第5章・雷獣は何処に

      二階。オペレーション・ルームである一番教室と共に、笹原所属の三番教室が設置され
     ている、帝国にとっては何とも言い難いフロアである。が、今――ミーティングをしに集まる
     昼休み――は帝国の本拠地そのものとなっている。仁科の情報によると、笹原は四時限
     終了直後にどこかへと消えたらしい。弁当を持って。
     (どうやらあっちも動き出してるみたいだね。)
      と、白石は小声で広瀬に告げた。二人は入口側の、真ん中の列の机に腰を預けている。
     彼等から見て津波の姿は死角になっているのだが、いかんせん奴は地獄耳であるという
     ことで、自然と音声が小さくなってしまう。
      対する広瀬は、着目点を白石にではなく、“小宇宙”を被った連中へと移していた。中
     布利と仁科が、教室の外――つまり宇宙空間に出た艦に裏主砲試射を“小宇宙”を通し
     て説明している。そんな彼等のやりとりを、懐旧の眼差しで彼女は見ている。つまり、今
     廊下(いや、宇宙空間)で裏主砲を試射しているのは、彼女の後輩候補である。
      四時限目が終了し、広瀬は弁当を食べずに二階へと降りてきた。途中、たまたま彼女
     のように昼食を抜いた津波と白石、古谷の三人と会ってオペレーション・ルームへと入っ
     たのだが、てっきり一番乗りかと思いきや壇上には既に中布利が、またその側には少し
     興奮気味の仁科と、もう一人見慣れない、眼鏡を掛けた真面目そうな男が立っていた。
     「今から第七艦隊長候補の試験を行う。現戦闘員はしばらく室内で待機しておくこと。」
      そう言って中布利は、“小宇宙”を被って試験を始めた――が、広瀬はどうも気になっ
     てしょうがないことがあった。確かにまだ試験は終了していないが、自分達の時は一言
     も「候補」呼ばわりをされたことがなかった。単に中布利が今回に限ってそう言ってるだ
     けなのかもしれないが、それでも彼が「候補」と言う度に広瀬はそれを気にとめていた。
      それからしばらくして、中布利が“小宇宙”を脱いだ。それは当然、第七艦隊長による
     裏主砲の試射が――つまり、戦闘員の試験が――終了したことを意味する。そのこと
     に、広瀬の注目は一層強まった。中布利が虚空を見上げるような姿勢で何かを考察し
     ているという景色は今まで見たことがないし、それに何よりさっきからの仁科の落ち着き
     のなさに疑問を持っていた。
     「……………………。」
      無言のまま、手を顎下に組んで中布利は仁科を見やった。いつもの冷静ぶった表情は、
     今の仁科には欠片も見当たらない。つい何日か前に目の当たりにした彼の第一印象が
     懐かしく思えるような気がしてきたと、広瀬は胸中で独白した。その直後――
     「……合格だ。」
      こちらは相変わらず全く表情を変えずに言ってきた中布利の一言は、仁科の身体を宙
     へと浮き上がらせた。歓喜極まる歓声と共に。
     「ぃいよっしゃぁ――――っ!」
      広瀬は――というか、室内にいる戦闘員四人全員が――思いもしなかった仁科の行
     動に驚愕した。対して仁科は彼等の反応をよそにガッツポーズを取っている。
      ただ一人、中布利だけがこれまた相変わらず、大した表情の変化も見せずに仁科に
     言葉を投げかける。
     「御苦労だったな。前提通り、木曜に任務を遂行するとは正直思っていなかった。よくて
     金曜になるか、一般戦闘員の登用かと思っていたが。」
     「え? これって一般戦闘員の試験じゃなかったんですか。」
      いつから話を聞いていたのか、白石がきょとんとした口調で言った。それを横で軽く聞
     き流しながら、思えばこいつも相変わらずだな、と広瀬はあさっての方を向いて、胸中で
     白石のセリフに付け足すように独白する。そして、さらにその後を続けるかのように、彼
     等から見て死角――入口のそばにある、壁の出っ張りから声がする。
     「バカかお前、フリがにっしーに言ってただろが、『特殊戦闘員を登用しろ』って。お前の
     脳ミソは日曜の出来事を記憶できないほどにツルンツルンになっちまったのか、あ?」
     「こんの……」
      と、津波に対する批判の声は彼の真後ろから聞こえてきた。彼は一瞬眉をひそめたが、
     それでも後ろにいる人物が、その口調からして自分に対して異議を唱えようとしているの
     は理解できた。同時にガンくれの表情を作って後ろに振り向こうときびすを返す――
      そんな彼を迎えてくれたのは、古びたスリッパが放つビンタだった。
     「ぬおおおおっ!?」
      あまりの痛みと予想外の出来事に、津波は身を翻した。が、スリッパは津波にさらに追
     い打ちをかけるごとく詰め寄ってくる。
      中布利の罵声と共に。
