ブレリオ12型単葉機

全長

8.8メートル

発動機

グノーム・ガンマ

 空冷回転式星形 7気筒50馬力

全幅

11.8メートル

最大速度

90km/h

乗員

2名


 このブレリオ12型は明治42年(西暦1909年)に英仏海峡横断に成功したブレリオ11型の発展改良型で、明治44年3月に船便で我が国に到着しました。同年4月13日に所沢飛行場において行われた飛行において1時間以上の滞空記録を作り、さらに我が国初の同乗飛行、写真機を持ち込んでの空中撮影等の記録も作っています。また、野外飛行や操縦訓練飛行などに活躍しましたが、残念なことに我が国初の航空殉職事故も記録しました。大正2年3月に東京の青山練兵場から埼玉の所沢飛行場への帰還の際悪気流に遭遇し、たわみ翼を操作する張線の断裂による空中分解が起き、陸軍中尉木村鈴四郎、陸軍中尉徳田金一の両名が殉職しました。

 機体は鋼管、木製の骨組みに布張りで小型、軽量にまとめられており、同時期の他の航空機に比べ軽快性に優れていました。通常の11−2型は縦列複座で尾翼は矩形の物でしたが、帝国陸軍が採用した物は、並列複座で、鳥のような形状の尾翼を持つ11−2ビス型で我が国では12型と呼ばれていました。