年貢は納められるか?(その1)
中宮 崇
人命をもてあそび、やりたい放題のマスコミ人たち。今度こそ「年貢の納め時」か?
8月最後の日の日曜の朝は、だれ一人予想していなかった衝撃的なニュースとともに始った。
「ダイアナ妃、交通事故で重傷!」。夏休みの宿題の山にヒーヒー言っていたであろう小中学生達も、自らが招いた事態の深刻さを一瞬、忘却のかなたに吹き飛ばしてしまうほどのショックを受けたと思う。
しかし、午前の時点ではまだ、「重傷」であった。「重体」という言葉を見出せない速報に私は、「生命に別状はないのだろう」と思ったものだ。実際、「意識はしっかりしている」などという、今から考えれば全くいい加減で許し難い虚報も、「未確認情報」のラベルも付けずに垂れ流されていた。
ちなみに、このニュースをもっともうまく利用して視聴率を稼いだのは、テレビ朝日のようである。なにしろ私の目にとまっただけで、朝から4本もの「報道特別番組」を編成していた。しかも、日本のハイエナの一人、梨本とかいう芸能レポーターが、どの特番にも登場していた。兵庫県南部地震(俗称:阪神大震災)の時にもそうであったが、朝日新聞といいテレビ朝日といい、この種の「特需」をものにするのが実にうまい。何しろ、震災関連の写真集等の出版物を、一番沢山だしていたのは、朝日新聞なのだ。実に感心させられる。
交通事故の原因などについては、未だ取調べ中である。しかし、10人近くもの、バイクに乗ったハイエナ達が存在しなければ、発生し得なかった事件だということは、誰にも否定できまい。
ダイアナ妃は、結婚直前から離婚、そして現在にいたるまで、世界中でもっとも「価値ある取材対象」であった。そしてそれは、信じられないことに、事故の直後の修羅場でも同じであったのだ。事故の引き金を引いたハイエナ達は、傷に苦しむダイアナの姿を激写していたという。救急車を呼びもせずに…。そしてその後、怪我人と死者を放っておいて、現場から逃走した者もいるという。
半死半生のダイアナを前に、ハイエナ達が一番に考えたことは、「これで飯のネタが一つ出来た」ということなのであった。彼等は、一人の、子を持つ母親の将来よりも、明日のフルコースの方を選んだのだ。実際、ヨーロッパじゅうの出版社や新聞社には、その際のダイアナの姿を写した写真を、億単位で売り込む電話が既に入っているという。全く、人間というものは放っておくと、どこまでも卑劣で卑しくなれるものだ。
事故は(不謹慎ながら)さいわい、イギリスではなくフランスで起きた。フランスは、「何もしなかったことによる責任」というものを、実に厳しく罰する国である。日本でも大きな問題となったHIV問題についてはフランスでは、「何も有効な手を打たなかった」ことにより、当時の閣僚まで刑事責任を問われた。今回も、ハイエナ達は最低限、「怪我人を前に、救命義務を怠った」ことによる刑事責任を問われることになろう。
もしこれがイギリスで起こった事故であったのなら、ハイエナ達は無罪放免になった可能性が高い。紳士の国イギリスでは、プライバシーを暴くことや「何もしなかったことによる責任」というものが、ほとんど法では問えないような制度になっているのである。「人間は、みんな紳士であるのだから、そんな卑怯で卑劣なことをするはずがない」とでも考えているのかもしれない。しかし、法の網をかいくぐって甘い汁を吸う卑劣漢は、いつの時代、どこの国にでもいるものなのである。特に日本には多いようであるが。
奇妙なことに、紳士などいまやほとんど絶滅状態にある日本においても、イギリス同様、プライバシーの侵害や「何もしないことによる罪」というものに対して非常に甘い。ほとんど「やり得」と言っても良いであろう。こんな馬鹿げた状況が続いている原因は、マスコミによる情報操作にある。
例えば、今回の事件においても恥ずかしげも無く言われていることであるし、プライバシーが問題になるときのマスコミの「避難所」となる主張として、「我々マスコミは、大衆が求めているものを提供しているに過ぎない」というものがある。つまり、ダイアナのヌードを求めるのも大衆であり、山口ももえの子供の運動会を盗み撮りするのも、大衆のため、というわけだ。そもそも、これは明らかに、大衆蔑視である。
このような主張が全く不当なものであるということは、最近偶然明らかになった。オウム真理教による坂本弁護士ビデオテープ事件を引き起こしたTBSは、それまで昼の枠を占めていたワイドショーを廃止し、「生活情報番組」なるものを新たに始めた。全局横並びであった、お昼のワイドショー枠に、(TBSにとって不本意な形でとはいえ)風穴があけられたわけだ。
当初TBSは、ほとぼりが冷めた時点でこの番組を潰し、またワイドショーを始めるつもりであったようだ。何しろ、この手の地味な番組が視聴率を取れるとは、マスコミ関係者はだれも思っていなかったのだから。しかし、大方の予想に反してこの番組は、極めて良好な視聴率を獲得し、その結果、番組は存続することになった。
日本のテレビでは長年、お昼から夕方にかけて、「ワイドショー」なるお下劣番組が仲良く横並び状態でひしめいていた。マスコミ関係者はその理由を、「大衆が求めるから、そうせざるを得ないのだ」と説明していた。しかし、このような説明は実は、自身が下劣好きのマスコミ関係者が、自らの行為を正当化するための、何の正当性もない言い逃れに過ぎなかったのである。何しろ大衆の相当数が今や、ワイドショー以外のものにチャンネルを合わせているのであるから。
坂本弁護士一家全員殺害という、多大な犠牲を払って我々は、マスコミ関係者の妄言が、ただの言い逃れであったという事実を、視聴率という、マスコミ人ならば誰も否定できない貴重な実験データとともに手に入れることが出来た。
今回のダイアナ妃の犠牲も、少しでも状況の改善のために役立てることが出来なければ、ただハイエナどもに殺されただけ、それこそ無駄死にというものだ。
つまり、彼女の死を無駄にしないことが、今の我々に出来るせめてもの供養なのである。しかし、日本のマスコミは、一見事件に批判的な態度を見せつつ、良く言い分を聞いてみると、実のところ「プライバシーの侵害は良いことなのだ。今回は特別な例なのだ」と、実に破廉恥なことを言っている。何とも巧妙である。彼等のような破廉恥漢に年貢を収めさせるためには、一体どうすればよいのであろうか?(つづく…)
なかみや たかし・本誌編集委員