インド('97.7-8, '00.8)

 ずーっとマザーテレサにあこがれていたので、アフリカの帰りにインド・カルカッタによってマザーの施設でお手伝いさせてもらいました。ちょうどヨーロッパから帰ってきたばかりだったマザーとは、ミサに行くと会えました。修道女の方々の一番後ろがマザーの指定席でした。

 マザーの施設でお手伝いさせてもらうためにはマザーハウスでの手続きが必要です。その後いくつかある施設の中から希望するところで活動します。私は「死を待つ人の家・カーリーガート」を希望しました。とにかくここには世界中からマザーにあこがれていろんな一がここでお手伝いさせてもらうために集まっています。日本人もかなり多いです。英語の話せないイタリア人やスペイン人もいます。洗濯は洗濯機などなく(マザーの方針)、足踏み洗いでシーツなども二人で端と端を持って反対に絞っていく。言葉が通じなくてもみんな黙々と一緒に働きます。休憩時間はチャイが飲めます。いろんな人とお話ししたり、一つの楽しみでした。

 滞在したのはバックパッカーの集まるサダルストリートのドミトリー形式の宿です。6人部屋、10人部屋などあり、世界中から来たいろんな人が泊まっています。ここでまた友達も出来、旅の情報も集められます。セキュリティー面はなんの保証もないので自分で管理することが必要です。シャワー室にパスポートを忘れて無くなってしまった人もいました。

 約3週間の滞在のあと帰国しましたが、その約1ヶ月後にマザーがお亡くなりになったニュースを見て大ショック。滞在中は車いすでの移動ながらもお元気そうで、世界中から集まった私たちにこれからの事など目をきらきら輝かせてお話ししてくださったことが目に焼き付いています。

 マザーが亡くなって約3年。職場のいろいろなことに疲れてしまった私は退職して再びインドに行きました。既婚者となった私ですが、「行ってくれば?」と言ってくれた夫を置いて3週間の一人旅です。

 マザーのいなくなったマザーの施設ですが、3年前と変わらず活動されていて、世界中から集まるお手伝いの人たちはむしろ増えているそうです。マザーハウスのミサのある場所ではマザーが座っていたところにマザーの座っているお人形がおいてありました。大きさも同じくらいで、マザーが座ってらっしゃるのかと思ってびっくりするほどです。今度はカルカッタだけでなく、インドの人たちにとっての聖なる川ガンジス川で有名なバラナシにも約10日間滞在しました(私もガンジス川に沐浴しました。子宝に恵まれますようにとお祈りして帰国後半年で出来たのがコタです)。ここにもマザーの施設はあり、カルカッタと同じようにここでもお手伝いさせていただきました。

 この2度の渡印で、たくさんのお友だちが出来ました。何年もたった今もおつきあいしている人がいます。中には友人の奥さんの弟さんもいてびっくり。世の中狭いもんです。そういえば、最初に行った時、カルカッタの道ばたに座って屋台のごはんを食べている時に協力隊の友人にばったり会ったり、2回目に行った時も協力隊の友人に道でばったり会いました。東京では会わないのに、不思議なものです。

 インドに着き、イミグレーションを過ぎるとリュックを担ぐ手に力が入ります。気合いを入れておかないとなんとか外人の財布からお金をいっぱい出させようとぎらぎらした目のインド人からまんまとやられてしまいます。負けるもんかとこっちも空気を読みながらインド人の間をうまいことすり抜けていかなければなりません。

 マザーハウスでボランティアする方法は「地球の歩き方-インド編」にも書いてあります。

 

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