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1.結果速報・関連ニュース2.今日の出場選手群像
【 今日の出場選手群像 】[午前] 第5日は男子50キロ競歩から競技が始まり、ヘルマン・スクリギン(ロシア)が3時間44分23秒で初優勝した。
前回優勝のロベルト・コジェノフスキー(ポーランド)は38キロで途中棄権するなど、スタートした40人のうち10人が棄権した程の過酷なコンディション。3時間49分38秒の日本最高記録保持者・今村文男(富士通)は4時間1分47秒で16位、小池昭彦(日立製作所)は4時間18分43秒の28位に終わった。女子100メートル障害は1次予選が行われ、日本選手として2度目の世界選手権出場となった金沢イボンヌ(佐田建設)が6組5位ながら、全体で29位の13秒25をマーク。プラスで拾われて2次予選に進出した。
日本女子が短距離障害で2次予選に進んだのは、第1回大会(1983年)の佐々木恵美以来。[午後]
男子200メートルで伊東浩司(富士通)は、念願のファイナリストの座をあと1歩で逃した。
100メートルの世界記録保持者、モーリス・グリーン(25=米国)ら強豪が顔をそろえる1組に出場。8レーンという最悪の条件もあり、20秒51で6着に終わり上位4着までが進める決勝進出の夢は断たれた。男子400メートル障害の山崎一彦(デサント)も準決勝で49秒46の1組7位で、落選した。
男子110メートル障害はコリン・ジャクソン(英)が接戦を制し、13秒04で3大会ぶりの優勝を果たした。
男子3段跳びは世界記録保持者のジョナサン・エドワーズ(英)が敗れ、チャールズ・フリーデク(ドイツ)が今季世界最高の17メートル59で優勝した。
男子5000メートル予選2組に出場したのが、日本記録(13分13秒40)保持者の高岡寿成(28=鐘紡)。前日(24日)の1万メートルに続く連戦とあってか、13分47秒44でこの組17人中14着。決勝に進むことは出来なかった。女子では、100メートルに続いて200メートルでの優勝を狙ったマリオン・ジョーンズ(米)は準決勝で左腰を痛め、途中棄権した。
◆ジャクソン100分の3秒差の栄冠◆男子110メートル障害は大接戦の末にコリン・ジャクソン(32=英国)が勝った。最後のハードルを越えたところで、猛追してきたガルシアとの差がほとんどなくなった。最後は胸を突きだしてゴールに飛び込み、100分の3秒差で栄冠を手にした。
勝利を確信できなかったジャクソンは、優勝を告げるアナウンスを聞いて初めてビクトリーランを開始した。「いいレースだった。金メダルが取れてうれしい」と、3大会ぶりの優勝に感激した。93年世界選手権でマークした12秒91の世界記録は、いまだに破られていない。ここ数年はアレン・ジョンソン(米国)の後じんを拝してきたが、そのジョンソンが負傷によりレースを去り、巡ってきたチャンスをものにした。「精神的にタフになった」と実感を込めた。
2カ月前に病死した練習パートナーのベイリー選手に話が及ぶと「彼が見ていてくれたら……」と涙をこらえた。まだ五輪の金メダルを手にしていない。
「今日から私の標的は五輪となった。シドニーで勝てれば競技人生は完全なものになる」1年後、32歳のテクニシャンは最後の目標に挑む。
□山崎「気負った」□男子400メートル障害の山崎一彦(28=デサント)は、準決勝1組で49秒46の7着に終わり、2大会ぶりに巡ってきた決勝進出はならなかった。見た目には文句なしの入りで、3台目まではトップ並走。半分までは決勝進出圏内の4着以内をキープした。だが「気負って意気込み過ぎてしまった」という山崎にとってはこれが誤算。中盤以降の切り替えができずコーナー出口で脱落した。
