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コラム
― コラム・3 ―
山岳への誘い
筆者が初めて日本アルプスに足跡を刻んだのは、平成2年に南アルプスの伝付峠まで 登ったのが最初で、その時の撮影機材は、マミヤRB67プロSとレンズ4本(何と1本 1キロもある)、ペンタックスLXとレンズ数本、三脚は大型のジッツオ325SAFその他 で、荷物は全部で27キロ以上はあったと思う。完全に夏バテして峠までが精一杯だった。 その後平成3年に南アルプスの北岳〜農鳥岳縦走を2泊3日で縦走し、中央アルプス、北アルプスなども登山。

山は感動的で雄大で美しい光景に出会えることができ、その絶えず変化する光景を 撮影する事が出来る。そして、山に撮影に出かける前の機材や登山用品の準備の作業 は、一種の儀式のようで、精神が高ぶるのである。
南アルプス・北岳山荘と間ノ岳
海抜2900mあり、夜は夏でも寒い。登山最盛期には畳1枚分に3人も押し込められる。 だからテントの方が全然良い。
北アルプス・針ノ木峠幕営地
テント幕営料はアルプスで200〜400円程度、尾瀬で700〜800円程度である。 但し地面は平面ではなく、ほとんどでこぼこの砂利である。雪渓は貴重な水分補給地だ。
尾瀬・大江湿原にて撮影中の作者
撮影:荒牧敬太郎氏


山岳写真撮影こぼれ話
・平成2年10月蔵王
平成2年10月に、蔵王に紅葉の撮影の為に行く計画をたて、夜行急行で向かった。 山形よりバスで蔵王温泉まで向かい、そこからスキーのコースを登っていった。 その時台風が日本列島に近づいていたのだが、ご多分にもれず、まさか来ないだろうと思ったのと、 この日が休日なので登りたいという気持ちがあった。そう、この2つのまずい考えが山では致命的なミスとなるのである。 最初は晴れ間も出ていたが、その夕方テントを張る頃にはかなりの濃霧が出ていて、段々雨が降り、風が吹き出した。 こりゃいかんということで近くの避難小屋に入り、様子を見ることに。天候はどんどん悪化する一方で、 避難小屋に泊まることにした。翌朝はすさまじい強風と雨でとても外には出られない。山で台風直撃はハンパじゃない。 結局2日間避難小屋に閉じ込められて3日目の朝台風が去り、出ることが出来た。


・平成4年6月南アルプス
毎年6月第一土曜日は天気が良ければ、甲府駅から南アルプス最大の登山口・広河原までの午前4時発バスが運行を開始する。 この時期は豊富な残雪と美しい新緑で、危険ではあるが、良い写真が撮れると登山の計画をしていた。 平成4年6第一土曜日、私はそのバスに乗り込み、広河原から南アルプスの最高峰そして日本第二の高峰・北岳(3192m) を目指して登山を開始した。天気は割合良くて、晴れ間も見えていた。大樺沢雪渓も難なく登り、 北岳の尾根に取り付いて山頂まで後少しという所で窪みのある雪渓を渡っていると、いきなり滑落してしまい、 たまたま下にクサリ場があって、その支柱に足を引っかけて10m位滑って何とか止まる事が出来た。

その後北岳山頂に見事登頂を果たし、尾根づたいはこの時期大変危険という事だったので、 トラバースのルートをたどって本日の宿泊地・北岳山荘を目指した。(ほとんどの山小屋は休業期間中は冬季登山者の休憩・ 宿泊の為に開放している)そしてしばらく歩くと雪渓の急斜面があり、今回は滑落したら数百mは落下するという場所であった。 もしもの時の為にピッケルをすぐに突き刺せる体制で渡っていると、運悪く足が滑り、とっさにピッケルを雪に突き刺し、 右手1本で体を支えている状態となった。何とか立ち直り、トラバース道と尾根が合わさるという所まで来ると、 今度は足をくじいてしまい、びっこを引きながら歩くはめとなった。足を冷やさず、暖かいままで歩いていた為に、 北岳山荘に着く頃には足は普通に歩けるようになっていた。しかし天気の方が怪しくなっており、夜になると嵐となってしまった。 次の日は1日停滞し、その次の日にようやく下山する事が出来た。 いつも登山の前は少しでも天気が悪いと登山を断念していたが、 今回は(特に梅雨時)予測が難しかった。

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