第6章・戦争とは何か

      二匹の雷獣。
      そんなことを、笹原は脳裏に思い浮かべていた。いや、雷獣は二匹もいない。神話に登
     場する雷獣と名の付くものは、ただ一つのみである。
     (最強は、ただ一つのみだ……。)
      頂点は、一つだけだ。自分のいる場の他に、頂点と呼べるものがあるはずがない。頂点
     は自分だけだ。最強と名乗れるのは、自分のみだ――
     『そ――』
      彼は動揺していた。もはや、隠しようがないほどに。
     『そんなことがあってたまるか! 第一、原田はそんなこと、一言も言っていなかったはず
     だ――』
     「その通りだ。現在ですら、このことを知っているのは皇帝陛下と尚書、そして私の三人だ
     けだからな。“雷獣”に関しての情報は、他の参謀や司令長官であった、お前にすら知ら
     せることは禁じられていた。」
     『禁じられていた、だと? 一体、どこのどいつがそんなことを決めたってんだ!』
      罵声にも似た口調で、笹原がどなり声を上げる。
     「皇帝……G・ワンダフル原田様直々のお言葉だ。」
      笹原が眉をひそめるのが、はっきりと分かった。実際、返ってきたのは沈黙のみである
     が“小宇宙”を通してその様子を見ることができる。
      皇帝・原田は、滅多なことでは動かなかった。少なくとも、笹原が帝国にいた間は、この
     “雷獣”の件一回のみである。その時は軍務尚書の堀田から書状(つまり手紙である)が
     届き、三人だけで原田の家で会議を開いた。
      また、それ以降も先の日曜に行ったミーティングを除けば、戦闘員が皇帝を目の当たり
     にする機会は模試前日の「勉強会」のみであった。あと未定で終わってしまったが、『白
     竜』による「笹原抹殺」の際を含めても二回しかない。要するに、皇帝の「帝国内の役割」
     とは、周りからはその程度にしか見られていないのである。
      そして彼――笹原に至っても、それは例外ではなかった。
     『奴が直々に動いた? 貴様、夢でも見たんじゃねえのか!』
     「笹原……お前は、あのお方がなぜ皇帝と呼ばれているか、知っているか?」
     『知っているさ!“小宇宙”を創ったから、だろうが?』
      笹原の返事は、当然中布利が予想していたもの、そのものであった。確かにそうである。
     帝国に新しく入ってくる者達にも、中布利はそう教えてきた。そう答えて当然なのだ。恐ら
     く、仁科や安野ですらそうとしか答えられないだろう。
      原田の存在意義を、彼等はその程度でしか見ていないのだ――
     (「創る」ということは、「造る」で終わることはない……。)
      チャイムが鳴った。十時限目が終了したのだ。周りから、また“小宇宙”を通して地下か
     ら、堅苦しい自習の呪縛から解き放たれた浪人生達のざわめきが聞こえ始める。
      だが、中布利は静かだった。いつもと変わらぬ、顎の下で手を組む形のまま、じっと笹
     原を見据えている。教室の隅で寝ている坪内に至っては、静かどころか微動だにしない。
     「笹原……。」
      呼応とも、独白とも言える口調で、中布利は呟いた。ゆっくりと、しかししっかりとした口
     調。小さく、しかし芯のある声で。
     「それを知らなければ……お前は、我々帝国に勝つことはできない。」
 