「まずいレースでした。ビッグネームが棄権した願ってもないチャンスを無駄にしてしまった」しきりに悔やむ日本記録保持者は、さらに自分を責めたてた。「今みたいなレースをしてしまうと、予選でうまくいってもすべてが無になってしまう。万全を尽くしたつもりなんですが……」。荒い息遣いの中で、何度も何度も後悔の言葉を残した。
だが、95年イエーテボリ大会のファイナリストが、復活のあかしをセビリアで刻んだ事実に間違いはない。
97年アテネ大会で左アキレスけんを痛め途中棄権。この日のジョーンズのように、担架で運ばれた。1度は引退も頭をよぎったが一流プロスポーツ選手の復帰への歩みを著書で読み、実際に目にすることでなえる心を奮い立たせ復帰。日本記録保持者の座を苅部から奪い返し、世界のベスト16に戻ってきた。「体調を万全に持っていく大切さを勉強しました」心はもう真の雪辱の場所シドニーに向けられている。
◇伊東、敗れて悔いなし◇左足付け根のケイレン、そうでなくても、疲労をためたままでの世界挑戦。
決勝キップを逃した伊東は、疲れ切っていた。それでも転んでもタダでは起きない男の真骨頂だ。時折、笑顔を報道陣に向けながら今後の課題、今大会での収穫を分析。現状の範囲内で精いっぱい戦えたことに、悔いはなかった。レース前から、微妙な勝負が予想された。自己ベストなら19秒86のグリーンから数えて20秒16の伊東は4番目、今季ベストでは5番目。だが伊東自身は「200メートルの今季のランキングは去年まで全く無名の選手が上位に顔を出している」と話し、前日の2次予選突破後も「正直言って準決勝進出は無理かな、と思っていた」と苦しい戦いを覚悟していた。さらに「速い選手の背中を見て引っ張られる展開になればいいんですが」と期待していたレースも最悪の8レーン。他の7人のペースが見えず苦戦は当然だった。
8年前の東京大会。初の世界陸上代表に選ばれた大会で、今でもまぶたに焼き付いているのが、尊敬する東海大の先輩でもある高野進(現コーチ)が400メートル決勝を走る姿だった。ファイナリストの座は伊東のとって永遠のあこがれ。1932年ロサンゼルス五輪男子100メートルで6位に入った吉岡隆徳のスタート写真を、古い陸上雑誌で見つけると「こんなスタートがしてみたい」と目を輝かせて漏らしたこともあった。
7年前のバルセロナ五輪。代表に選ばれながら出場機会を与えられなかった悔しさが伊東の礎になっている。雪辱の場は来年9月、シドニーに移す。
○マリオン・ジョーンズ突然の腰痛で棄権○マリオン・ジョーンズの悲劇は、カーブを抜け、直線に入ったところで起きた。女子100メートルに続く2冠目を狙った200メートル。タイトルへの足がかりにするはずだった準決勝で、短距離界のスーパースターは倒れた。
スタートはよかった。だが、いつもの加速力が影を潜めた。残り60メートルほどで突然、ブレーキをかける。左腰に手をやり、顔をゆがめた。そのまま倒れ、担架で医務室に急行。腰に強い痛みがあったらしい。この瞬間、4冠宣言をしていたジョーンズが、わずか1冠でこの世界選手権を終えることに決まった。
「彼女はセビリア入りしてからずっと跳んだり、ダッシュしたりしていたからね」米国の陸上関係者はジョーンズの忙しさに問題があったのではないかと指摘する。4冠を目指すために、すべての種目で予選から段階をへて決勝まで進まなければならない。しかも走り幅跳びにも挑戦していることで、多くの練習を求められることになる。スーパースターが去った。心配したのはファンだけではない。国際陸連のネビオロ会長も、人気選手の早期回復を切望する。人を呼び、金を寄せられるスターは陸上界に少ない。「彼女がこの状況をうち破り、再びグランプリのリーダーとして戻ってきてほしい」とコメントを出した。