Wackyのレース体験記)
1999/02/21
 青梅マラソン参加結果

 

開催日=1999年2月21日(日曜日)

種目 =男子30km

記録 =1:49’56”

18'27"-36'22"-54'49"-1:12'28"-1:30'59"

着順 =118位


1.スタート前

 戦前予想
 

浦和ハーフから3ヶ月弱。この間不幸なことにロクにレースにエントリーしていなかった。1月に一つハーフマラソンを申し込みたかったのだが、所属クラブとの連絡に手間取り、期限切れ。2月7日に駅伝に出たが、6.4kmと短い区間であったために余計自分の調子を測る上では混乱要素になってしまった。

スピードはそこそこ維持しているが、走り込みが不足。例年と同じ状態で迎える青梅。浦和ハーフで1時間14分だったことを考えれば、あの時の調子そのままで1時間50分を切るくらい。自分の距離適性(=長距離不向きの走法)を割り引いて1時間54分か?

そんなこんなで事前に立てた目標は、以下の通りだった。正直なところ、自分の状態がつかみ切れていなかったのだ。

・1時間48分(18分/5km)   =優秀

・1時間50分(18分20秒/5km)=良い

・1時間54分(19分/5km)   =可
 

 前日までのコンディション  
レース前日までの1週間は、業務上のトラブルなどで満足な調整練習が出来ず。アンビバレンスの合同練習会でそれなりに走れているものの、25kmを越えた練習は一切出来ていないので、後半に不安を残しつつ時間が過ぎ去っていった。

 

2.スタートまで

 当日朝

 
2月21日朝。7時20分起床。脈拍46。金曜日の残業のせいで土曜日にいきなり生活のリズムが狂い、至って寝不足である。外は寒い。けれども去年や一昨年のように雪・雨でないことが救いか。

窓の外を眺めて好コンディションを確認し、結構いい気分。8時30分に寮を出発。今日はいいレースにしたい。

今年のゼッケンは407番。去年は陸連登録をしないでの出場で2601番(=これでも陸連登録のない選手では一番前)。ゼッケン通知を受けた時は非常に嬉しかった。
「これでレースになる。」
正直な話、青梅でこれまで一番辛かったのはスタートから3kmまで殆ど走れなかったことだ。407番であれば、スタート地点まで10秒で行ける。

 

 河辺へ到着  
10時に河辺駅前のパチンコ屋でアンビバレンスのメンバーと待ち合わせ。ちょっとした連絡ミスで落ち合うまで時間がちょっとかかったが、30kmのスタートは12時。10分20分は誤差の範囲である。

河辺周辺は、やはり寮近辺より寒い。日光の当たる所はまだ暖かいが、風が強いこともあり日陰は寒い。レース中盤の山は殆ど日陰なので、走る格好をどうするかちょっと迷う。

 

3.前半

 スタート〜走りに違和感

 
アップはいつも通りタラタラ走り、入念にストレッチングを行う。ちょっと身体が重く感じるが、レース前はいつものこと。特に気にせず、スタート地点に向かう。スタート地点では、アンビバレンスで応援に駆けつけてくれた堀越君にジャージを預ける。去年までは個人参加だったので、こういうサポートも大抵は得られなかった。応援に来てくれる仲間には感謝...

いざ号砲が鳴ると、何とすぐ走り出すではないか。うーん嬉しい。この瞬間とても幸せだった。いやいやこれ位で満足してはいかん。レースに集中しないと。

前半登り基調で、後半下り基調のこのコース。後半、特にラスト5kmからが勝負だと自らに念を押してゆっくり走り出す。最初のスプリットは18分27秒。スタートラインまでのロスを考えると18分20秒というところ。狙い通りだ。

だが、坂を上りながらず〜っと「脚が重い」「脚がだるい」と感じていた。なんとなく先行きに不安を覚えて、ペースを上げられない。このままずるずると行ってしまうのだろうか。
 

 教祖・浅井えり子選手発見  
7kmを過ぎた所で、前方から大きな15人位の集団が近づいて来た。それまでは一人、二人がパラパラ落ちてきた程度だったので、「珍しいな」と思っていると、歩道寄りに小柄な女子ランナーが一人混じっている。誰かな?と思う隙も無く沿道からの応援の声が教えてくれた。

「浅井さん、がんばれー!」
「えりちゃん(えらい馴れ馴れしいな)がんばってー」

いや〜、本当に彼女の知名度は抜群ですね。さすが市民ランナーの教祖。自分も面白半分でしばらく集団に付く。いやもう応援のすごいこと。皆さん声を掛けていきますね。彼女だけに(苦笑)。面白くないのと、集団のペースが遅く感じられたのでするすると前に出る。

「おー!お前えらい偉くなったやんけ!?」

自分で一人つっこみしつつ、ちょっとびびりつつ走る。“本当にいいのか?天下の浅井えり子先生だぞ。一緒に走った方がいいペースで行けるかもよ?”と悪魔がささやくが、一旦前に出た以上引く訳には行かない。えーわ、行ったれ!

