(00/03/28)

シドニー五輪マラソン代表選考について
〜ランナーの「アーティスト性」にからめて〜

今回の五輪代表選考、特に女子は本当にハイレベルな争いになりました。男子も、中山・森下選手の代が引退してからは最もレベルの高い争いになり、マラソンのことが分かっている、もしくは従来からマラソンに注目してきた人たちにしてみれば、感動的なレースを繰り広げてもらえたと思います。
代表に選ばれた選手のみなさんは、本当におめでとうございます。

一方で、商業的な理由、コンディショニング面からの理由、・・・色々あるのでしょうが複数の大会、全く異なるレース展開・競走相手による選考会を走らされた挙げ句、密室の陸連選考委員会で決定されることの不快感といったらありません。なんとか客観的に、そして明確に代表選考できる状態にならないものでしょうか。

そして、それに加えてマスメディアの見当違いかつ無責任な報道・特集。見ていて本当に腹が立ちます。
「おまえらなんかに評価されるために走ってるんと違うわい!その無責任な口を閉じろ!」
何度TV画面に向って叫んだか分かりません。最後はTVを見る気が失せました。陸上競技を自ら志している自分にしてみれば、レースという発表の場で、だれがどういう作品を見せてくれるか、が全て。そのスタートラインに立っていない第三者は、舞台で死にもの狂いに自分の作品を演じている「ランナー」という名のアーティスト達がベストのパフォーマンスが出来るお膳立てをすれば良いのであって、それ以上の干渉は無責任かつ不快以外の何者でもないです。
「頑張って下さい」
なんて無責任なセリフが、どうして言えるのだろう?
選手たちは、とりわけオリンピックを狙っている選手たちは第三者、取り巻き、野次馬たちと比較してそれはもう気が遠くなるほど「既に頑張っている」のです。私には、とてもあんな無責任は放言は出来ない。仲間内の酒の席じゃない、TVの前で!選手本人の前でだ!
なんという破廉恥な行為だろう・・・
そして、今。あ!っと言う間に狂騒は止んでしまった。なんだったんだろう、あの熱狂は。
未だに、腹が立っています。