大野遺跡はどんな遺跡か(縄文中期4千数百年前)

(1)日本最古の環状配石遺構
 住居とストーンサークル(環状配石遺構)がほぼ完全な形で発見されました。 ストーンサークルというのは石をドーナツのような環状に並べたものです。「環状配石遺構」 とも言います。日本では、東日本を中心に見つかっていますが、縄文時代後期のものが多く、同心円 状に存在する住居跡と一緒に見つかる例は少ないことから、貴重な例とされています。 遺跡の北側には 直線状列石が見つかっています、これは集落を区画するような形になっていますが何を意味するかわかりません。

(2)ストーンサークル
特徴はストーンサークルに囲まれたナニもない部分中央広場は 昔の集落のお祭り広場ではないか、そのナニもない場所を取り巻いて 更にその外側に住居跡、高床式、地面に直接建った高床倉庫、平地式倉庫、その外側に住居跡が点々 としているまわっている、環状列石を中心に同心円として真ん中に広は、環状列石、建物さらにその外側に 竪穴の住居跡がまわるという同心円、バームクーヘンの焦げた部分を中心にくるくる回っている 大きな特徴です。 新聞等では日本最古と報道していますが、年代的には日本で見つかっているストーンサークルでは、 一番古いものだということです。 住居跡とセットになって凝縮されて見つかっている日本では例が無く非常に貴重な遺跡です。
1.祭祀、お祭りの中央の広場でそれを囲むように石をもってきている
2.石の下たに、お墓があり、墓石として石を置き、結果としてまるく輪になった
3.中央広場は縄文時代当時においては、非常に神聖な場所で人が住む住居跡のある俗世間、中央の聖なる 場所と俗世間を区画する意図がある。所々切れた場所が中央広場に出入りする入り口ではなかったが
このような3つの性格が考えられ、ストーンサークルを解明していく上でのよい研究材料になる。 村の宝と誇りに思う。


大野遺跡大野遺跡



(3)特徴ある土器
 南側が出入り口の敷居の下に土器が埋められていて「埋め瓶」の風習が 東日本、関東や中部地方で盛んに行われていた。敷居の下に埋め込んでいるのは何故か? 家に住んでいた女性の
@子供を産んだ後産の胎盤を丈夫に育つように埋めた、人に踏まれて丈夫になる
A死産や稚児の死体を埋めて、敷居を人が跨ぐことにより、強い新しい生命が母胎 に宿ると考えた。
このような風習があったと考えられ、この遺跡は貴重な資料となると考えれています。
大野遺跡
長野県で出土している土器の模様
大野遺跡大野遺跡
(左)唐草模様..唐草の文様は長野県の松本平、諏訪地方、伊那の北部、木曾谷から に分布している特徴があります。
(右)縄を転がした「かそりい式」土器は関東地方に分布しています
今回の模様
大野遺跡
今回出土したこの土器は違う模様で岐阜県の南、美濃地方の土器であり そっちからの交流、物の移動を表している。おもしろい変わった模様 のものです。

有孔鍔付土器有孔鍔付土器有孔鍔付土器
2000年4月15日の埋蔵文化調査団の発表では大きな女性の顔が描かれた人面装飾付き有孔鍔付土器 (縄文時代中期中葉、約4500年前、大野遺跡22号住居跡出土)が復元されました。
国学院大文学部の小林達雄教授(考古学)の話 :
山や川、木々など自然界の諸事物に精霊が宿っていると考える縄文のアニミズム(自然崇拝の原始信仰)。本格的に農耕が始まる前の人々の精神文化を、この土器に感じる。土器は単なる道具としてではなく、神聖な祭りに使った数少ない楽器の中の一つ(太鼓)ではなかったか。胴部に描かれた顔は人間の顔ではなく、精霊の顔だ。これだけ大きく顔をあしらった土器を初めて見る。造形的にも素晴らしく、縄文人の思いが表れていると思う。










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