二枚舌症候群(その2)


                            中宮 崇


NEWS23の侵略


 かつて筑紫哲也は言った。「TBSは死んだ」と。オウム坂本弁護士一家殺害事件にTBSが「関与」した時の言葉である。そして今、筑紫自身が逝ってしまった。

 自ら主張する事を、自身では守ろうとはしない輩、それを「卑劣漢」と言う。上記の発言にもかかわらず、NEWS23降板を撤回しただけでも、筑紫の卑劣性は弁護し難い。

 おまけに、卑劣漢の上に二枚舌となれば、もはや救い難い。サヨクの頭目として、公共の電波を私物化し、日夜盲論虚言を垂れ流し続ける男、それが筑紫哲也である。

 一昔前、朝日新聞を始めとするサヨクは、


   文部省が、教科書の記述の中国「侵略」という部分を、
   「進出」に書き直させた


というデマを撒き散らした事がある。中国政府による抗議にまで発展しながら、その後の調査で全く事実無根とされたこのでっち上げ事件について、筑紫はかつて、大いに憤って見せたものである。こういうのを、「自作自演」と言う。

 このような人道にもとる大嘘について、謝罪どころか訂正さえしようとしない筑紫哲也等サヨクの連中の卑劣性は、別に、今話題の従軍慰安婦論争や南京大虐殺論争に始った事ではないのである。

 ところで、ある日のNEWS23を見て、私は大いに肝を潰した。それは、「ショック」などという言葉では到底言い表せないほどの、とてつもない衝撃であった。

 その日番組では、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(ジャック・アリー監督)なる映画の紹介をしていた。これは、現在もサヨクの好意的黙認の下に進められている、中国政府によるチベット侵略を糾弾した映画である。
 映画のラストの字幕、


   チベットでは、中国の侵略により百万人以上の住民が殺さ
   れ、六千以上の僧院が壊された


という悲壮な一文が、全てを語っている。「南京大虐殺30万人説」など裸足で逃げ出してしまうほどの暴虐な、現在進行形の非人道的侵略行為、それこそが、この映画が観客に訴えている事なのである。

 ところが、番組冒頭部分のナレーションは、何とこう紹介したのである。


   この映画は、中国による「自治権拡大」を描いた…


 …私は言葉を失った。いや、正常な精神の持ち主であれば、誰でも言葉を失うであろう。かつて、「侵略・進出書き換え事件」をでっち上げてまで、怒りをあらわにして見せた男のやる事が、これなのだ。彼等は中国による「侵略」を、「自治権拡大」などという、一生において複数回聞くことが無いであろう奇天烈な人造語をでっち上げてまで、擁護しようとしたのである。

 冒頭からしてこれでは、後はどんな悪逆非道なでっち上げ、捏造がなされても、もはや誰も驚かないであろう。実際、筑紫による情報操作は、まだまだ続いた。

 主演のブラッド・ピットを前にした筑紫の質問は、ほとんど全て荒唐無稽。「映像がすばらしい」だの「演技がすごい」だのと、チベット侵略について全く触れることなく、何とかしてこの映画を、単なる「アクション映画」であるかのように、巧妙に編集している。

 さすがにピットは、この大嘘つきの猿芝に付き合うのに嫌気がさしてきたのか、表情がだんだん険しくなってくる。それを察した筑紫、コマーシャルを挟んでやっと、この映画の核心である、虐殺行為の糾弾に言及する。もっとも、一分に満たない、ほんのさわり程度で何とかお茶を濁しただけであったが。

 何しろ、「テロリスト」とまで言い放ったフジモリ大統領にさえ、インタビューの際には本心を隠してへいこらと頭を下げて見せた筑紫である。「映画俳優ごとき」にその場限りのお愛想を振りまくなんてことは、彼のような卑劣漢には、何でもない事だったのであろう。

 筑紫の真骨頂は、インタビューの後に現われた。ピットの前では愛想笑いを振りまいて迎合していた筑紫は、ピットがいなくなった途端、こう言い放った。


   中国の行為を悪と決め付けるのは難がある


 あな恐ろしや、サヨクオヤジ。本気でそう思っているのなら、なぜピットに論争を挑まなかったのか?もっとも、卑怯者でも、勝負の勝ち負けを判断できる程度の脳みそは持ち合わせているというと言う意味では、わずかながら救いではあるが。


 今回は、筑紫哲也の例をもとに、サヨクの二枚舌と卑劣性を検証してみた。もっとも、散々利用した仲間さえ平気で切り捨てるサヨクの事(慰安婦問題における、吉田清治の切り捨てを見よ)、サヨクは筑紫さえ「特殊事例」として切り捨てるかもしれない。

 しかし、チベット問題に関するサヨクの二枚舌は、筑紫だけの「特殊事例」などでは決してない。その証拠に、中国政府要人が日本を訪問した時の、彼等サヨクの行動を注視しているとよい。「チベットに自由を!」とデモをするサヨクが、果してどれほどいるというのか?彼等は沈黙をもって、「無言の中国擁護」を行っているのである。その一方でなぜか、ペルー政府などをリンチするのには忙しげである。

 このような傾向は、アメリカなりヨーロッパなりと比べてみると、さらに際立ってくる。昨年も、アメリカにおけるそのような抗議活動が、朝日新聞以外では大きな話題となっていた。

 中国の「100万人大虐殺」は、現在進行形の犯罪である。その阻止は、国際社会の急務といえる。

 中国による侵略を押し止める前に、国内の二枚の舌を持つ卑劣漢どもを何とかせねばならない日本は、欧米に比べて、いや、チベットに比べてさえ、何と不幸なことであろうか。


                               なかみや たかし・本紙編集委員


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