漫画いいたい放題

   『おたんこナース(1〜4巻)』(小学館)

             佐々木倫子


                            中宮 崇


 世には「社会派漫画」というジャンルがあるらしい。厳密にはどのように定義されるのかは知らないが、響きからして、説教じみた、糞面白くもないようなイメージを今まで抱いていた。

 ところが最近、面白くて説教じみていない、それでいて色々と考えさせられると言う、何とも夢のような(笑)逸品に巡り合った。それが、佐々木倫子作『おたんこナース』である。

 これはもともと『週刊ビッグスピリッツ』に不定期で現在も連載されている漫画で、今までに4巻が単行本として刊行されている。

 「ナース」という言葉が題名に入っていることからも想像がつくように、看護婦の生活の実態を描いた漫画である。内容も、『おたんこナース』という、その秀逸な題名に全く負けない、すばらしいものとなっている。

 主人公の名は似鳥ユキエ。新米看護婦である。性格は、ズボラ、大胆、短気、楽天的と、空恐ろしいほどの組み合わせであるが、一方で、熱血漢で理想主義、情熱的で思いやりにあふれるという面も持っている。

 この実に個性的な主人公を中心に、看護婦の私生活といった軽い話題から、終末医療問題、ボケ問題、ガン告知問題のような重い話題まで、実に幅広く描き、しかもそれをエンターテインメントとしても成功させると言う離れ業を行っている。



右から、似鳥、丸田、堀田、主任さん(名前不明)


 昨今の医療問題について初歩的な知識を仕入れたいのならば、まずはこの漫画を読むことをお勧めする。それほど、実に勉強になる本である。それでいて、『マンガ日本経済入門』のような説教臭さや教科書的淡白さは全く感じさせられない。娯楽作品としても一流である。

 特に、「白衣の天使」のイメージの下に、過酷な職場環境を押し付けられている看護婦と言う職業の実態をまざまざと描き出している点は、優れものである。しかも、作者の佐々木のすごいところは、そういう日テレ系ドキュメント『看護婦24時』的な「告発」だけで終わらせるのではなく、世間の目と実態との乖離に思い悩む看護婦たちの葛藤を、これまた深刻ぶることなく、実に楽しく描いている点である。

 例えば、看護と言う仕事を患者にさえもなかなか理解してもらえないことに悩む似鳥に、先輩看護婦たちがいろいろとアドバイスを与える場面がある。主任さんは、「他人から評価してもらえなくたって自信と誇りをもって仕事すればいいじゃないの」と、極めて常識的な助言を与える。

 ここで終わってしまうと、それこそ『マンガ日本経済入門』になってしまう訳だが、一方で、前出の画からもクールさが伝わってくる堀田には、似鳥の「看護って何ですか?」という質問に対してこんなことを言わせている。



 建前にこだわらず、実態に迫ろうとする作者のパワーを感じさせられる場面である。

 また、「看護婦は、患者をいたわる女神様」という、世間に根強く残っているイメージも、粉々に打ち砕いている。何しろ、このマンガで一番多いテーマが、「看護婦と患者の駆け引き」なのだ。

 わがままでだらしない患者vs看護婦、ガン告知を迫る患者vs看護婦、「病院支配」を目指す番長患者vs看護婦、治療方針を守ろうとしない患者vs看護婦、ナンパ狂患者vs看護婦と、このテーマに絞っただけでも、シュチュエーションは多種多彩。中には、実力行使を伴うし烈な闘争に発展して行くものまである。

 ところが、それらのどれを取っても、物語の最後では実にカラッとした結末を、しかも某グルメマンガ『美味○んぼ』のような御都合主義に陥ることなく迎えている。作者の構想力は、尋常ではない。

 佐々木の力量の非凡さは、「死」を描く場合についても、存分に発揮されている。看護婦と、その職場である病院を描く関係上、どうしても「死」と言うものから無縁ではいられないし、実際漫画でも、患者の死について何度となく描かれている。しかしそこには、不健康な深刻さや、押し付けがましい死生観は全く見られない。どれも最後は、「ああ、よかったね…」と、ホワンとさせられる、温かい結末を迎える。最後に患者が死んでしまう場合でも、そうなのである。


 作者の佐々木倫子ほど、デビュー当時に比べて成長した漫画家を、私は知らない。某国のドジな新米スパイを描いた『ペパミント・スパイ』、健忘症の少年とその家族のコミカルな生活を描いた『食卓の魔術師』シリーズなど、初期の作品はいずれを見ても、私に言わせれば到底及第点を与える事は出来ない。

 何がいけないかと言うと、まず、ストーリーが必要以上に入り組んでおり、難解であった。読者を喜ばせるための複雑さと言うより、作者自身が満足感を得るための独善的な複雑さと言った方が良いような物が随所に見られた。また、コマ割がへたであった。次にどのコマを見たら良いのか、混乱させられることがたびたびあった。

 そのような傾向を脱し始めたのは、80年代後半の『林檎でダイエット』シリーズからであるように思われる。これは、天然ボケぎみの美人姉妹の生活を描いた作品なのであるが、前述のような、作者の技術的な未熟さがほぼ完全に克服されている。

 そして、佐々木が一大ブレイクを果した作品が、(作品中では明示していないが明らかに)北海道大学獣医学部を舞台に、獣医の卵たちの生態(笑)を描いた作品、『動物のお医者さん』である。これは、後に殺人事件まで引き起こしたシベリアン・ハスキー犬ブームの火付け役としても有名であり、大学の獣医学部の志願倍率が激増したと言う、いわく付きの作品である。

 『林檎でダイエット』で技術的未熟さを克服した佐々木は、『動物のお医者さん』において、後の『おたんこナース』にもつながる、綿密な取材に基づく、ストーリー性と構想力に優れた作風を確立した。その執拗さは、「手術」のことを「オペ」と呼ぶだけの、医療現場ものテレビドラマの軽薄さの比では無い。


 ちなみに、私の個人的な話になるが、本作品には、私の好みの女性のタイプ2系統にピタリと当てはまる看護婦さんが、それぞれ一人ずつ登場する。一人は、天然ボケ気味ではあるが、看護婦としてはプロ中のプロの、マリアさまのような主任さん(酒好きらしい)、もう一人は、ショートカットでクールな性格の堀田さん(塩辛いものが好き)である。特に堀田さんは、正月勤務を、何とも合理的な理由から、自ら志願するほどのクールさである。



 堀田さんは、本作品において、看護婦に関する世俗的なイメージを打破する中心的役割を担わされているように思える。彼女が煙草を吸うと言うのも、一般人にはあまり、「看護婦」という言葉からはすぐには思い浮かばないことである。

 まあ、色々と勝手なことを書いたが、現場の看護婦さんやお医者さんのご意見を是非ともお聞かせ願いたいものである。この作品が、彼等の職場環境にどのような影響を及ぼすのか(あるいは及ぼさないのか)、ハスキー犬ブームのような負の影響を及ぼす可能性はないのか、今後注目すべき点を多く含む作品である。

 願わくば、本作品をきっかけとして、医療現場の様々な問題に世間の目が向けられるようになって欲しいものである。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


前のページへ