(00/02/20)

普段OKなのに、レースでこけるのね」体験報告

第34回 青梅マラソン
種目:一般男子 30km
結果:25km棄権
距離
5km
10km
15km
20km
25km
Goal-30km
通過時間
18'29"
36'51"
55'57"
1:14'31"
1:40'57"
-
LAP Time
18'29"
18'22"
19'06"
18'34"
26'26"
-

1.レース前

実は青梅マラソンは「走り込み」練習の一貫として位置付けており、何ら記録を求めるつもりではなかった。
前半15kmまでを、19'00"/5kmのラップでゆっくり余裕を持って走り、折り返した後25kmまでを18'20"/5kmまでペースアップし、ラスト5kmは楽だったらペースアップするし、しんどかったら維持−こういう積もりで練習の流れを組み立てていた。
要は「完走」して距離を踏んでおけば良いのだ。
去年は、青梅で結構いい走りが出来たものの、その後疲労を上手く抜くことが出来ず、京都ハーフから多摩ロードにかけて結果を残すことが出来なかっただけに、
あせらず、ゆっくり
を心がけるようにした。当然、調整抜きで前日まできっちり練習を続けた。
2.いざ、スタート
前日の天気予報は、今年一番の冷え込み。関東地方は30cm以上の積雪になる可能性! −というおぞましいものだった。土曜日の練習では「果たして明日何人が会場まで足を運ぶやら?」という威勢の悪い話題になるほど。
だが、当日は予報と比べて雪の降り始めが遅れたばかりか、スタート直前になると、あれだけ降っていた雪がほぼ止み、気温は低いがまぁ走れるコンディションになってきた。寒いけれど、走れない程ではない。さぁ、頑張ろう。
3.折り返し
スタートのブロックは、招待選手らが入る1番めのブロックに次ぐ2番めに入った。去年は3番めであったので、結構嬉しい。
また、去年約20秒差で先着されたチームメイトが、前日の練習では「非常に身体が重い」ということで、前半の内に捕まえようともくろんでいた。

さて、レース。
当初予定のペースより若干速い入りで、周囲のランナーに引きずられる格好で10kmの通過が予定より1分速い。ただ、去年と比較すると30秒程度ゆっくり入っているので、むしろ「なぜ体感的には去年と同じ程度にしんどいのに、スピードが上がらないのか?」という点に自分の意識が集中する。
15kmまでの5kmが19分かかった。予定通りなのだが、結構いっぱいいっぱいで走っている。

よっぽど体調が悪いのか!
折り返して、下り。事前のペース設定通り、ここから1kmを3’40”にペースアップするつもりで駆け出す。先行するチームメイトは、前半に捕まえるどころか去年より差が空いている。丁度、自分が去年と比較して遅い分だけ、空いている状態だ。
4.レース後半(20kmまで)
さて、折り返し。「調子悪い」はずのチームメイトとの差が2分前後ある。(去年は折り返しで1分20秒)
ペースアップして、1kmあたり3'40"を少し切る程度で走る。16km−17km。すれ違うチームメイトや知人と一声交わしながら、軽く手を上げたり。
だが、17km過ぎから、思うように足が上がらない。18kmを過ぎて、目の前がなんだかチカチカしだした。
「やべ!グリコーゲン切れか?なんでこんな所でなるの?!」
思えば、去年は好調の余り、タイムロスするから、と給水を一切とらずに走ったら27kmでグリコーゲン切れの症状を呈し、ラスト2kmでスローダウンしてしまったので、今年は10kmから5km毎の給水をきちんと(しかも「水」ではなく「スポーツドリンク」の方を)取っていたはずなのだ。
やばい。このペースは維持出来ないかも!?
5.走れなくなるまで
視野の中に「チカチカ」が殖えてきた所で、20km過ぎの上り坂までやってきた。見慣れても、すごい坂だ。
もう、身体が言うことをきかない。21kmまで4'14"。22kmまで9'01"。ここで、とうとう走れなくなった。JOGになる。時々、歩く。情けないけれど、沿道でチョコなり糖質系のフードを配っていたらそれをもらって、ゴールだけはするつもりだった。結構先頭から離れていないくせにトボトボ走っている自分にめがけて沿道の人が声をかけてくれる。
「ほらっ!もったいないよ。頑張れ。」
「歩くなぁ!あと7キロだよぉ。」
でも、頭の中が虚ろで、全然考えることが出来ない。悔しさも、情けなさも無く、【つらい−しんどい】 なんて情けない感情だけが充満していた。
23kmを過ぎて、手足がしびれてとうとうJOGすら出来なくなってしまった。この寒さの中で、ランパン・ランシャツだけで歩いていれば当然かも知れない。歩く。もう意地になって、絶対ゴールしてやる!と思って歩く。だけど、ふらふらして来た。
もうこの辺りから余り正確に記憶していないのだが、25km手前で相当後方にいると思っていたチームメイトに抜かれた事と、そこで精神的にがっくり来てしまったことは明確に覚えている。

結局、25kmの関門で、収用車に転がり込んでしまった。初めて、棄権した。

6.収容車の中で
ロードレースに出るようになって初めて乗る「収容車」
乗りこむや否や、一番奥の座席に毛布にくるまって倒れこんだ。他には未だ収容車に乗りこむ選手は居らず(そら、12000人中、前から200番位だったろうから、当然か...)貸切状態。手足が震えて、頭が朦朧として、兎に角糖質を摂らなければ、という強烈な意識だけがあったのか
「何か、糖質系の食べ物を下さい」
確かこういう類のお願いをしたら、役員の方がキャンディーを1個くれた。んでもって、キャンディーをなめている内に意識を失うかのように寝入ってしまったようだ。

どれだけ経ったか。
30分?それとも40分?経過した所で、もう一人50歳位のランナーが乗り込んできた。そこで意識を回復したが、寒い。毛布にくるまっていても、寒い。ガタガタ震えてくる。歯が噛み合わない程震えている。おじさんランナーは隣で嘔吐している。なんなんだろう、この殺伐とした空気は!だが、それ以上にバスの車窓から見える続々と走り、歩くランナー達が目に痛い。みんな、頑張ってゴール目指している。自分が情けなくて、情けなくて、涙も出ない。
看護婦が降り、役員が乗り込んできたタイミングを見て、とうとう言ってしまった。

「もう一度、コースに戻らせて下さい。ゼッケンは外します。タイムも要りません。」
自分の情けなさを払拭する、最後の選択だったが、役員の方が「公認大会で収用車からコース復帰なんて出来る訳が無い」「もう10分で関門閉鎖だ。バスも出るから待て」と2人がかりで言いくるめにかかる。もう一人の棄権ランナーも、「次の大会で頑張りなさい。ここで無理しても得るものはないよ」
なんだかもう、言い出した自分も、わいわい言われている自分も、情けなくて、やり切れなくなってしまった。
あぁ、もう書いている自分に嫌気が差してきたので、結論。
結局25kmの関門閉鎖を目の前で呆然と見守り、収用車で震えながらゴール地点へ移送。ゴール地点へ移送され、今年の青梅は終わった。長い、一日だった。