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シェビ砂丘とラクダの旅
モロッコ旅行のハイライトのひとつ
ラクダに乗ってサハラ砂漠のシェビ砂丘へ、2泊3日の旅の記憶です。
朝8時頃、メルズーガ村のとあるオーベルジュに到着。
ここにはオーベルジュのスタッフなのかそうでないのかわからない人がたくさんいて、すぐにいろんな人と仲良くなれました。特に、フェズの大学に2年間いたというアマーは英語も上手で、ベルベル語を教えてくれたり、少し離れた場所にある自分のテントに招待してくれてミントティーをご馳走してくれたりしました。残念ながら大学の方は途中で家族のために働かなければならなくなったために辞めたそうなのですが、大変に博識でユーモアのセンスもあり、愛用のラジオから聞こえてくるアルジェリアなどのニュースについて色々と私に教えてくれました。
15時30分の出発まではまだまだ時間があるので、たまっていた洗濯をしました。洗濯はしたものの干せそうな場所が見当たらずにアマーに訊ねたところ、「砂の上に広げろ」とのこと。「1、砂は水を吸う。2、砂は熱いのですぐ乾く。3、砂は毎日日光にさらされ殺菌されているのできれいである。」だそう。そうか・・・。郷に入れば郷に従えと、即実行する私。
数時間後には見事にカラカラに乾いており、バタバタと膝ではたくと砂はほとんど残らずに取れました(多少服についていたとしても粒子の細かいシェビの砂はあまり気になりません)。砂漠で暮らす人の暮らしの知恵ですね。
さて、いよいよラクダでの旅に出発。チュニジアで何度かラクダに乗っていたのでちゃーんとコツはつかんでます。しかし、それが逆にあだとなり、2日目からは一番落ち着きがなくて癖のある暴れラクダに乗らされることに・・・。ふん、光栄だね。と、強がる私。
1泊目のキャンプ地に着いて、ラクダ使いのアハマッド君がご飯を作ってくれている間に夕日を見ようと砂丘に登りました。ここで学んだことは「急がば回れ」。まっすぐ直線距離でガツガツ登っても決して頂上にはたどり着けません。シェビの砂はほんとうにサラサラで水のように流れ、後ろの足を前に運ぶうちに先に着いている足が砂に吸い込まれます。溺れる溺れる。この砂で砂時計を作ったらさぞかし良いものができるのではないでしょうか。作ったことないけど。
遠回りですがちゃんと稜線まで迂回して、この上をたどるようにして登っていくと頂上まで行けます。それにしても、この見事な稜線!!
登りきったそこは360度砂丘砂丘砂丘!子供の頃にイメージしていた砂漠そのままの姿がありました。なんて、自分はちっぽけな存在なんだろう??チュニジアでも砂漠は見たけれど、こんな光景は見られなかった。ゾクゾクするような感覚の中頂上に腰を下ろして「これを見ただけでも今回の旅の意味があったなぁ」としばらくの間感慨に耽りました。
日も暮れて、アハマッド君が作ってくれた夕食を食べます。メニューは野菜のタジンとアラビアパン。食後にミントティー。肉っけなし。
2泊3日の旅ではさすがに肉などを持っていくと腐るからでしょうか。結局2泊3日の昼食夕食は全く同じメニューが続きましたが(パンがどんどん乾燥してパサパサになっていった他は)、それほど飽きが来ないのは、やはりライフスタイルに合った食べ物だからなのでしょう。美味い美味い。
アハマド君曰く「たくさん食べる食べる。食べない人、モンダイ、明日死ぬ。食べる人、明日元気。モンダイナイ。」
そうそう、食べないと死ぬ。
マケーンムシュケル(アラビア語マグレブ方言、There is no problem.の意)の意味で使う「モンダイナイ」、が口癖のアハマッド君は、2日目の夜にモロッコの言葉と日本語の交換レッスンを私としたのでした。
2日目の午前中、偶然にベルベルの人達がキャンプを移動するところに出くわしました。テントをたたんでラクダに積もうとしているのですが、半端じゃなく重いので持ち上がらずに苦戦している様子。そこで私達もお手伝いすることに。大の大人が7人ほど力を合わせてやっとの思いでラクダに木の支柱や分厚い天幕を乗せることに成功しました。しかし、こんなものを乗せられて歩かされるラクダって・・・。
キャンプ地はある程度決まっていて、同じ場所に何度も来るのでしょう。生活必需品は金属の箱(赤い奴)にしまって置いて行きました。地面が白っぽく見えるのは雨季に溜まった水が乾燥してミネラル表面に浮いているせいだと思います(なめたら多分しょっぱかったはず)。ここならある程度掘れば水が出てくるのかもしれませんね。
日中は暑くて(と言うより、熱い)、移動するのは体力の無駄のようです。
ラクダで移動するのは朝と夕方だけ。10時から3時過ぎぐらいまでは長い昼休みになります。ヤシの木が生えるオアシスで、木陰に布を引いてお昼寝です。しかし、1〜2時間も寝ると日陰のはずだった場所が日陰でなくなってくるので(笑)、影の位置にあわせて移動しなければなりません。忙しい忙しい。
やはり近くには白っぽくミネラルが浮いている窪地がありました。よく見ると砂に水が流れたような跡も。サハラの植物達は地中深くある水を探し、根を張り伸ばして懸命に生きているのです。
昼寝の間に物音で目を覚ますと、なんと周りを山羊の大群に囲まれていました。20〜30頭はいるぞ・・・。なんでここに??と驚く私。
そういえばオアシスの近くにノマドの小屋があったような・・・。食べ物を探しているのか、固めてある荷物をひっくり返したりとやりたい放題。なんなんだ、この図々しさは。しかも山羊って近くでよく見るとあんまり可愛くない(特にあの目)!!
