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平面にx,y座標があるのは当たり前?

x,y座標ってどのぐらいからにならうでしょうか。確か、中学校からつかっていたような気がします。(最近はなにやら小学校高学年から文字が使用されているようですが)そのx,y座標が"発明品"だと知っている人はどれほどでしょうか。私も講義を聞くまで全くの当然のこととしてしかとらえられませんでした。ぜひ、その意義を理解してほしいと思います。以下に頻繁に使うので用語の説明を少し。

座標発明以前

紀元前300年頃、ユークリッドは今までのギリシャ数学をまとめあげ「ストイケイア」を記した。この本の中で、点の定義から直線の定義など今までの幾何学を一つにまとめたものである。これらの定義により構築された幾何学をユークリッド幾何学という。さて、この時代、平面上に数直線をクロスさせて載せるなどというのは考えられていない。図形の証明と言えば変形や補助線などによる。例え、長さを文字に置き換える事があったとしても、aは長さ。a^2(aの二乗)は面積を表しており、a+a^2と書くとすれば、1*a+a^2(すわなち、縦1横aの長方形の面積と長さaの正方形の面積の和)としてしかとらえようがない。長さと面積を足す事など考える事ができないのである。

ピタゴラスの定理を考えてみよう。直角三角形において、a^2+b^2=c^2。これは中学で習う定理である。もともと、これはどういう意味だろうか? 大抵の中学生は「直角三角形の"長さの2乗"と"長さの2乗"の和が"斜辺の2乗"になること」と答えるだろうが、ユークリッドよりも昔のピタゴラスにとってこの定理はそういう風にとらえられない。長さの2乗すなわち面積であるから。これは。面積+面積=面積の公式である。つまり、

の「赤の面積+青の面積=緑の面積」ということを証明したのだ。(平行線などを利用して、三角形の等積変形(面積はそのままで形をかえる。)を行うことでできたはずです。)このことは後の方で使いますので覚えておいてください。

こういう状況においてきちんと点や直線などの定義をまとめたユークリッドは偉い。だからこそ平行線が二本あったらどうなるだろうと考える人も出てこれたのだ(この話はまたいつか)。

今、図形を文字によってあらわしたりする代数があったことを書いた。x,y座標のデカルトが登場する当時、もう一つの代数があった。算術的代数ともいうべきもの、恐らく簡単に言えば、方程式に関する代数があった。要するに、x-1=0の解き方などを研究する話である。今の方程式は、りんごをいくつか持っていて、だれかに1個あげたら0個になりました。さていくつでしょうなんて問題かもしれない。これは、算術的(単なる計算)であってこれ以上でもない。よくやる□+3=0になりました、□はなんでしょう。でも、同じ。計算の問題にすぎない。

ただし、未知数xを持ち出して方程式を書く。そして、そのxの値を求める。その一般的解法を考える。こうなると、もうすでに、単なる計算を超える。つまり、対象が計算あるいは具体的な数字から、「方程式」へとレベルアップされたのだ。もう一度いう。こうなったら、目の前で操作したりする対象は、(たとえ問題の中で数字を足したり引いたりしても)数字ではない。方程式である。つまり、方程式のいろいろな性質を用いて変形したり、解を求めたりする。頭のいい子なら、もしかすると、小学の問題でも、無意識のうちに、等式の性質(方程式の性質の一つ)を用いたりしているかもしれないが、文字の形でかかれ、そして中学の授業で、等式の4つの性質(両辺を同じ数で割ってもかけても足しても引いてもよい)を習い、一次方程式を自在に操ることができる。数字の代入で求めること(これは単なる計算の問題。□+3=0と同じ)から、方程式自体を操作する対象として移行できた時の、一見関係ない一連の問題がすべてわずかな変形だけで解けてしまうときに経験した感動を覚えている人も多いだろう。(というか、これを言われて初めてそうだったのか!?と気づく人もいるかもしれない。方程式による、負数、無理数、虚数の導入はまたいつか)

さて、デカルト登場の時、二つの代数があったことになる。一つは、方程式とかの代数。このときの文字は数の代わりである。も一つは、図形的な代数。その文字は長さ、面積、体積など具体的なものであって、それ以外は何者でもない。先ほど述べたように、長さと面積など足せるわけがない。さて、x,y座標の発明者、デカルトの登場以来自体はどう変わるのだろうか?