次のスプリットはやや上がり、17分55秒。

 

4.中盤

 折り返し〜追走開始

 

やや厳しい坂を上り切った所に折り返し地点がある。まだ見えてこないアンビバレンスの長距離チーフ、大高さんとの差をここで確認して後半に臨みたい。いた!大高さんだ。軽く手で挨拶を交わし、時間差を測る。折り返しまで40秒!実際の差は倍だから1分20秒もあった。予想外だ。最初こそスロースタートだったが決してこちらも遅い訳ではない。折り返し、下りだ。追撃、開始。

下りの走りは昔から得意だった。反面上りは全然ダメ。大学時代に駅伝メンバーになれなかったのは、そういった特性を上回生が見抜いていたせいだろう。15kmから20kmまでのラップは前より一気に50秒上がり17分38秒。上りで抜かれた選手を次々に交わす。いい気分だ。走りの違和感も取れて乗れてきた。

 

5.後半

 20km過ぎの登り坂

 
青梅後半の一大イベント。それが20kmから延々2kmに亘って続く上り坂。折り返しからの下りで脚に来てしまうとここが走れない。最初はここから飛ばそうと思っていたので、自分のレース構成が若干狂っている中で果たしてどれ位余力を残して上れるか???

果たして上り坂到来。結構しんどい。目の前に追いつめた集団が近づかない。えーんやこら、えーんやこら。腕で持って行ってやっと上り切った。ここでお世話になっている三井化学陸上部の応援。古山さん。そういえば三井化学からも2人出場してるんだよなぁ、と一瞬考えがよぎるが脳に酸素が行っていないのかもう考えられない。集団は先に行っているし、こぼれる選手を拾うのがやっと。まずい、結構脚に来てる!
 

 色彩感覚喪失〜そして失速・・  
それでも25kmまでは18分31秒でカバー。途中は軽い上り下りの連続で、余り休まる暇が無い(尤も青梅のコース全体がそうだが)。この辺りから特定の選手と競って走る体制になった。もう前をどんどん追うだけの余力も無い。そういう状態で走っていると、突然27km過ぎに目の前から全ての色彩が「ぱっ」と消えた。

???

いわゆるグリコーゲン切れ状態である。自分の陸上歴も相当長いがここまではっきりと自覚したのは初めてだ。とたんに身体全体に力が入らなくなり、これまで推進力しか感じなかった脚にだぶつきを感じ出した。それでも1kmは競っている相手に必死で付いていった。あと3kmやんけ、もがけ、もがけ・・。

28km。とうとう相手に付いていく気力が萎えた瞬間、前に大高さんの後ろ姿が見えた。「追おう・・」頭でそう思っても身体が言うことを聞かない。アンビバレンスのトップになりたい。そう思っても、強く願えるだけの意志が・・ そこからペースが回復することは二度となかった。全くダメ。最後の意地は1時間50分切りだけだ。

そしてラストの直線。ゴールの計測版をにらみながらふらふらとゴール。手元で1時間49分57秒。は〜・・良かった。頭の中には水曜日に大高さんに言われた一言だけがこだましていた。

「1時間50分切るのと切らないのとじゃ、全然聞こえ方が違うよね」「違うよね」

 

6.レース終わって

 感謝・・

 
沿道で声を掛けてくれたみなさん。

アンビバレンスで一緒に参加した皆さん、特にサポートに回ってくれた森さん、堀越君。

佐野君夫妻。出かけて来てくれてありがとう。余り話せなくて申し訳ない。。

三井化学陸上部の皆さん。古山さんは分かったけれど、上田監督は見つかりませんでした。

本当にありがとうございました。
 

 次回に向けて  
青梅のレースを総括して、ラストの失速があったものの満足出来るものだった。欲は次から次へと湧いてくるが、それでこそ競技者だと思うので、貪欲に頑張りたい。来週末に八王子駅伝(7.2km区間)にも参加するが、次の目標レースは京都シティハーフマラソンだ。今回の疲れを上手く抜いて、是非1時間13分を切りたい。