     「このボケがこのボケがこのボケがこのボケがこのボケがぁっ!」
     「痛い痛い、痛いって何するんやフリ?」
     「だからフリと呼ぶなと言っておろうがこのどアホが!」
     「分かった、分かったからやめてフリ、じゃなかった参謀総長。」
      余計な一言のために、未だ憤怒の形相をしている中布利の手を、津波はそれでも何とか
     止めた――と、それを横目にして広瀬は目を丸くしていた。同時に口元が綻ぶ――中布利
     の意外な一面を目の当たりにして。津波の行動はさすがに見慣れたが。
      と――
     (そういや最近、私ってこんな風に笑ったことがなかったような気がする……)
      そんなことに気付く。
      帝国に入る前まで、いつも笑ったような顔で――他人には明るくてかわいく見えると言わ
     れたこともあるが――いたのだが、どこか自分に足りない物があるようでならなかった。も
     ちろん、自分で「明るい」と思われるためにそうしていたのだが、それでも他に方法がない
     かと訝ったものだ――
     (自分で自分を傀儡にしてたのかもね。)
      これも、最近になって――帝国に入ってから考え出したものだ。思えば、その時から「笑
     い」が消えたような気がする。しかし、それでも彼女の帝国内の人気は消えることはなかっ
     た。自分で思うのもなんだけど、と胸中で付け加えながら彼女は思う。考え込んだり、ボケ
     てみたり、たまには……ちょっと、ほんのちょっと……力んでみたり。それでも、別に他人に
     嫌われたりするものでもない。自分が壊れてしまうようなことも、ない。
     (それが分かったって考えると――ここに来て本当によかったと思う……?)
      そこまで思ってはじめて、自分が今、俯いていることに気付いた。少し慌てるかのように、
     広瀬は視線を上げる。津波と中布利が未だ睨み合っているところを見ると、そんなに時間
     がたったものではないらしい。視線をずらすと、彼等の後ろで仁科が満悦な笑みを浮かべ
     て、中布利の代わりに壇上の席に着いているのが見える。
     (この人達のおかげかもね――こんな気持ちになれたのは。)
      再び口元を綻ばせ、彼女は残りの二人を捜すため辺りを見回した――と、彼女の後ろ
     の席で古谷が暇そうな顔をして、いつ移動したのか彼の隣にいる白石の髪にチョークの粉
     末をかけておちょくっていた。当然、それに対して白石が、また「何やってんだよ」とか「どっ
     から持ってきやがった」だのと騒ぎ出す。
     (……こいつらのおかげ……じゃ、ないだろうね。多分……。)
      笑みの中に苦みが混ざり、広瀬は眉をひそめた。嘆息気味に前(黒板側)に振り返ると、
     視界に“小宇宙”を持った、眼鏡をかけた男が佇む姿が映る。彼は特に何をするというよう
     には見えず、ただ自分の居場所の指定にいささか困惑するかのように双眸を左右に揺ら
     している。
     「あれ……?」
      広瀬は、声に出して訝った。視線を少しずらすと、中布利や仁科達は彼に全く気付いて
     いないらしく、それぞれが自分の世界に入っている。
      トン、と机から飛び降りて彼女は、中布利の視界に手を割り込ませた。
     「あの、もし、参謀総長? もしも〜し?」
      彼女がそう言って、ようやく中布利は気付いたらしく、少し身体を震わせて顔だけをこち
     らに向けた。同時に津波もこちらを向く。
     「あ、ああ……『戦女神』か。何だ?」
     「あの、あの人に何か言ってあげないんですか?」
     「あの人?」
      間の抜けた――ように広瀬には聞こえた――声で中布利は応えた。眼鏡の男は相変
     わらず“小宇宙”を手に持ち、佇んでいる。それを見て中布利はようやく本来の表情に戻
     った。あまつさえ、広瀬の方に向き直って、
     「ああ、悪かった。待たせてしまったようだな。ついでだ、紹介しよう。彼は新しく第七艦隊
     『月槍士』隊長として帝国に入っ――」
     「いや、いい。自己紹介なら自分でもできる。」
      と、手で中布利を遮ったのは当の眼鏡の男である。
     「十六組の、西村翔。そこでこの世の絶頂にいるような顔した奴にここに連れてこられた。
     いまいちあんたらの目的が飲み込めないが、話によると明後日、俺も何かしなくてはなら
     んらしい。まあ、よくは分からんがよろしく頼む。」
      と、無表情のままで言い流したかと思うと、西村はそのまま適当な席に着いてしまった。
     「え……と、こちらこそ、よろしく……。」
      途中で言葉を切られて唖然としている中布利を横目に、広瀬はそう言いながら、そこか
     ら届くはずのない西村に手を差し伸べていた。
 
 
 


 
 
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