      そして――決戦の時は、来た。
 
      未だ予備校に残っている、勤勉たる浪人生達は、一人また一人と階段を上へと上がっ
     ていく。八時からの、十二時限目以降は最上階の「図書館」しか自習室として利用できな
     いのである。他の教室は、十一時限目終了後、次々と見回りのチューターに閉鎖されて
     いく。
      なぜ、十二時限目以降は「図書館」のただ一室しか利用できないのか。これは、居残る
     チューターの人数が複数の教室を見回れるほどのものではなくなるという、極めて単純な
     理由からきていることを、実は過半数の浪人生達が知っていた。合格率が全国トップとい
     う、聞こえだけでは「真面目な人間の集まり」であるこのK予備校も、やはり「抑制」がな
     いとだらけてしまうらしい。まあ、そういう「人間らしさ」が完全になくなると勉強どころでは
     ない、というのはチューター達も熟知しているらしく、この十二時限目以降まで予備校に
     残れという強制はしていないらしい。他の言い方をすると「俺達の仕事をこれ以上増やさ
     ないでくれ」というものだが。
      だが、その気持ちも浪人生はよく分かっていた。年中休日なし、それが浪人生は大抵
     一年、まあ失敗した者でも二年、多くて三年という期間だけで済むのだが、チューター達
     からみると、これはあくまでも「仕事」なのであり、年が明けるとまた次の「仕事」が待って
     いるわけである。まあ、その見返りとして給料の方はなかなかのものなのであるが、それ
     でも「年中無休」が続くという状況に耐えろ、というのは極めて困難な話である。それが一
     日々々を夜遅くまで、となるといくら「教育者」側である大人達でもほとんど無理な話であ
     った。結果、予備校の近くに住んでいるとか、この仕事が天職であると言う奇特な者であ
     るとか、そういった者達――つまり、少数しか残らないのだ。
      とまあ、こういったわけで八時以降は、予備校内の人間が激減するのである。そしてそ
     の時を、彼等帝国の人間達は見逃すはずがなかった――
     「よし、全員集まったな?」
      ポインターを手にし、安野は抑えきれない興奮を表情ににじみ出しながら言った。
     「現時刻は七時五十五分。あと五分後に作戦を決行する――そこで念のため、もう一度
     確認を取っておく。新進団体“スーパー・ノヴァ”全三艦に対し、こちらは全七艦で応戦す
     る! 前・帝国艦隊司令長官笹原には『天騎士』『白竜』『戦女神』の三艦、団体長森口に
     は『隠者』『黒豹』の二艦、そして松本には残りの二艦『紅炎』と『月槍士』が当たる。目
     的の『T大プレテスト解答』は、新進団体の殲滅後、事務室にて奪取すること。各自何か
     質問は?」
      彼の言葉は、席に着いている戦闘員や情報処理班の中に、沈黙の波紋を生み出すの
     みだった。彼等の目的はただ一つである。すなわち――新進団体“スーパー・ノヴァ”に勝
     利すること。脳裏の隅から隅まで、ただこのことのみが満たされている。
      教壇には中布利が着いている。その隣に立つ形で、安野がいる。彼の目前、つまり最
     前列の席にそれぞれ仁科と汐月が着いており、二人は既に“小宇宙”を被り、絶えず新
     進団体側の情報を入手している。彼等は今、例の地下の倉庫にいる。自習時間中に階
     段を歩いては行けないので、恐らくエレベーターを使うのだろう。エレベーターは事務室か
     らは死角となっているので、稼動の確認は実際にエレベーターまで行かないとできない。
     「では、二階のエレベーター前に対笹原艦隊、三階、四階にそれぞれ対森口、松本艦隊
     を配置! 時刻八時になり次第、各艦隊はそれぞれ所定の位置に急ぐこと。目標以外の
     敵を確認した場合にのみ、援軍としてそれを目標とする艦隊を呼ぶことを許可する。参謀
     総長、何か異論は?」
      シャッ、とポインターを縮めて安野は、目だけを動かして中布利の方を見やった。彼は何
     も応えてはこなかった。予想通りだと安野は、半ば嘆息気味に視線を戻し、続いて辺りを
