その男、前科者につき…


                            中宮 崇


マスコミの怠惰が民主主義を滅ぼす!


 その男は昔、犯罪を犯した。誘拐?人殺し?いや、誰の命を奪ったわけでもない。マスコミは、男の犯罪を連日報じた。人々は男を罵り、後ろ指をさした。男は捕まり、裁きを受けた。

 月日は流れ、男の犯した罪の記憶は、人々の間で薄れていった。彼の過去の罪を暴き立てる者は、どこにもいなかった。

 最近、男はチャンスをつかんだ。彼はそのチャンスを逃さなかった。男は大立て者になった。そのとたん、今まで誰も注目しなかった彼の過去の罪を、マスコミは大々的に騒ぎたてた。男の過去の犯罪のことなどほとんど忘れていた多くの人々は思い出したように、男を激しく攻撃しだした。誰もが男を、そのつかんだ地位から引きずり落とそうとしている…。


 これは、架空の話ではない。実話である。男の名は佐藤孝行。あのロッキード事件でお縄を頂戴し、有罪を宣告された前科者である。彼は今回の第二次橋本内閣の総務庁長官の座を射止めた。

 彼の過去の罪を覚えていた人間が、果してどれほどいたであろうか?テレビでは、街頭インタビューで「こんな人に大臣になって欲しくないですね〜」などとわけ知り顔で答える通行人達の映像が、連日流されている。しかし、この人たちは、「佐藤孝行はロッキード事件で有罪が確定している」という記憶を保有していたのであろうか?そんな記憶力の抜群な人々が、それほどたくさん町角を闊歩しているはずがない。「佐藤は前科者」という情報は、最近唐突に騒ぎ出したマスコミが与えたものである。

 よほどの政治通か政治オタクでもない限り、佐藤孝行の履歴など記憶に止めている者がいるはずがない。マスコミが騒ぎ立てなければ、これほど彼の大臣就任が問題視されることはなかったはずだ。ちょうど、マスコミの意図的な針小棒大的報道によって、「イギリス王室批判」が作り上げられたように。

 市民が忘れかけていることに注意を喚起し、知らないことは知らせる。これこそマスコミ重要な機能の一つであり、守るべき原則であろう。その意味において、今回のマスコミの報道姿勢は完全に正しい。

 しかし、たまたま正しかっただけである。ちょうど、ペテン占い師のエセ予言がたまたま当ったようなものだ。

 本当にマスコミが、その原則に忠実であるならば、先週今週と本誌が行ったような批判の多くは、する必要がなかった。彼らが怠慢、いや、それどころかサボタージュしてまで原則を踏みにじっていたからこそ、それらの批判が生まれたのだ。

 マスコミが原則を放棄した例は、枚挙にいとまがない。何度か触れてきた北朝鮮の食糧問題や日本人妻問題は、ほんの氷山の一角に過ぎない。

 さらに、マスコミによるサボタージュには、人権派とか進歩的文化人などの下らん連中も一枚かんでいる場合がある。例えば、少女を誘拐した上殺害し、遺体を切り刻んで逮捕された小野悦男なる男がいる。彼は過去にも繰り返し犯罪を犯していた常習犯であった。そして何よりも、74年の松戸OL殺人事件で逮捕され、その後、自供や物的証拠の存在にもかかわらず、証拠不充分で無罪となったという経歴の持ち主である。

 奇妙なことに、小野が少女殺人事件で逮捕された際、その常習的犯罪の経歴や松戸OL殺人事件についての報道は、ほとんどなされなかった。その影には、人権派の策動があったのだ。

 本誌でも以前、そのいい加減さを批判した、同志社大学教授の浅野健一。彼こそ、人権派の旗手であり、小野悦男を「冤罪のヒーロー」として祭り上げた中心人物である。彼の活動により、小野悦男は無罪を勝ち取ったと言っても過言ではあるまい。そして今回の逮捕の際にも、小野の過去の経歴の一切を報道してはならぬと強硬に主張し、マスコミはその主張に屈した。つまり人権派は、情報の流通を妨害したのだ。彼等は、佐藤孝行の過去を暴くマスコミの行為を、どのように考えているのであろうか?保身に余念のない彼等は、固く沈黙を守っている。

 情報の流通を制限することが好ましいことであるかどうかは、また別に議論があろう。プライバシーを暴くような場合には、情報の制限も正当化される場合があるのは、広く受け入れられることである。

 しかし、人権派やマスコミが、本当にしっかりとした原理原則を持っているのであれば、小野悦男の過去の犯罪を市民の目から隠匿した同じ連中が、佐藤孝行の過去の犯罪は連日暴きたて、人権派もそれに対して何ら異議を唱えていないという現在の状況を、どう考えればよいのか?

 「小野悦男は無罪を獲得し、佐藤孝行は有罪を宣告されたのだから、暴かれて当然!」などという言い訳は通用しない。少なくとも、小野を「冤罪のヒーロー」として祭り上げた連中の言う言葉ではない。なぜか連中の御都合主義脳みそは、佐藤の罪が冤罪であるという可能性には思いいたらないらしい。大体、有罪ならばプライバシーを暴いてよいというのであれば、酒鬼薔薇少年も有罪を宣告されれば、人権を無視して何でも暴き立ててよいことになるはずだ。ところが連中は、最近もそれと反対のことを言って、酒鬼薔薇少年を擁護していたのではなかったか?

 佐藤孝行の過去の犯罪を暴き立てる根拠として最も有力なのは、「佐藤は公人であり、犯罪も公的なものであった」というものであろう。しかし残念ながら、欧米のマスコミならともかく、怠惰で卑劣な日本マスコミには、これさえも根拠として利用する資格はない。「政治ゴロ」とさえ呼ばれる、記者クラブに出入りすることしか脳のない政治記者たちは、佐藤の過去の犯罪を、今まで放っておいた。

 何しろこの連中は、政治家の犯罪さえも、日ごろ見逃して涼しい顔をしているのである。そこには、彼等政治ゴロが、政治家からの有形無形の利益供与を受けているという信じられない汚れた関係があるからだ。記者が政治家に飯を奢ってもらうなんてのは、日常茶飯事である。実際、政治ゴロがいつのまにか政治家に立候補しているなどというのは、全く珍しくないことであるし、ロッキード事件の際などは、「田中の犯罪なんて、俺達はとっくの昔に知っていたよ」などとうそぶく記者までいた始末。

 つまり日本のマスコミは、自分たちが利益を被るかどうかによって、公人の犯罪を暴きたてるか隠匿するかを決定しているのである。「民主主義を護るために、公人の犯罪は厳しく暴きたて追及する」という、欧米のマスコミ人なら胸を張って口にできる言葉が、日本マスコミに関わる人間の多くには、同じように口にする資格はないのである。これは、日本の民主主義の健全な運営にとって、極めて重大な阻害要因であり、「ガン細胞」であるとさえ言える。


 佐藤孝行の過去の犯罪を暴くことは、日本の民主主義を護る上で絶対的に正しいことである。しかし、日本マスコミの犯罪的な怠慢と卑劣さは、その正しさに重大な影を落としている。日本の民主主義を危機に陥れている一番の責任者は、政治家でも市民でもない。マスコミである。そういえば日本マスコミには、数十年前にデモクラシーを破壊し日本を戦争に追い込んだ前科がある。


                              なかみや たかし・本誌編集委員


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