座標発明以後

数直線を直角にクロスさせ、平面上のすべての点に実数との1対1の対応をつける。よく知っている、x,y座標である。その発明者である、デカルトとフェルマーは図形をその、x,yとの組の集合であらわそうと考えた。y=x+1は直線である。誰でも知ってる。傾きがどの程度とか、そんなことも。それ自体、過去に似たような例があるとはいえ、革新的かつ明快なアイデアである。図形が数式一つで表現できる。フェルマーといえば、フェルマーの最終定理で有名だが、彼が使った記号法は、いまならA^3+BA=Dと書くところを、「長さAの立方体と、面積BにAをかけたものとを加えれば体積Dに等しい」というように(記号で)書いた。先ほど述べたとおり面積と長さを足すことは許されないのである。図形的なものの見方のみであり、これでは最新の注意を払って方程式を組んだり、図形を式にしたり、あるいは、高校でやるような高度な問題などは解けるだろうか?その図形的な足かせから解き放ってくれたのがデカルトである。

デカルトの主張

発明者デカルトのすごさはこれだけでとどまらない。彼は「意味論的な部分では図形をあらわし、構文的な部分では(算術)代数と一致する」中間言語(代数)を発明したと言ってのけた。彼の代数は、数でも長さなどの具体的な量でもない。「量同士の関係」をあらわすのだと。

ところで、幾何学は意味論であり、代数学は構文論である。この二つの理解は人間の脳の中で別れているらしい。意味論とは、文字通り意味をいつも考える。構文は文法さえあってればOKなのである。例えば、「私は遊んで、彼は勉強した」なら親は怒るが、「私は勉強して、彼は遊んだ」なら「はい、結構です」となる。構文なら、「S+V,S'+V'」から「S+V',S'+V」であるから違いはない。

いいかれれば、y=x+1などというのは、xとyの関係を表すに過ぎない。xとかyは長さであるとかいう必要はない。それでも意味を考えれば、xy座標によって直線であり、計算する上で必要な面においては、方程式で発展させてきた手法。xを移行したり1を移行したりしてもかまわないのだと。そうであるから、a^2といえば、面積ではなく、aを2回かけたものとみた。

彼の代数によって、図形の意味を持ってxとyの関係を代数に翻訳した後は、意味はさっぱり忘れてよく、方程式の規則にのみとらわれて計算し、出てきた結果をその逆変換で幾何的な意味を考えればよいというのである。これを勉強するのが、数学Uに出てくる「図形と式」その他の項目である。そこで、数々のことを学ぶ。中点の座標の公式とか、座標で長さを出すとか、傾きをかけて-1なら垂直であるとか、これらすべては中間言語の単語といってもいいのかもしれない。では、この辺で実際にデカルトのやったことを元にして彼の代数を用いて解いた場合と、全くの図形を持って解いた場合を比べてみることにしよう。

実例

「長方形ABCDと同じ平面上の点(どこでもいい)をPとする。このとき、
PAを一辺とする正方形の面積+PCを一辺とする正方形の面積=
		PBを一辺とする正方形の面積+PDを一辺とする正方形の面積
であることを証明せよ。」

つまり


の赤の面積の和と黄色の面積の和を求めよ(重なっている部分もあるものとして含みます)。

数学の腕に自信のある人(といっても高2レベルで十分であるが)は解いてみてほしい。図形的直感が優れていると思う人は図形変形だけで証明してみることをお勧めする。

私は図形的直感がないので、いつも決まり切って座標系を使う。それでは証明しよう。

長方形を横の長さを二等分するようにy座標を、下辺にx座標をくっつける。(Fig1_3)点Aを(a,b)とすれば、点B(a,0)、点C(-a,0)、点D(-a,b)と表すことができ、点Pを(x,y)と置く。そうすれば、

PAの正方形の面積 = PA^2 = (x-a)^2 + (y-b)^2
PCの正方形の面積 = PC^2 = (x+a)^2 + y^2
である。 よって
PA^2 + PC^2 = ((x-a)^2 + (y-b)^2 ) + ((x+a)^2 + y^2)
足し算だから入れ替えて
            = ((x-a)^2 + y^2 ) + ((x+a)^2 + (y-b)^2)
ちょっとここでよく見てみると
((x-a)^2 + y^2 ) + ((x+a)^2 + (y-b)^2) = PB^2 + PC^2
=PBの正方形の面積 + PCの正方形の面積。
よって、示せた。

