おててつないで詐欺行為


                            中宮 崇


「自虐史観派」は、きちんとした躾をしてもらえなかった、気の毒なガキである!


 市民団体や「自虐史観派」の連中は、卑劣漢である。「自分たちは、絶対的正義である。正義のためなら、詐欺でも何でも許される」と考えている。例えば、本誌4/28号記事でもその嘘つきぶりを批判し、7/28号では悪質な情報操作の実態を暴いた、『インパクション』なる雑誌。ある市民運動系MLでは何と、「自由主義史観批判の決定版」などと紹介されていた。彼らが、嘘も情報操作も、「正義の実現のためには許される」などと考えていると言う証拠である。

 こういう、詐欺容認思想は、何も連中の草の根レベルでのみ広まっているものではない。トップのところまで、そういう確信的犯罪意識で侵されている。

 その一例が、嘘つきキャスター筑紫哲也も関っている、雑誌『週刊金曜日』7/18号である。そこでは、「日本兵百人斬り」という大嘘を今現在も堂々と宣伝している詐欺師、本多勝一が、『近現代史をどう見るか 司馬史観を問う』(岩波書店)という本を絶賛する書評を書いている。

 一部の方は、御記憶がおありかもしれないが、本多がべた賞めするこの本は、本誌5/26号記事「暴走レポート」で既に、そのとんでもない詐欺行為を大いに暴いた、トンデモ本である。何しろこの本の著者である中村政則、司馬遼太郎の本を批判したいらしいのだが、ろくに本も読まずに嘘ばかり書いているという、まあ人間として最低の御人である。しかもその大嘘つきは何と、一橋大学などと言う名門校の教授なのだ。「自虐史観派」の「学者」というものが、いかにいい加減な卑劣漢であるか、このことだけを見ても、十分お分かりであろう。

 そしてその著者は、卑劣なる詐欺師であると言うだけではなく、実は頭脳に多大なる障害を抱えておいででもあるようだ。周囲の人間も、こういう病人を早いところ病院に収容してあげないとは、「自虐史観派」とは何と、(敵に対してはもちろんの事)仲間への思いやりに欠ける連中なのであろう。

 彼が「頭脳に障害がある」証拠は、以前批判したように彼が、日本語を操る能力に問題があると言う点からも明らかなのであるが、「日本は、税金を集めない国家である」という、なんとも「愚か」としか言い様が無い戯れ言を信じきっているという点を考慮すると、もはや治癒の見込みはなかろう。何しろ彼は、「税収が多くても、支出の方も多ければ、それは「税金が集まる」とは言えないのだ」と考えているのだ。これでは、古今東西のあらゆる国家は、「税金を集めていない」ということになる。それどころか、サラリーマンだって、彼に言わせれば、貯金をしない限り「給料をもらっていない」ということになるのであろう。「正気ではない」とは、まさにこのことである。敵である「自由主義史観派」を攻撃するために、こういう常識はずれの珍妙な屁理屈をこねるのが、「自虐史観派」の「学者」の姿なのだ。

 しかもこの嘘つき学者、「日露戦争当時のロシアは、朝鮮を侵略する意図など持っていなかった」などと言う。ところが笑止な事に、その根拠とする資料が、KGBなどによる検閲や弾圧が激しかった時代の旧ソ連の歴史学者の論文なのだから、連中の「ソ連バンザイ」体質がここでもまた暴露されてしまった。

 さて、その精神に多大な障害の有る学者のトンデモ本をべた賞めする本多勝一、こういう下らん連中のいつもの手であるのだが、相手の主張のどの辺りがおかしいのか、ろくに指摘もせずに(出来ずに)、「下らない」とか「嘘つき」とか、ひどい時には「麻薬でもやっているようだ」などとまで言い放つ。

 本多も、敵の主張のどの辺りがおかしいのか指摘も出来ないくせに、


   よくもまあ飽きもしないものだと思うが、こうすると「売れる」
   のだろう。


と、ようするに「自由主義史観派」は「商売で(本多が言うところの)嘘を垂れ流しているのだ」と言っているのだ。私などに言わせれば、「自虐史観派」こそ、商売のために、幼児にでも見破れるような大嘘を書き立てて荒稼ぎすると言う詐欺師集団なのであるが、まあ、連中のような狂信者は、オウムと同じで、サリンを撒いてとっ捕まるまで、自らの犯罪行為に気付く事はないであろう。

 そして連中に広く見られる特性であるのだが、敵を攻撃するためならば、嘘でも詐欺でも情報操作でも圧力でも、ようするにどんな汚い手でも使って良いと考えているのだ。何しろ本多は、この大嘘本を、「勇気有る書物」などとまで絶賛している。そしてもはや笑うしかないのであるが、


   そこはさすがに本来の意味での学者、反批判に急なあまり
   感情的になったり論理が飛躍したりしない。


などとまでおっしゃる。

 かの本の「自称学者」である著者が、ろくに本も読まずに、嘘でもなんでも書き立てて相手を批難をするゴロツキであると言う事は、既に暴いているのであるが、本多も「ろくに本も読まずに書評を書く詐欺師」である。「感情的」や「論理の飛躍」どころか、嘘にまみれている本を、よくもまあ厚顔無恥にも、こうまで称賛する事が出来るものだ。「自虐史観派」の詐欺体質には、まったくもって想像を絶するものがある。

 さて、「自虐史観派」の連中は、独善的でもある。敵に対しては当然そうであるが、味方に対してもそうである。なにしろ本多は、「書評」なのにろくに本を評せずに、自分の略歴と思想の紹介に余念が無いと言う、何ともまあ醜い姿をさらしている。つまり、「書評」などと称していること自体、すでに詐欺なのだ。連中の卑劣さは、全く救い難い。


 本誌でも何度も指摘している事であるが、「自虐史観派」の連中はそもそも、人間としての品性に欠ける。何しろ、味方に対してはきちんと「氏」とか「さん」とかを付けるのに、敵は呼び捨て。本多も記事において、「敵」であるところの藤岡信勝や司馬遼太郎の事を「藤岡」「司馬」と、平気で呼び捨てにしている。その一方で、詐欺師中村に対しては「中村氏」ときちんと呼んでいるのであるから、「自分たちのような絶対的正義に挑戦する連中など、呼び捨ててしかるべき」と考えているのであろう。

 こうして見てみると、「自虐史観派」などという連中が発生する原因が明らかになってくる。彼等の共通した病理として、「品性と礼節に欠ける」、「日本語を知らない」というものがある。つまり、きちんと躾をしてあげなかったところに、こういう犯罪者集団が生まれてくる原因があるのだ。その意味においては「自虐史観派」は、酒鬼薔薇聖斗と同じように、「社会が生んだ」異常者でもあるのだ。連中のような詐欺師を追加供給しないためにも今後は、親や教師による適切な躾を望むものである。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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