパクション』、某市民運動系メーリング・リストでは、「自由主義史観批判の決定版」などと喧伝され、だれもそれに異議を挟まなかったのであるから。

 さて、事態がここに至っては、連中の犯罪的マインド・コントロール体質が誰の目にも明らかになってしまったわけであるが、朝日新聞や『週刊金曜日』、『インパクション』を始めとする「自虐史観」の詐欺師達が、自らの行為を謝罪し反省するかどうか、大変見物である。もっとも、連中が、自らの非を認めて謝罪したところなんて、いままでに一度も見たことはないが。

 有り得る可能性は、「鈴木に電話をしてきた自称「実行犯」が、本当に犯人だとは限らないではないか!」などと言い出すことである。今までは無条件に、「鈴木に電話してきた男は、本物の実行犯だ!」と盲信していたくせに。まあ、最も可能性が高いのは、完全に無視・黙殺し、何も無かったかのように振る舞うことだろう。それこそ、連中のいつもの「卑劣さ」にふさわしい。

 さて、「実行犯右翼説」を流布していたのに、自らそれを否定せざるをえないところに追い込まれた『創』、まったくもって「自虐史観派」の雑誌らしい醜い最後の抵抗を試みている。巻末の、読者からの投書コーナーに、「柳美里脅迫事件と、櫻井よしこ弾圧事件を同列に扱うのはおかしい!」という類の、アンポンタレな投書を、なぜか「今になって」、4つも並べていた。「櫻井を弾圧した神奈川人権センターは、名前を名乗っていた。柳を脅迫した犯人は、名を名乗らなかった」から、同列に扱うのはおかしいのだそうだ。う〜む、理解し難い珍論である。ならば、例えば私が警官で、「私は愛知県警の中宮だが、あなたの電話をこれから盗聴します」って言ったら、「脅迫」や「弾圧」にならないのであろうか?「自虐史観」の低劣な品性には、どうもついて行けない。


 柳美里事件を「自虐史観派」は、敵である「自由主義史観派」を攻撃するための「天佑」と思っていたのであろうが、あまりにも安易に飛びついたため、手痛いやけどを負うことになってしまった。もっとも、「右翼ではなく、ただの愉快犯だ!」と当初から分かっていたとしても、連中の卑劣さからして、それはそれなりに、「自由主義史観」攻撃に利用したであろうが。

 しかし、「自虐史観」にこういう品性下劣、知性貧困な連中ばかりしかいないのでは、「真の自虐史観」を標榜する私としては、実にやりにくくってかなわない。

 そういえば、「自虐史観派」や市民団体がよく「利用」する、お下劣スキャンダル誌『噂の真相』、柳美里を「男好きのあばずれ」として叩いていたな〜。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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