食料を奪われてはたまらないので必死で追い払おうとしますが、あまり効果なし。あっちは角もあるし、この数だし、情けないことに完全に押され気味なのでした。
昼食が終わってもまだまだ続くながーいながーい休憩中にアハマッド君が捕まえてきてくれた「サンドフィッシュ」。こっちは、か、可愛い!!さっきの山羊とは大違い(?)。
砂の上に放してやるとまるで魚のように潜ってしまいます。またその潜り方も魚そっくり。しかし、大して深く潜らないので簡単にまた捕まえることができます。かっこうのおもちゃにされる可哀想なサンドフィッシュ君。とってもおとなしくて、けして噛んだりはしません。触っても、ぬるぬるもざらざらもしていなくて、ただひんやりと冷たいだけ。
背中に縞が入っていて、その数が月齢を表しているのだそう(この説明をアハマッドが一生懸命ジェスチャーでして私がそれを理解するのにお互い30分ぐらいかかった)。確か、この子は卵からかえって8ヶ月目でした。
本気で日本に連れて帰ろうかと思ったけど、もし税関で処分しろとか言われたら悲しいので、それはあきらめました。
休憩後の移動中にアハマッドが「サンド」って日本語で何ていうの??と私に聞いて来ました。お、きっと次の日本人旅行者にサンドフィッシュを日本語で説明するためだな、と気づき、「砂だけど、『砂の魚』じゃ、砂でできた魚みたいだから、『砂漠の魚』、のほうがとおりがいいよな・・・。」と考えて、なんとかそう伝えました。なぜその方がいいのか、アハマッドはちょっと不思議そうでしたが(そりゃそうだろう)、嬉しそうに「サバクノサカナ」を連呼していました。
2日目午後の移動では、アルジェリアとの国境付近まで行きました。そこはもう砂砂漠の限界地点で、赤茶けた土に緑色と灰色の混ざった植物が生えており、東向こうには台地状になったアルジェリアの地が見えます。う〜ん、こんなに近くに見えるのに行けないのか・・・。国境にはモロッコ側とアルジェリア側のそれぞれに10kmづつの緩衝地帯があるそうで、例え遊牧民であっても国境を越えるのは「モンダイ」なのだそう。
この辺りには石が積まれていたり、木が意味ありげに重ねられていたり、丈の長い草がよじられていたり、潅木の枝ににペットボトルがささっていたり(?)しますが、これらは全て「国境が近い」ということを知らせるためなのだそうです。自由を誇りに生きる遊牧民達も、「国境」の枠を気にして生活しなけれならない時代なのでしょうか。
3日目の朝は2日目に遠くに行き過ぎたせいか、ちょっと長めの距離を移動してオーベルジュに戻りました。
唯一残念だったのは、アマーが既にイミルシルへ仕事のために行ってしまっていてオーベルジュにおらず、別れも言えなかったこと。もっとたくさん話したかったのに。
でも、少し疲れたけど、1泊じゃなくて2泊してみて本当によかったと思います。今回丸1日サハラにいて初めてわかったことってたくさんあった気がするから。いや、3泊でもよかったかも(笑)。
・・・タジンの具がたまにでも変われば、なおいいけどね。
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