三十年式歩兵銃

 我が国は明治維新後の早い段階で、当時欧米列強でしか行われていなかった小銃の開発・生産に成功し、明治十三年には口径11ミリの小銃弾を使用する十三年式、明治二十二年には口径8ミリの小銃弾を使用する二十二年式を制式化していました。この二十二年式は、これまで銃側面にあった着剣装置を世界で始めて銃身先端真下に設け、また、施条を四条メトフォード型とし高命中率を誇った小銃でした。
 我が軍は明治二十七年(西暦1894年)に勃発した日清戦争ではこの二十二年式を主戦小銃として戦いましたが、このころ欧州ではドイツのパウル・P・モーゼルが普仏戦争の経験から開発したいわゆるモーゼル小銃が急速に広まっていきます。このモーゼル小銃は、填弾子を用いた装弾方式を採用し、後のボルトアクションライフルの基本となるボルト閉塞機構を備える等、これまでとは一線を画した小銃で、ドイツ、スペイン、ベルギーをはじめ欧米列強各国は次々と制式小銃として採用していきました。
 次期主戦小銃の検討に入っていた我が国でもこの情報を得ていましたが、我が国ではこれをそのまま採用することなく参考にとどめ、新型小銃は東京砲兵工廠で陸軍大佐(当時)有坂成章等を中心に開発が進められました。
 この新型小銃の開発に際し使用弾種はこれまでの口径8ミリの小銃弾ではなく、新しく口径6.5ミリのものが開発され、五発を固定式弾倉に装填する小銃となります。
 明治三十年(紀元2557年、西暦1897年)付で制式となった三十年式歩兵銃は、弾道低伸性が非常に良く、我が国の小銃の特徴とも言える、長射程・高命中精度を誇り、明治三十七年に勃発した日露戦争では主戦小銃として各部隊で使用されました。生産数は合計約六十万挺弱で、騎兵用には銃身長を短くした三十年式騎銃が制式化されています。
 三十年式は後の我が国の小銃の基本になったと言える小銃で、日露戦争での戦訓から三八式歩兵銃へと発展していきます。

刻印

安全子
 菊花御紋章とその下に縦に三十年式。  後の三八式や九九式と異なり、鉤フック状のものになっている。