イギリスにロイズという世界最大の保険会社がある。この話はこのロイズとオーストラリア海運局にその記録が残されている。 西暦1829年10月16日、イギリスの快速帆船マーメイド号はオーストラリアのシドニー港を出港、ニューギニア方面を抜ける航路で同国西海岸のラッフルズ港を目指した。 順調な航海を続けていたマーメイド号だったが、出港から四日目、ニューギニア島とオーストラリア大陸を隔てるトレス海峡に差し掛かったとき不意の大波で座礁し大破、乗組員は海に投げ出された。投げ出された乗組員は幸いにも近くに岩場を見つけ大波の中そこに泳ぎ着く事ができた。小さな怪我はあるものの命に別状は無く全員無事だった。そこで彼らはその岩場で救出を待つことにした。はじめの数日は彼らは発見されること無く、遭難の疲労がたまっていくばかりであった。 しかし、ある日彼らは沖を走る船を発見する。それは小帆船スイフトシュア号だった。スイフトシュア号の方も彼らを発見、全員が無事救助された。マーメイド号の乗組員は救助された幸運を喜び、彼らを救出したスイフトシュア号も当初順調に航海を続けていった。しかし24日、強い海流に巻き込まれ、小さな帆船であったスイフトシュア号は流れから脱出するひまもなく浅瀬に座礁してしまった。船を捨てざるを得なくなったスイフトシェア号の乗組員とマーメイド号の乗組員あわせて32名は、近くの海岸まで泳ぎそこで救助を待つことにした。 約3時間後、付近を快速帆船ガバナー・レディ号が通りかかり、同船に全員が救助された。ところがほっとしたのもつかの間、今度はこのガバナー・レディ号で火災が発生した。出火原因は不明だが積荷が材木だったためもあって火は瞬く間に燃え広がってしまった。懸命の消火作業の甲斐もなく火災の鎮火が望めない状況となり、乗組員は積んであった救命ボートで脱出することにした。3隻あわせて64名、今度も一人も欠けることなく全員無事だった。 しばらく漂流した後に、この救命ボートはオーストラリア政府のカッター船コメット号に発見され、無事救助される。しかし、全員が救助されて落ち着きはじめたころ、海上に目をやると雲行きが怪しく風も波も強い。嵐が近づいて来ていたのだ。オーストラリア政府の船といっても小さな帆船に過ぎないコメット号は、嵐の中で必死の操船もむなしく波にもまれて転覆、救命具を出すひまもなく全員が海に投げ出されてしまう。大荒れの海ではあったが乗組員は浮揚材や破片につかまって、あるいは助け合い、なんとか全員が嵐を乗り切る事ができた。 立て続けの遭難に言い知れぬ不安を抱く中、そこに郵便船ジュピター号が通りかかり、波間に漂う全員が救助された。ところがその不安が現実化したわけでもないだろうがジュピター号は浅瀬に座礁、船体が損傷してしまった。なんとか修理を試みたものの処置の甲斐なく、浸水はひどくなる一方で船を捨てざるをえなくなった。今度も全員が近くの岩礁まで泳ぎつき、そこで救助を待つことになった。この時点で、はじめのマーメイド号からジュピター号までの乗組員合わせて百数十名にも達していたが、多少の怪我はあるものの一人も欠けることなく全員無事だった。 そしてこのとき通りかかったのがイギリスの客船シティ・オブ・リーズ号だった。彼らは助けを求め、シティ・オブ・リース号も彼らに気付き全員が救助された。彼らは立て続けの遭難に疲れ切っていたが、それでも全員が無事救助されたことに感謝もしていた。その時だった。「この中にヨークシャー生まれの人はいませんか」声をかけてきたのはシティ・オブ・リーズ号の船医トーマス・スパークスだった。「ヨークシャー?ヨークシャーってイギリスのヨークシャーかい?」「そうです。誰かいませんか?」スパークス船医は乗組員の中を捜して歩いた。わけを聞くと、今シティ・オブ・リーズ号に乗船している一人の婦人が重病なのだが船の設備ではこれ以上手の施しようが無く、おそらくは回復は見込めないであろうこと、そしてうわごとのように幼い頃に離れ離れとなってしまった息子の名前を呼んでおり、その婦人の出身地がヨークシャーであるということであった。つまり、今にも息を引き取りそうなこの婦人に、最後にせめて息子に逢わせてやりたい、ヨークシャー生まれの人がいればたとえ演技でも良いから息子として励ましてやってほしいということであった。 ここで一人の船員が名乗りをあげた。「私はホイットビーの出身です。ヨークシャー州の。」彼は一番初めに遭難したマーメイド号の船員であった。スパークス船医の説明によれば、婦人もホイットビーの出身とのことであったため、言葉の微妙なニュアンスや故郷の様子に共通点を見出せそうで何とかうまく彼女を励ますことができるかもしれないと期待された。身代わりを演じることを引き受けた彼は、スパークス船医から婦人の様子を伝えられ、部屋まで案内された。彼はこのとき肝心なことに気がついた。「あの、私が身代わりを演じる人物、彼女の息子の名前は何というのですか?」スパークス船医はその演じるべき相手の名前を告げた。「彼女の息子の名前はピーター・リチャードソンというんだよ」「・・・ピーター・リチャードソン・・・」はっとしたような彼の様子に気がついた船医は「知っている人物かね?」とたずねた。「船医、身代わりは必要ありません」と彼は言った。「私がそのピーター・リチャードソンです」この再開によって今にも命の灯火が尽きようとしていた母親は、息子に会えた喜びからか奇跡的に回復に向かい元気を取り戻した。また、シティ・オブ・リーズ号もその後なんの問題も無く航海を続け、救助された百数十名の乗組員と共に無事港に入港した。 |