忙しい。
その感情を、スティンは嬉しくも、また辛くも感じていた。
ついこの間まで、ならず者の客を相手に、自分は店とは部外者だというように静かにし
ていた彼が、今では仕事に心底から精を出すようになった。そんな、働く喜びを感じなが
ら、だが心のどこかでは、やはり体を動かすのは面倒だと思うところが少なからずあった。
この日、彼はいつものように朝早くに起床し、開店準備に身を動かせていた。そして、
仕事に一段落し、そばにある椅子に腰掛ける。フゥ、と小さく嘆息して、頬杖をつき彼は
何気なく上を見上げた。
あの“事件”からまだ、ほんの2週間しかたっていない。なのにもう、何ヶ月も前に起き
たことのように思える。その理由を、スティンは何となく気付いていた。あれ以来1度も、
エウルに会ったことがない。そして、あの聾唖の男も。
(確か……その人にエウルがあだ名を付けたっけ。)
とはいえ、そのまま「ローア」なのだから、芸がないものだと苦笑したりもする。第一、
あだ名を付けられた本人は文字通り聾唖――つまり、耳が聞こえないのである。あだ名
で呼んだところで、気付くことはない。また、本名で呼びたくとも、話すこともできないた
めに教えてもらうこともできない。
(……紙に書けば、ひょっとしたら分かるかもしれないな?)
生まれつきの聾唖であれば、そういった“知識”はないだろうが、そうでなければ、そう
なる以前には一般の学習能力はあったはずである――つまり、聞いたり話したりするこ
とが。
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