感想記
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らみ日記をみる。
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「らみ」の日記を付けていて思った。「結局…これは、らみの過程記録だな。」
他の人のページを見ると「日記」というものが本当に日記になっていることがある。
私はそれを羨ましく思うが、同時に書きたくないとも思う。
理由は簡単。昔そんな文章を書いていたからだ。(苦笑)
私の日記はカナリお堅い内容であった。当時の情熱や世間、友人のことなどつらつら述べてあるが
見ただけで赤面しそうなことまで真面目に書いてあった(笑)
だが、文章を書くこと事態は嫌いでは無い。
だから、日記を「感想記」と名前を変え、今再びつらつらと思ったことを書いてみようと思う。
(きっと10年後にまた、この小生意気な文章に赤面するのだろうが(笑))
最近50人というメンバーの反動により、「自分は、のけ者」と言う意見がでたことは、記憶に新しい。
問題自体は非常に協力的なメンバーのおかげで回復の方向に向かっていったが、そんな折ふと15〜18のころの
自分を思い出した。思わず苦笑した。実に現在のメンバーより子供だった。
当時、15歳の少年である私は天狗だった。某有名大学付属高校に合格
当時の中学では、テストで上位5位に入るなど、塾の影響も強く偏差値思考だった。
極論で物を言うと「馬鹿と話す時間は無い。」
いまの俺なら絶対ボコにする人間だ(爆)
まあ、結局「井の中の蛙」を実感し今にいたるのだが…
今15〜18歳の人間は、高校と受験と友人、恋愛など色々あると思う。
「鬱になる」絶対にあると思う。
でも、そんな時は「自分だけが苦しい訳じゃない」と思わなければいけないと思う。
「そんな+思考できるかよ!」「奇麗事ばっか吐かしやがって」←当時の私の思考(笑)
だけど、それでも何とか当時の私は克服できた(はず(笑))
じゃあ、どうやって「自分だけが…じゃない」と思ったのか?
先人の知恵。現代の意見書。「本」だった。
有頂点だった16の私が読んで一撃食らったのが太宰治先生著作「人間失格」
まあ。読んでない人は今からでも読んで一撃食らってくれ(爆)
また、ちょい鬱の私が読んで感動したのが五木寛之先生著作「生きるヒント」
これは、現在豆本っぽくなって再版されているようだ。
今も手元に、「大河の一滴」「夜明けを待ちながら」がある。
もし、本を読むことが好きでちょっと鬱な人は、読んでほしい。
私の母は、五木寛之の思想とあわないようなのですすめないが(笑)ツボにはまる人は、はまると思う。
追伸…もし、読書家がいて「店長さん、これ読んでみなよ!」と言う本があったら紹介してほしい。
6/27日つらつら…
やっと気が付いた/I found it
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