陸軍機の命名法

 飛行機の黎明期ではほとんどが個人開発で、飛行機にはその個人名がつけられていることが多くありました。そのためこれを輸入あるいはライセンス生産していた帝国陸軍でも、国産機を含め当初は設計会社(開発者)もしくはその機体名をそのまま名称として使用する等、特に命名基準はなく一機種毎に名称がつけられていました。

アンリファルマン型飛行機 ・・・ファルマン兄弟(フランス)のアンリ(兄)によって設計された機体
ブレリオ12型飛行機 ・・・・・ルイ・ブレリオ(フランス)によって設計された機体
ルンプラータウベ単葉機 ・・・・ルンプラー社(ドイツ)によって設計されたタウベ機
会式・・・・・・・・・・・・・・臨時軍用気球研究会(日本)の設計した機体
モ式・・・・・・・・・・・・・・モーリスファルマン機を元に臨時軍用気球研究会(日本)が設計した機体
ス式・・・・・・・・・・・・・・スパッド社(フランス)が設計した機体

 等。

 大正十年十二月に会社ごとの名称の統一が行われ、輸入機あるいはライセンス生産機については設計会社ごとに甲、乙、丙、丁、等で類別し、同会社製で型の違いについては例えば「甲式三型練習機(ニューポール24C1)」「甲式四型戦闘機(ニューポール29C1)」等のように機種にかかわらず通番で一型、二型等とすることとなりました。

甲式・・・・・・・・・・・・・・ニューポール社の設計した機体
乙式・・・・・・・・・・・・・・サルムソン社の設計した機体
丙式・・・・・・・・・・・・・・スパッド社の設計した機体
丁式・・・・・・・・・・・・・・ファルマン社の設計した機体
戌式・・・・・・・・・・・・・・コードロン社の設計した機体
己式・・・・・・・・・・・・・・アンリオ社の設計した機体

 等。

 昭和二年以降は設計会社にかかわらず国産機については紀元年号(皇紀)を用いることとなりました。この紀元とは我が国の建国から数えた年号で、我が国初代の天皇である神武天皇が即位された年を紀元元年としています。この紀元年号の下二桁と機種名を組み合わせて正式名としていました。この正式採用機に対して改造等を施した場合は元の型を「一型」、改造を施した型を「二型」等とし、その型で武装や搭載装備等を変更した場合は「甲」「乙」「丙」等とつけました。また、計画機・試作機に対しては、昭和八年から陸軍航空本部が機種や設計会社にかかわらず「キ番号」を付与し、この改良型には「T」「U」等とつけました。例えば試作戦闘機「キ43」は正式採用(紀元2601年)で「一式戦闘機」となり、これの改良型は「キ43U」「一式二型戦闘機」となります。なお、試作記号の通番順で正式採用されているわけではなく、採用されなかったものや同機種でも後の試作番号のものが先に正式採用される事もありました。
 正式名の「○○式」は通常数字をそのまま読み、例えば「八七式」は「はちななしき」と読みますが、紀元2600年採用の「一〇〇式(百式)」は「いちまるまるしき」とは読まず「ひゃくしき」と読み、紀元2601年以降のものは例えば「〇五式(まるごしき)」とはならずに「五式(ごしき)」となります。

試作は各記号にそれぞれの通番が付与されます。

キ・・・・・・・・・・・・・・・機体(航空機)の試作記号
ハ・・・・・・・・・・・・・・・発動機の試作記号
ネ・・・・・・・・・・・・・・・発動機(燃焼ロケット)の試作記号
ホ・・・・・・・・・・・・・・・機関砲の試作記号

 等。これらは正式採用時に「○○式」と命名されました。

正式名は採用年の下二桁を用いて命名しました。採用年は紀元(皇紀)を用いています。

八七式重爆撃機・・・・・・・・・紀元2587年(昭和二年、西暦1927年)採用の重爆撃機
百式司令部偵察機・・・・・・・・紀元2600年(昭和十五年、西暦1940年)採用の司令部偵察機
百式三型司令部偵察機・・・・・・百式司偵の改良型で元から数えて三つ目の型
四式重爆撃機飛龍・・・・・・・・紀元2604年(昭和十九年、西暦1944年)採用の重爆撃機。「飛龍」は愛称
五式戦闘機・・・・・・・・・・・紀元2605年(昭和二十年、西暦1945年)採用の戦闘機

 等。