明治十九年制定第二種帽

 帝国陸軍において、帽子は明治三年(紀元2530年、西暦1870年)に制定されたのが始まりです。このときは正帽・軍帽の区別はありませんでしたが、明治十九年七月六日付けで第一種帽(正帽)・第二種帽(軍帽)が制定されます。
 第二種帽は軍装時に着用するもので、将官は鉢巻が緋絨で三本線が入り、佐官は黄絨で二本線が、尉官は同様に一本線が入ります。(近衛将兵は鉢巻は緋絨)。
 これは鉢巻が黄絨で側線のない准士官用の軍帽になります。
 裏を返してみると、生地は鶴をはじめとした縁起物が織り込まれたものを使用しており、さらに六芒星が刺繍されています。
 古来から、五芒星や六芒星は矢除け弾除けを信じられており、帝国陸軍の星章にはこの弾除けの意味合いもあったとも言われています。
 また、さらに小さなポケットが作られています。当初、このポケットは何を意味するのかと思っていましたが、元軍人の方から以前にうかがったお話の中に、戦地においていざ出撃という前の晩に「・・・妹より受け取ったお守りを軍帽にしまい・・・」といった一文がありました。たしかにお守りならちょうどきれいに収まる大きさです。
 もしかしたらこの軍帽をかぶっていた准士官の方もそうだったのかもしれません。

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