部分と全体の関係について


  1999.11.20 豊島区街づくり大学北イタリア視察レポート 鈴木立也

■アーディジェ川とヴェローナ旧市街

 アーディジェ川に囲まれたヴェローナの旧市街を見おろす丘の上からの眺めは、その街並みの美しさと共に、1500年以上の時間の中で、多くの建設と破壊を通じても、変わることのない全体像を作り上げていることを感じました。

 ローマ時代の格子状の街区は今でもこの街の骨格を構成しています。

 その上に建設されてきた教会はほとんどが、北東にアプスを向けています。ビザンチンやゴシック、ロマネスク、ルネッサンスの各時代の様式の差こそあれ、重要な教会は格子パターンに載り、通りのアイストップを形成しています。(図−1)

 このように、ヴェローナでは都市にとって重要な施設や重要な地点は、都市全体との関係を切り放さずに出来ていました。さらに、これらの重要な建物の周辺もその建物との関係を重視していました。例えば、ドゥオーモ前の広場を取り囲む建物はドゥオーモの軒より低く押さえられ、表装の作りはドゥオーモの白い大理石に比べればも控えめなものです。

 この街にとっての部分(建築や橋、道路)は全体(旧市街の都市全体)との関係を常に保ってつくられている。ここに都市デザインの本質があると思います。


 ヴェネチアでも部分と全体の関係が強固なものと感じられました。渡辺先生の説明にもあったように、この街は海と運河が主要な構造をなしていて、大運河に各部分は正面を向けています。これは大運河や海が(一般の都市の)広場であり、道であるという基本構造に変化がないということでしょう。

 特に、今回の旅でサリューテ教会のある大運河出口に立ったとき、対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会、レ・ツェテーレ教会(共にパラーディオの設計)は図−2にみるように、この突端に対して設計上の正面性を決めていると思われます。このように独創的な建築家でも、都市の全体構造と整合性を保った計画を基本としています。

 何百年という歴史の中で、(都市)全体と部分の関係を変えることの無かったこれらの都市から学ぶことは、この他にもまだまだ多いと思います。

 まず、その都市構造が地形や社会・文化的な条件に対してどう答えている構造であるか、が重要でしょう。

 そして、そこに付け加わるひとつひとつの建築や道や広場や橋は、決して都市全体の構造と切り放して考えてはいけないということ。

 また、この2つの街のアクティビィティの中心は車ではなく、人であること。


 振り返って私の住む池袋の街はどうか。

 都市全体の構造が地形や文化・社会条件に適合しているか?、また、部分がその構造を適切にとらえているか? 人がアクティビィティの中心であるか?

 どの問いにも、このレポートの2つの都市のように明確に示すほどの、蓄積に不足していると思われます。しかし、まだ、この街は90年程度の歴史。これから部分をどう作りなおしていくかが重要。 

 さしあたって、

 緑の線に囲われた部分から緊急車以外の車を排除し、赤の範囲を広場(下部は駐車場)にすることにより人のアクティビィティを確保する。(歩行者天国で行っていることを恒常化する。)

 これらの範囲では、道路はすべて平坦とし、人のための設計に留意する。建物は土地利用規制に加え、デザイン上の誘導を行う。

 せめてこのくらいのことが出来れば、誇れる街になっていくと思うのです。