ここでやったことを考えてみよう。はじめの座標系セットは翻訳機のセットに当たる。で、点を座標に置き換えてたり、面積を文字に置き換えることは、デカルトの代数の意味論的な部分を用いている。2番目にやってることは、足し算の入れ替え。これは単なる数字の和の入れ替えだから、幾何学とは全く関係がない。単なる代数的処理である。ここで、デカルトの代数の構文論的な部分を用いている。最後は、出てきた代数的な結果をもう一度、面積であると言っている。これは、その代数の幾何学的意味を考えることである。

言い換えてみると、すべての図形問題はこの中間言語のおかげで方程式を操るだけの問題になることができる!(かも)

ちなみに、幾何学だけで解けば以下のようになる。代数学の解き方と対応させたのでぜひ見比べてほしい。(ちなみに、この解法は図形ばっかりみて考えたのでなく、代数の処理の意味を幾何学の処理に置き換えることで思いついた)

この例は、方程式の交換規則が、幾何学でも意味を持って現れたが、もっと複雑なやつになると、さほど難しくない代数処理も幾何学ではとんでもない図形変形をしている場合すらあるのだ。

図形問題を解くにとどまらず、このあとデカルトのx,y座標の発明と、図形の意味と方程式の構文とを結ぶ代数の発明は、微分積分学を記号によって表現し創造していくための基礎となる。微分積分学の発見者の一人、ニュートンはこういう。

「私がデカルトよりも遠くを見渡せたとすれば、それはこの巨人の方に乗っていたからだ」

思ったこと

私は図形が大の苦手だった。「気づくかっ。こんなもん」。補助線を一本引いて解けてしまう中学入試問題や初等幾何学などは自分の数学の定義から外していたほどである。(つまり、あればパズルだと)その代わり代数には比較的強かった。ベクトル、図形と式を習ったとき、ひどく感動した。面積や体積が自由に求められる微積までいえばこの上ない。これで自分の不得意な図形問題は、消えた(解けた)とさえ思った。というのは、代数なら「解けない」ことの証明もそこまで難しくないし、解けるかどうかの判定も容易なのだ。(…少なくとも自分はそう思うが、図形的な直感のある人は逆だというかもしれない)図形的な証明は一般性に欠けるのではないかとすら心配したほどである。代数なら一般化も、どの範囲で成り立つかも簡単である(…と思う)高校の頃ぼんやり考えていたことが、発明されたこととはっ!

人には図形的直感と代数的な直感があるなしに別れるそうだ。考えてみると、問題のほとんどは代数に持ち込んで解いている。球の切り口は必ず正円になることすら、代数に持ち込まないと納得しなかったほど、重傷である。方向音痴もそのせいだろうか?2Dならまだ良いが3Dとなると頭が痛くなる。あなたはどちら派?

まぁ、上記のたわごと(図形は数学でない)などは自分の欠点を忘れるための自己防衛規制の一部なのだろう。(だから、幾何学の先生方怒らないでください。)

図形と式、ベクトルが苦手な方へ

もしかすると、ここまで読んでくれた方の中には高校生で、自分は数学が好きなのに苦手で、高校でいう図形と式やベクトルとつきあわないといけない人がいるかもしれない。今までの考察から得意になる秘訣は見つけられただろうか?考えてみると、ベクトルが苦手だって言う友達は図形的な直感が優れていた。で、何が分からないかというと、話を聞いているとどうやらこの「翻訳」の部分である。私は代数を処理している間で息詰まると式の意味(デカルトの代数の幾何的な意味)を考えて矛盾するような式だっと気づいて計算ミスに気づくことがよくあった。この普通の代数と幾何的な意味のいわば変換をうまくできないと代数処理の見通しすらつかなくなる。「どう変形したらいいかわからない」が、言われたら気づく人も同じだと思う。できる人は闇雲に変形してなどいない。目的の式を見定めていて(幾何的な意味を考えて、その目標たる式をはじめから考えている)それに向かって変形を試みているはずだ。

「翻訳」非常に有効だと思う。いつも式の意味を考える訓練をしていけば、それがあなたの翻訳辞書に記録され見た瞬間わかるということになってゆくだろう。では、最後に宿題を一つ。もし、これが「覚えているから」とか「規則だから」と"一瞬でも"思った人は数学の勉強方法を180°かえてほしい。そうすれば自然に見えてくるはずである。

x^2 + y^2 = r^2 が原点を中心とした半径rの円であるのはなぜ?

参考文献

参考というかほとんど要約のような感じになってしまっている。私などよりはるかに明快なので、興味をもたれた方は読んでください。

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