「そんな印篭、目に入らん!」
中宮 崇
「報道の自由」の下、次の殺人の機会を待つマスコミども!
今日もまた、パパラッチとマスコミどもの大嘘が暴露された。よくもまあ、連日これだけの嘘がばれて行くものである。パパラッチは事故直後、こう言っていた。
事故直後、ダイアナの脈を取り、生死を確かめ、救急車に電
話した。
調査の結果、パパラッチが救急車を呼んだなどというのは真っ赤な嘘だったということが明らかになった。
もっとも、パパラッチやマスコミが嘘を付くのは、今に始ったことではない。何しろ、画像修正の技術を悪用して、ダイアナ妃の名誉を傷つける悪質な改竄写真を、しかも改竄したことを伏せて掲載したことまであったのだから。「大衆が求めていた」ら、でっち上げ写真を掲載しても構わないというのであろう。
パパラッチの証言が大嘘だということを示す証言は、事件発生当初からたくさんあった。しかしマスコミは、それらの証言をほとんど無視し、パパラッチの大嘘のみを連日垂れ流した。これらの嘘も、「大衆が求めていた」とでも言うのであろうか?
なぜパパラッチどもは、こんなすぐにばれる嘘を付いたのか?簡単なことだ。「血にまみれたダイアナ妃の写真」という、かつてないお宝を売り込む時間が欲しかったのだ。
連中にとって、嘘が永遠にばれない必要はない。写真を売り込むだけのわずかな時間が稼げれば、それで十分なのだ。マスコミは、そのような「営業時間」を稼がせてやることによって、連中の卑劣なテロ活動の手助けをしたのである。実際、「営業活動」の終わったパパラッチが、先日警察に3人出頭したことは、先週も書いた。
マスコミには、パパラッチを「トカゲの尻尾切り」してしまおうという動きがある。オウム事件のときに、TBSがワイドショーだけに全ての責任を押し付けて切り捨てたのと、同じ卑劣な作戦だ。
9月4日に放映された、NHK「クローズアップ現代」を見た私の心は、抑えようもない怒りに満たされた。その日のテーマは、「プリンセス・ダイアナとパパラッチ」。登場したパパラッチや「ザ・タイム」(イギリスの高級紙)の編集長のふざけた言い草に、連中の卑しい根性と、パパラッチ、マスコミの馴れ合いの実態を見た。
そこに登場したマックスなるパパラッチは、こううそぶいた。
全ては金のためさ
彼は、「金になるから」と聞いて、サラリーマンから転職したパパラッチである。
金のために何かをやることは、別に悪いことではない。しかし、目的が金だけなのにもかかわらず、それを「報道の自由」とか「社会正義の実現のために」などという美辞麗句でカモフラージュしようとする詐欺行為を許す事はできない。
また、別のパパラッチはこう言う。
みんな新聞を読んで喜んでいるじゃないか。
こうまで人を馬鹿にしたパパラッチもいた。
人は誰だって、権力、金、セックスにもっとも関心を持って
いる。だから読者、新聞社、カメラマンそれぞれに責任があ
る。
新聞社はともかく、読者に責任を押し付けることがいかに犯罪的な言い逃れ行為であるかということは、先取号記事「年貢は納められるか?(その1) 」において、日本のワイドショーの例を取って暴いた。
「イブニング・スタンダード」紙(イギリス大衆紙)のクーパー副編集長、彼女は薄笑いを浮かべつつ、こう言い切った。
王室のことなら、何でも載せます。面白ければよいのです。
大衆が求めるものを載せるのです。何も悪いことはありませ
ん。
このようなふざけた態度は、何も低劣な大衆紙の関係者だけの専売特許ではない。高級紙である「ザ・タイム」の編集長であるアンソニー・ハワードの発言は、大衆紙も高級紙も、その犯罪性には何ら変わりがないことを示している。
ダイアナ妃も、マスコミを利用していたのです。
市場が、ダイアナの写真を求めていたのです。
一般市民は、キタナイ写真の新聞を買うのです。
以上のような言い草は、全く不当な、一片の正義も含まれない妄言である。
高級紙も大衆紙も、自らの責任を回避し、ダイアナ妃と大衆を貶めようとしていることには変わりないのである。
さらには、こんなことまで言う。
マスコミを規制してはいけない。
閣僚がガールフレンドといるところを写真に撮るのは当然で
ある。
数ヶ月すれば、どうせまたダイアナ妃が死ぬ前の状況に
戻って、王子がかわいい女の子と居る所を写真に撮られる
だろう。
そこまで分かっていて、「マスコミを規制してはいけない」とは何事か。次は、二人の王子を殺す気か?自主規制も効果無いということが分かっていて、それでもなお、法規制を拒否するのであれば、そういうことになろう。大衆紙も高級紙も、同じ「死の商人」なのである。
連中は、金だけのために動いている。金さえ儲かるならば、何でもやる。一人の女性を死に追いやることもためらわない。それどころか今や、残された二人の王子さえ血祭りに上げようとしているのだ。
そんなただの金の亡者を、自由にしておいてよいはずがない。連中は金のためだけに、他人のプライバシーを覗き、盗聴し、不法侵入し、盗み、そして死に追い込む。「報道の自由」という印篭を振りかざして。
たとえ「悪代官!」と罵られても、「不忠者!」の烙印を押されようとも、そのような横暴な水戸黄門に対しては、私は反乱を起こさずにはいられない。
なかみや たかし・本誌編集委員