創刊への決意
中宮 崇
兵庫県南部地震、オウム事件に始まり、日本人のあり方そのものが問われる事件・現象が続発するこの世紀末、我々はいかに生きればよいのであろうか?
我々は、ベルリンの壁崩壊によって「社会主義」に裏切られた。
我々は、地下鉄サリン事件において「宗教」に裏切られた。
我々は、TBS坂本弁護士ビデオテープ事件において、「メディア」に裏切られた。
我々市民はつねに裏切られ、騙され、愚弄されてきた。そして、裏切り者予備軍の種はこれからも尽きないであろう。屈辱の歴史を積み重ねないためには、我々はいったい何をすればよいのであろうか?
組織と思想に裏切られてきた市民は、いわゆる「市民運動」に期待を寄せつつある。HIV裁判、従軍慰安婦問題等を始めとして、その種の運動が一定の成果を獲得したことは誰も否定できない。しかしその一方で、そのような「市民運動」自体が、忌むべき日本的体質の相続人の一人としての立場を免れ得ないということも、徐々に明らかになりつつある。我々は、今回も裏切られはしまいか?
本誌は、真の民主主義社会を実現する上で不可欠の、一人一人独立した、「考え、行動する市民」を生み出す助産婦の役割を担いたいと考える。
「考える市民」、それは、裏切られない市民、後悔しない市民。
「行動する市民」、それは、社会を動かす市民、未来を作り出す市民。
真の民主主義の実現のためには、何も特別なことをする必要はない。個々人ができる範囲で考え、できる範囲で行動する。それこそが、市民のあるべき姿であり、民主主義の灯を子供たちに手渡す確かな道ではないか?市民が特別なことをしはじめたら、それは「ファシズム」の始まりである。
そのような未だ少数派である「普通の市民」、来世紀を生き抜き未来を担える「本物の市民」を支え育む、それこそが本誌の望みであり、期待される役割であると信ずるものである。
なかみや たかし・本誌編集委員