     見回した。戦闘員が七名、艦隊順に席に着いている。新しく入ってきた西村は、仁科の隣
     ――つまり、最前列にいる。坪内は、安野から見て左手の奥で熟睡している。ふとそちら
     を見て、間もなく戦闘開始というのにこいつだけはいつもと何ら変わらないなと、安野は無
     意識のうちに唇を緩ませていた。
     「現時刻、七時五十八分! 各戦闘員、宇宙画面展開!」
      腕時計を見て、安野が言い放った。同時に、七人が一斉に“小宇宙”を被り、右手に持
     つオプションのボタンを押した――結果、彼等の視界には宇宙に漂う空母内の、オペレー
     ション・ルームが映る。
     (いよいよか……。)
      以前までの、チューター達を相手とする戦闘の時とは違う、真新しい興奮を安野は全く
     抑えることができなかった。腕時計を一瞥しては辺りを見回すという、落ち着きのない様
     子が繰り返される。
     (興奮といや……仁科の野郎、今はすっかり落ち着いてやがるな。)
      自分の目の前にいる、黒のフィルムで双眸を隠している仁科は、ついさっきの作戦会議
     で騒ぎ立てていたとは思えないほどの静けさを見せている。また、彼の隣の汐月も、いつ
     ぞやのように弱気な部分を見せてなんかはいない。仁科同様、表情は“小宇宙”に遮られ
     ていて見えないが、雰囲気が精悍なものとなっている。
     (静かだ……嵐の前の静けさってのは、こいつのことを言っているのか?)
      頬に一筋の汗すら伝わせ、安野は腕時計一点を凝視した。焦りのようなものを感じ、早
     く時が過ぎることを胸中で祈る。あと二十秒、あと十秒……
     (あと三秒。二、一……)
     「時刻八時を経過! 各戦闘員、出撃!」
     「同時刻“スーパー・ノヴァ”行動開始! エレベーターに乗り込みました。目的場所は不
     明。二階から四階の、いずれかに出現するものと思われます!」
      そう言ったのは安野ではなかった。仁科と汐月の二人が、彼を圧倒するかのように言い
     放ったのだ。同時に、各戦闘員が次々にオペレーション・ルームから出ていき「宇宙」へと
     空間転移した。その際、教員室側の階段の天井に設置されているカメラに映らないよう、
     彼等は慎重に移動する。
     「各艦隊へ告知。対笹原艦隊は二階のエレベーター前、以下、対森口、松本艦隊は三階、
     四階へと移動せよ。繰り返す。対笹原艦隊は二階のエレベーター前、以下、対森口、松
     本艦隊は三階、四階へと移動せよ!」
      安野は唖然とした。仁科の行動が機敏であることに。だが何よりも、情報を処理すること
     にとどまらず、自ら判断を下したというその意志の強さに驚愕した。確かに普段は冷静な
     仁科であるが、決断力まではこうもいかない。
     「へっ……やるじゃねえか……!」
      唇を緩ませ、安野も自分の“小宇宙”を手に取り、被った。非戦闘員型の“小宇宙”は、
     通常は宇宙画面を見るだけのものである。が、オプションの操作により各艦隊の状況を把
     握できるよう、他の“小宇宙”を通すという形で、任意で視点を変えることもできる。つまり
     彼等の“小宇宙”とは、オペレーション・ルーム内で戦闘状況を完全に把握するためのもの
     である。
      また、この“小宇宙”から模造した“理想郷”の動きも、システムの構造が同類しているた
     め、把握できるのは明らかである。だが、エレベーターに乗ると同時に“理想郷”の電源を
     切ったらしく、それ以降の“スーパー・ノヴァ”の行動が掴めない。
     「奇襲するつもりか……だが、そうはさせねぇ。」
      エレベーターの扉が開いたらハチの巣にしてやる、と安野は口にしたいところを何とか踏
     みとどまった。そこをいきなり裏主砲で迎撃されるかもしれないのだ。相手は切り札を二回
     使える。そのうち一回を序盤で使ってくる可能性は十分にあった。そのため、いくら相手が
     動きが取れないとはいえ、不用意な攻撃はかえって命取りになる恐れがある。
 
 
 


 
 
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