'99全国高校駅伝

今年の高校駅伝は、男女ともまれに見る激戦でした。兵庫県出身の私Wackyとしては午前中に須磨学園が1秒差で敗退、午後に西脇工業が2秒差で敗退。TV解説者の宗監督と一緒に

「どうして、西脇が置いていかれるんだ!逆じゃないか!」
とTV画面に向って叫んでいました。しかし、仙台育英高校の優勝は外国人留学生を使ってのものであって、個人的には好きではありませんが、4区以降の粘りは確かにすばらしかったと思います。
また、男女ともにキーとなる選手の欠場が痛かったですね。
男子は、西脇工業の森口選手。女子は立命館宇治の阪田選手。かれらが出場していれば、男女ともに優勝高校は別の名前になっていたと確信していますが、そう上手くいかない所が1年に1度しかない選手権大会の難しいところなんでしょうね・・・


1.男子優勝=仙台育英高校(宮城県) 
2.男子注目選手=佐藤清治選手(佐久長聖高校・3年) 
3.女子注目選手=藤永佳子選手(諫早高校・3年) 





1.注目のチーム=男子優勝/仙台育英高校(宮城県) 
★チーム改革でつかんだ6年ぶりのV
怪物の足音は聞こえない。
仙台育英のアンカー江村は、西脇工と一緒に競技場に戻ってきた瞬間、「勝てる」と思った。佐久長聖の“怪物ランナー”佐藤清治(3年)さえいなければ、「トラックでは勝つ自信があった」からだ。そして、ラスト50メートル。ライバルを抜き去ると、歓喜のゴールに飛び込んだ。
序盤は「いつもの仙台育英」に見えた。1区ワイナイナが貯金を作り、2区までトップを走ったが、3区で3位にまで落ちた。過去5大会はここで沈んだが、4区佐々木(2年)が西脇工と2秒差の2位に上がると、5区の村上(1年)が残り200メートルから7秒差をつける強烈なスパート。この劇的な走りが、6、7区と最後で競り勝つ力に連鎖した。
とにかく、しぶとかった。
今年2月に就任した渡辺高夫監督が取り組んだのが、「高校スポーツの原点に戻ること」。昨年は沖縄合宿から京都に来たが、「まず授業優先」と特別扱いはやめた。別練習だったワイナイナも皆と同じ練習をした。
アンカー江村は言う。「留学生がいて環境もよくて、陸上を甘くみてた。今は自分で勝つという気持ちが強まった」。原点へ、という監督の意図が浸透。日清食品時代に五輪代表も育てたクロスカントリー走の徹底も相まって、「東北人らしい粘り」(渡辺監督)は育った。
「1年で勝てるなんて衝撃的」と、87年の埼玉栄時代以来、自身2度目のVに渡辺監督。「国際的、東北的チーム」というカラーを引っさげての優勝は、ベテラン監督自身も驚く鮮やかさだった。

2.注目の選手=区間賞で「失速」と言われるスーパー高校生/佐藤清治選手(佐久長聖高校)
佐藤、歴代2位記録で区間賞も、思わぬ失速…
タスキを受けた時、トップとは43秒差。
佐藤は高校最後の駅伝に自分をかけた。「逆転可能なタイム差はトップと30秒以内が限度」。そんな前日の読みは頭から消し去った。入りの1キロを2分40秒で突っ走る。「直線で前が見えただけに、行けると思った」。だが「思いもしない失速」がすぐに待ち受ける。30秒、20秒……。この男でなければできない猛追も、ゴールは目前に迫るばかり。チームに対する恩返しの思い――。それが強い分だけ、思うように体が動いていかない自分が歯がゆかった。
14分4秒。
区間記録に6秒と迫る区間賞。だが1500メートルで世界陸上の舞台に立ち、日本選手権も制した佐藤には何の慰めにもならなかった。
「チームから求められたのは自分の10割の力。それが出せず、つないでくれたタスキを一番早くゴールに運ぶ役割も果たせなかった。3年間、チームに迷惑をかけた分、ここで恩返しすべきなのに、それができなかったのが悔しいんです」
11月中旬に自宅で右目を負傷。眼底出血と診断され、練習は10日前に始めたばかり。「6割の状態」で臨まざるを得なかった。負傷の原因は佐藤の不注意という。怪物ランナーは自責の念に駆られるばかりだった。
中距離ホープ
5月に1500メートルで日本記録に0秒05差と迫るタイムをマーク。以後、周囲の目が一変した。雑誌の表紙を飾り、進路では10チーム近くから誘いを受けた。日の丸を着け世界舞台も経験し、シドニー五輪も視野に入った。明るい前途が開けた時に見舞われた右目負傷というアクシデント。「こんな長いブランクは初めてだったし、いろいろ悩み、考えさせられました。それを今後に生かします」。一時停止した中距離界のホープだが、ただでは引き下がらない。正月は箱根駅伝を観戦。目を完治させた後は順大に進学する来春のトラックシーズンに照準を合わせる。その先のシドニーに向け佐藤は新たな戦いの場に身をゆだねる。

3.注目の選手=初の18分台はおあずけ/藤永佳子選手(諫早高校)
藤永、区間新もV逸し「悔しい」
「悔しいっ!」。
いかにも負けん気の強い、走り終えた直後の藤永の第1声だった。各校のエースがそろう花の1区で、従来の記録を3年ぶりに6秒更新する19分4秒の区間新をマーク、2位にも19秒差をつけた。だが「初の18分台」の目標タイムには届かない。結果的にチームも、優勝した筑紫女学園に9秒差の3位。
「自分が30秒離しておけば勝てた。悔しいです」と唇をかんだ。
それでも、巣立つ高校生活に悔いはない。「都大路を走るのを夢見て諌早に入りました。感謝の気持ちを支えに、それを忘れずに走れました」。教員を目指し来春は筑波大に進学する。もちろんシドニー五輪の夢も「秘密です」と、はにかみながら胸に秘めている。
「悔しい経験もいっぱいしたけど、初心に帰り自分を見直すこともできました。いい1年でしたね」。世界舞台が藤永を待っている。