種目 =男子30km
記録 =1:49’56”
(18'27"-36'22"-54'49"-1:12'28"-1:30'59")
着順 =118位
戦前予想
スピードはそこそこ維持しているが、走り込みが不足。例年と同じ状態で迎える青梅。浦和ハーフで1時間14分だったことを考えれば、あの時の調子そのままで1時間50分を切るくらい。自分の距離適性(=長距離不向きの走法)を割り引いて1時間54分か?
そんなこんなで事前に立てた目標は、以下の通りだった。正直なところ、自分の状態がつかみ切れていなかったのだ。
・1時間48分(18分/5km) =優秀
・1時間50分(18分20秒/5km)=良い
・1時間54分(19分/5km) =可
当日朝
窓の外を眺めて好コンディションを確認し、結構いい気分。8時30分に寮を出発。今日はいいレースにしたい。
今年のゼッケンは407番。去年は陸連登録をしないでの出場で2601番(=これでも陸連登録のない選手では一番前)。ゼッケン通知を受けた時は非常に嬉しかった。
「これでレースになる。」
正直な話、青梅でこれまで一番辛かったのはスタートから3kmまで殆ど走れなかったことだ。407番であれば、スタート地点まで10秒で行ける。
河辺周辺は、やはり寮近辺より寒い。日光の当たる所はまだ暖かいが、風が強いこともあり日陰は寒い。レース中盤の山は殆ど日陰なので、走る格好をどうするかちょっと迷う。
スタート〜走りに違和感
いざ号砲が鳴ると、何とすぐ走り出すではないか。うーん嬉しい。この瞬間とても幸せだった。いやいやこれ位で満足してはいかん。レースに集中しないと。
前半登り基調で、後半下り基調のこのコース。後半、特にラスト5kmからが勝負だと自らに念を押してゆっくり走り出す。最初のスプリットは18分27秒。スタートラインまでのロスを考えると18分20秒というところ。狙い通りだ。
だが、坂を上りながらず〜っと「脚が重い」「脚がだるい」と感じていた。なんとなく先行きに不安を覚えて、ペースを上げられない。このままずるずると行ってしまうのだろうか。
「浅井さん、がんばれー!」
「えりちゃん(えらい馴れ馴れしいな)がんばってー」
いや〜、本当に彼女の知名度は抜群ですね。さすが市民ランナーの教祖。自分も面白半分でしばらく集団に付く。いやもう応援のすごいこと。皆さん声を掛けていきますね。彼女だけに(苦笑)。面白くないのと、集団のペースが遅く感じられたのでするすると前に出る。
「おー!お前えらい偉くなったやんけ!?」
自分で一人つっこみしつつ、ちょっとびびりつつ走る。“本当にいいのか?天下の浅井えり子先生だぞ。一緒に走った方がいいペースで行けるかもよ?”と悪魔がささやくが、一旦前に出た以上引く訳には行かない。えーわ、行ったれ!
次のスプリットはやや上がり、17分55秒。
折り返し〜追走開始
下りの走りは昔から得意だった。反面上りは全然ダメ。大学時代に駅伝メンバーになれなかったのは、そういった特性を上回生が見抜いていたせいだろう。15kmから20kmまでのラップは前より一気に50秒上がり17分38秒。上りで抜かれた選手を次々に交わす。いい気分だ。走りの違和感も取れて乗れてきた。
20km過ぎの登り坂
果たして上り坂到来。結構しんどい。目の前に追いつめた集団が近づかない。えーんやこら、えーんやこら。腕で持って行ってやっと上り切った。ここでお世話になっている三井化学陸上部の応援。古山さん。そういえば三井化学からも2人出場してるんだよなぁ、と一瞬考えがよぎるが脳に酸素が行っていないのかもう考えられない。集団は先に行っているし、こぼれる選手を拾うのがやっと。まずい、結構脚に来てる!
???
いわゆるグリコーゲン切れ状態である。自分の陸上歴も相当長いがここまではっきりと自覚したのは初めてだ。とたんに身体全体に力が入らなくなり、これまで推進力しか感じなかった脚にだぶつきを感じ出した。それでも1kmは競っている相手に必死で付いていった。あと3kmやんけ、もがけ、もがけ・・。
28km。とうとう相手に付いていく気力が萎えた瞬間、前に大高さんの後ろ姿が見えた。「追おう・・」頭でそう思っても身体が言うことを聞かない。アンビバレンスのトップになりたい。そう思っても、強く願えるだけの意志が・・ そこからペースが回復することは二度となかった。全くダメ。最後の意地は1時間50分切りだけだ。
そしてラストの直線。ゴールの計測版をにらみながらふらふらとゴール。手元で1時間49分57秒。は〜・・良かった。頭の中には水曜日に大高さんに言われた一言だけがこだましていた。
「1時間50分切るのと切らないのとじゃ、全然聞こえ方が違うよね」「違うよね」
感謝・・
アンビバレンスで一緒に参加した皆さん、特にサポートに回ってくれた森さん、堀越君。
佐野君夫妻。出かけて来てくれてありがとう。余り話せなくて申し訳ない。。
三井化学陸上部の皆さん。古山さんは分かったけれど、上田監督は見つかりませんでした。
本当にありがとうございました。