陸軍軍刀

昭和九年制定

 

 帝國陸軍はその建軍後、明治八年(西暦1875年)に軍刀を制定して以来、幾度かの改定を含め、これをサーベル式としていました。
 これがいわゆる指揮刀で、平時はこれを佩刀し、事変時・戦時には日本刀を仕込んだものを使用したため、出動した部隊の将校をその拵え(いわゆる指揮刀は柄が水牛の角あるいは鼈甲、軍刀は柄に鮫の皮を巻く)から「鮫柄組」と呼称したりもしました。
 昭和九年(紀元2594年、西暦1934年)になると、帝国陸軍はこれまでのサーベル式に代わって太刀拵えの軍刀を制定します。
 制式は鍔は透かし、金具類は桜花・桜葉の浮彫刻、佩環は2つで、第一佩環は固定式、第二佩環は着脱式となっており、騎兵科は第一佩環のみとなっていました。制定された昭和九年が紀元2594年にあたることから、一般に九四式軍刀と呼ばれています。
 通常、軍刀は軍服等の制定・改正と共に定められますが、このいわゆる九四式軍刀は軍装等の変更は行われず単独制定となりました。後の昭和十三年には服務改正により軍装と共に軍刀の仕様も改定され、意匠はほとんど変更なく佩環を一つとした、いわゆる九八式軍刀となります。
 なお、九四式は軍服の改定を伴わない単独制定であったこともあってか、サーベル拵えのままの将校も数多く存在しました。特に、事変などで出動している部隊では改訂があっても簡単に調達というわけにもいかず、集合写真やスナップ写真等でサーベル型と太刀型が混在している例が見られます。
 展示のものは刀身は江戸期の新刀、大磨り上げのもので、刀身両面に樋がはいっています。鞘は艶出し茶色、佩環は二つで第二佩環刃着脱可能、鍔は厚めで透かしのあるものとなっています。元佐官の方の所持品で刀緒は茶と赤の佐官刀緒となっています。

九四式の特徴は第二佩環にあり、着脱式となります。第二佩環は着脱形式により大きく分けると4種類が確認できます。

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